第73話・何から何まで癪に障る男

 何からなにまで癪に障る男だが、この場は彼の言うとおりにした方が良さそうだ。ため息をつきたくなるのは彼のせいばかりではなくて、自分が不甲斐ないのもあった。彼には足のことも見透かされていた。足裏がじわじわと痛みを伝えてくる。

 その足を擦っていると、ギルバードが自分の脱いだ上着のポケットを探って小さなふた付きの容器を差し出して来た。


「痛み止めの薬草のクリームだ。擦り傷や切り傷に良く利く」

「ありがとう」


 ギルバードの好意を素直に受けることにした。暖炉がついているおかげで、足の傷口が分かりやすく有り難かった。薬を塗ってから容器を返すと彼は言った。


「ここに暖炉があって良かった」

「本当ね」


 ギルバードがしみじみ言うのに合わせて頷く。ふと、もしこれがルイだったとしたらどうだろうと考えた。彼はギルバードのように手際よく暖炉に火を点せるとは思えない。ルイは人に傅かれる生活を産まれた時からしてきた。わたしだって暖炉に火は点せない。

 今頃はふたりで寒いと言って体を寄せあっていたのかもしれなかった。そう思うと、ギルバードに助けてもらって良かったのかもしれないと思う一方で、ギルバードはどうして暖炉に火を点せたのか不思議な気がした。彼だって五宝家の貴公子なのだ。暖炉に火を点すなんて使用人のすることだ。御曹司である彼が出来るはずがないのに。


「あなたが暖炉に火が点せるだなんて知らなかったわ。ギルバード」

「僕には庶子の兄が二人いたからね。小さい時からやんちゃだったし、二人に仕込まれたのさ。自分ひとりでもなんでもやっていけるように。どんな場所でも生き延びる方法というものをね」


 彼は暖炉の火を見つめていた。いつもは飄々としている彼が真面目な顔をしている。暖炉の赤々とした火が彼の頬を染めあげるのを見ていると、肩を抱かれた。


「もっと火に近付いた方がいいよ。そんなところにいては肩が半分温まらないだろう?」


 彼は良く見ているものだ。いくら彼に特別な感情は持っていないと言っても、ここには彼と二人だけ。婚姻前であるし、彼のおちゃらけた態度に警戒は失せているとはいっても多少は気になる。彼と密接な距離になるのは危ないような気がして、拳三つ分ほど離れていたらばれたらしい。

 さすがは軟派男。でもそれ以上、近付いたら噛み付くわよ。と、心の中で思っていると、肩に顔を寄せられて逆に言われた。


「僕が怖い? そんなに警戒されちゃうと襲っちゃうよ」

「ギルバードっ」


 拳を振り上げようとすると、ギルバードはあはははっと笑って距離を取った。そこへコツコツと、小屋のドアに小石がぶつかったような音がした。毛布を被ったままの彼が立ち上がる。


「ギルバード?」

「大丈夫。ちょっと様子を見てくるだけだよ」


 何だろう。これ。ギルバードのことを警戒していたというのに、勝手なものだけどここに自分ひとり置いていかれるのは嫌だった。

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