第91話・お世話を放棄された王子


 物心ついた時には母親への非難は始まっていた。それは本当のことなのか確かめる術もなく、幼いわが身としては、聞こえてくる悪意から逃れることしか出来なかった。

 あの日も優しく綺麗な従姉と宮廷の庭を散歩していた時に、女官達が数名集まって噂していたのを耳にした。


「ご覧になって。今日は宰相さまと……」

「昨日は辺境伯とご一緒でしたわ」

「まあ、節操のない」


 彼女たちの声が聞こえてくると、決まって従姉は彼らとは違うほうへと促がした。


「殿下。今日は水車小屋に行きましょうか? いまならワイルドストロベリーの花が咲いている頃でしょうから」

「うん。もう実がなり始めているよ」

「よくご存知ですね?」


 ジェーンの言葉に、食い意地が張っていただろうか。と、頬が赤くなりそうなのを隠すように、ジェーンの先に立って菜園の方へと足を向けた。

宮廷の庭は広く趣向が凝らしてある。幾何学模様を織り込んだような緑の庭園を抜けた先に水の庭園があり人口の湖や噴水があった。それらを囲う並木林を抜けた先に、休憩室でもある小さな水車小屋があって、その目の前には装飾菜園が広がりハーブや花、果実が楽しめるようになっていた。


「ジェーン。見て。見て。もうこんなにベリーがなってる」


 目的の苺の花は咲き終えていたようだ。もう真っ赤な実がついている。ジェーンがワイルドベリーの花を見に行こうだなんて口実だと分かっていたけれど、彼女の優しさが嬉しかった。彼女はいつも自分の身を案じてくれている。そんな彼女を安心させようと笑えば彼女はほっとしたように笑顔を見せた。


「まあ、本当に。良い匂い」

「美味しそうだね。食べてみる?」


 菜園の果実は、農薬を使ってないので食べれない事はない。でもジェーンは横に首を振った。


「もうじき昼餐の時間ですからそれまで我慢しましょう。殿下」

「え~」

「でも昼餐の時間に出してくれるようにお願いしてみましょうか?」


 不満の声をあげると、彼女はふふふと笑った。二つ年上の彼女は、自分のことを弟のように扱う。綺麗で優しい姉のような従姉。あの頃、彼女は自分の唯一の味方であり、盾だった。自分を貶める者達から彼女は守ってくれた。

 本来ならその役割は別の者がすべきことだったけれど、自分には誰一人味方がいなかった。低位貴族出身の王妃を陛下が迎えたことに宮廷の者はよく思っていなかったから。


 美味しそうなベルーを見たせいか、ぐ~とお腹の虫が鳴る。ジェーンの前で恥ずかしかったけれど、彼女はそれを馬鹿にする事は無かった。


「そろそろ戻りましょうか?」


 昼餐の時間になりますからね。と、ジェーンが手を差し出してくる。自分の手は肉付きがあまり良くなかった。ほっそりした指が彼女の柔らかな肌を傷つけなければいいが。と、躊躇していると、それを彼女は遠慮なく握った。


「昼餐には我が家から持参したサンドイッチを頼んであります。いっぱい食べて下さいね。殿下は食が細いから」


 自分を心配したような声に泣きそうになる。ジェーンは知らない事だが、ルイのもとにここ最近は三食まともに食事が運ばれてきたことはない。自分の母の悪口が横行するようになってからは、それまで甲斐甲斐しく世話をしてくれていた女官達が掌を返したように世話をするのを放棄するようになってきたのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る