第6話・ギルバードと婚約破棄させて下さい

 帰宅したわたしにはやることがあった。まずは友人のナミア嬢への謝罪。帰りの馬車でこのまま彼女のもとへ行きたかったけれど、一応、貴族の間では訪問時には、まずは遣いの者を出す事が常識となっているので、シーグリーン家の馬車で帰宅後は、彼女への謝罪の手紙を書いて遣いの者へ渡した。


 その後、書斎にいる父の元へ向かう。これはわたしにとって非常に大切なことだ。今が分岐点に立っている様な気がする。自分が生き延びれるかどうかの瀬戸際と言うか。トントンとドアをノックすると、入りなさいと声が返ってきたのでドアを開けた。


「お帰り。ジェーン。ギルバードとのデートは楽しかったかな?」

「最悪でしたわ。お父さま」

「ギルバードと喧嘩でもしたのかい?」


 銀髪に青い目をした美丈夫が明るく出迎えてくれる。わたしはこの父親に良く似ている。その為、父は四十代半ばだというのに、娘のわたしと並ぶと年の離れた兄と言っても通用しそうな、若々しい容姿をしていた。

 母親は体の弱い人でわたしが生まれて数年後に亡くなった為、父は母の忘れ形見となったわたしを過保護に育てた。そのわたしに父は弱い。わたしの願いに父はきっと応えてくれるはず。わたしは父の目を見据えた。


「お父さま。わたしひとつお願いがありますの」

「何かな? ジェーン?」

「わたし、ギルバードと婚約破棄したいんですの」

「はあ? もう一度いってくれるかい?」


 父は聞き間違えたとでも思っているようだ。信じられないといった顔で目をぱちくりさせる。もう一度言ってみた。


「ギルバードと婚約破棄させて下さい」

「きみはギルバードを気にいっていたんじゃなかったのかな? 彼を許婚にしたのはきみの希望だったはずだけど?」


 父は怪訝そうな顔をした。そうでした。ギルバードとの婚約は過去のわたしが望んだことでした。初体面のとき非常に大人しい性格のわたしが、彼に見惚れて父の袖を引いたことで「彼と婚約する?」と、聞かれて頷いたことで決まった婚約でした。


「でも珍しいね。きみが積極的に動いてるだなんて。いつもは消極的なのに。きみに何か変化でもあったのかな?」

「ああっ!」


 父に指摘されて重要なことを思い出した。わたし、ジェーンは非常に大人しい性格なのだ。この行動は彼女を良く知る者から見ればイレギュラーな動きに見えることだろう。自分は過保護に育てられたこともあって、周囲が何でも先回りしてわたしの気持ちをくみ取って何でもしてくれたおかげで、自分から積極的に発言することはなかったのだ。高位貴族令嬢なら皆大抵そうだ。自分だけが特別ではないけれど、そのせいでギルバードやその御者は驚いていたのかと今更ながら気が付いた。


 ゲームの中のジェーンは、誰かに話しかけられてそれに応える形となっていた気がする。自分からは行動しなかった。だから周囲に振り回されて……。


「ジェーン? 大きな声を出してどうしたね?」

「いえ、何でもないの。お父さま。あの、ギルバードだけどメアリーさまと良い仲だと伺いました」

「そのことはもうすでにきみの耳に届いてしまったのか? なるべく彼の不実な話は耳汚しになるからきみの耳に入れることのないようにと使用人たちには命じていたのに。効果はなかったみたいだね?」


 父はあからさまにガッカリした様子をみせた。ギルバードを盲愛していたわたしの為に彼の他の女性との浮気話を耳にする事のないように隠してくれていたらしい。使用人の誰かが漏らしたのだろうか? と、父が疑心めいたことを言うのでわたしは首を横に振った。彼らは誠実だ。主人の命を忠実に守ってくれていたのだから。


「お父さま。わたし、目が覚めたのです。今までわたしは彼の事を信じすぎていました。これではいけないと思ったのです。お父さまはわたしが王位に着く事をお望みですか?」

「ジェーン。きみ……」

「わたしは王位を望んでいません。わたしには荷が重過ぎます。彼と一緒になるということはいずれ、血塗られた王位がわたしに回ってくることでしょう。わたしは不幸になりたくないのです。慎ましやかな生活でいいのです。穏やかな暮らしをおくりたいのです」


 父はわたしの言葉に目を丸くしていた。今まで己の立場など理解せずにギルバードに惚れた弱みで、自ら彼の父の駒になりかけていた娘だ。その娘からそのような発言が出るとは思っていなかったに違いない。

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