第9話・僕はきみ以外の女性と婚姻はしない


「そうよ。口だけにしておきなさい。リーズはやりかねないから」

「オルリー」


 リーズの発言を諌めながら、食堂に入ってきた黒髪の女性に皆が注目した。琥珀色の瞳には意志の強さが伺えた。彼女は侍女たちのなかで一番年上。十九歳のリーダー格だ。彼女には初対面からして初めて会ったような気がしなかった。郷愁のような理由に説明のつかない感情を感じていたけれど、今なら分かる。彼女はわたしが前世、日本人だった頃の髪色や瞳の色を持っていたからだと。今更ながら納得した。


「ジェーンさま。お話は伺いました。ご立派です。婚約破棄されたというのに泣きもせず耐えられて」

「オルリー。やめて頂戴。別に耐えてるわけでもないし、ギルバードとは婚約破棄したの。された側ではないわよ」


 あなたまでそんな事をいうの?と、目を向ければ、彼女はキッと後ろを振り返った。彼女は怒っていた。その怒りを背後の者に向けているようだ。彼女が声をかけて来た時から誰かを伴なってる感じはしたけれど、誰なのだろう。こうまであからさまに彼女の怒りを買った者は。彼女の顔は今、般若のようだろう。彼女の背中を見つめながら、彼女の怒りをまともに受けてる相手に同情した。


「だ、そうですので、あなたさまをお通しするわけにはいきませんわね。ギルバードさま」

「えっ? ギルバードが来てるの?」


 オルリーが連れているのがギルバードと知り思わず声をあげると、皆が鋭い視線を一斉にオルリーの背後に向けた。彼はその視線の鋭さに「ひいっ」と、怯えながらも声をかけてくる。


「や。やあ。ジェーン」

「あら。ごきげんよう。何をしにいらしたの? ギルバード?」

「何をって僕ときみとの仲じゃないか?」

「あらまだ父からあなたのお父さまにはお話が行ってないのかしら? お父さまは朝一番に婚約破棄を突きつけてくるといっていたけれど?」


 せっかく別れてあげたんだからメアリーのところに行けばいいでしょうに? と、思いながら口元をナプキンで拭う。朝からあなたの顔は見たくなかったわね。

 椅子から立ち上がり、食堂の入り口に立つオルリーの脇を通り過ぎようとすると、彼女の後ろにいたギルバードが腕を掴んできた。


「何するの? 放して」

「父やきみの父上からは話を聞いた。でも僕はこんなのは認めない。僕はきみを諦めない」

「ご勝手にどうぞ。わたしのあなたへの気持ちは冷めましたわ。そうでもして我がパール公爵家との縁を逃したくないんですの? あなたがた親子は浅ましいですわね。メアリーさまを擁立なされば良いではありませんか」


 彼が今までわたしを婚約者として認めてきたのは、父親の勧めによるものだ。本人の意思ではないだろう。そこまでして王配の立場が欲しいならわたしのライバルとされているメアリーさまに靡けば良いではないかと言うと、ギルバードは顔を朱に染めた。


「僕はなんと言われようときみがいいんだ。メアリーさまとは何もない」

「そんな戯言をわたしが信じるとでも思って?」

「ジェーン」


 彼は腕を強く引き、咄嗟の事で彼の側に倒れこみそうになったわたしの顎を掴んで唇を重ねてきた。


「……!」

「僕の気持ちをきみは分かってくれていたと思ってた。僕の勘違いだったのか?」


 真摯な瞳に心を射抜かれて、情けなくもわたしは彼を突き放せなかった。再び彼に唇を奪われてされるがままになってしまった。


「無礼なっ。離れなさい」


 オルリーが二人を引き離そうとしなかったなら、わたしはギルバードにいいようにされていたことだろう。オルリーはわたしの前に立ちはだかった。他の侍女たちも周囲を囲む。


「ジェーン」

「もう終わったことです」


 乞うような目を向けてくるギルバードに別れを告げるのは辛かった。彼とともに過ごしてきた日を思えば多少なりと情は残っている。


「どうぞお帰り下さい。ギルバードさま」


 オルリーがわたしの気持ちをくんだように言う。今にも彼に対し報復しようとするリーズを手で制しながら。侍女らはギルバードを睨み付けていた。ギルバードは彼女らの顔を順番に見て引き下がることにしたようだ。


「分かった。でもジェーン、覚えておいて。僕はきみ以外の女性と婚姻はしない」


 そう言い残すと、颯爽と彼はこの場から退散した。そこには婚約破棄をされて情けない顔をした男の雰囲気はなかった。ただわたしの唇に熱い微熱だけが取り残されていた。

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