第5話・失職したらうち来る?

 今のわたしはギルバードに特別な想いはない。百パーセントないと言い切れる。逆になんでこんな尻軽な男に引っかかってたんだか。と、過去の自分を呪いたくなった。目から鱗が取れたような思いだ。


「メアリーね。ずいぶんと親しい仲でいらっしゃる」

「誤解だ。ジェーン、嫉妬してるのか? 彼女とはなんでもない」


 ギルバードは取り繕うのに必死だった。だから気がつかなかった。自分がミスしたことに。許婚でもない女性の名を総称もつけずに呼ぶとはかなり親しい仲であることを表している。メアリーはしかも一応、現王の姉ぎみなのだ。呼び捨てにするだなんて公の場でなら無礼にあたる。ここでもギルバードは間違えた。


「夜会にご出席されたメアリーさまの胸には七色の薔薇が輝いていたそうですね? 皆の関心を惹いたとか? その薔薇の下には何が隠されているのでしょうね? わたくしにも七色の薔薇を見せてくれるお約束でしたけど、何だか興味を失いましたわ」


 この男への好感度は下がる一方だ。どうせメアリーの胸元を飾っていた七色の薔薇の下にはあなたのキスマークが隠れていたのでしょう? と、当てこするように言えば、「な。何を言うんだい? この僕がそんなことするわけないよ。僕はきみだけを想ってる。信じて」と、腕に取り縋ってきたが気持ち悪く思われて振り払った。


 やりちん男には触れられたくもない。さっさとこの場から退散しようと馬車に乗り込んだ後、後に続こうとした彼の目の前でドアをパタンと思い切り閉めてやった。するとその音で振り返った御者と目があった。


「あなた、あの時の?」

「ジェーンさま」


 御者が気まずそうな顔をしていた。ここに来る時はギルバードしか見てなかったので御者のことなど目に入ってなかった。でも、彼は先週、ギルバードがお腹の具合が悪くなったので来れなくなったと断りの知らせを持ってきた御者だった。そんな顔をするということは多少なりと罪悪感があるに違いない。わたしは命じた。


「出して」

「へっ?」

「馬車を出しなさい」

「ジェーンさま?」

「早く。あの男の顔などもう二度と見たくないわ」


 行きの馬車のなかでは御者が目もあてられないくらいに、わたし達は仲の良さをみせつけるようにいちゃいちゃしていた。それが帰りにはなぜか主人ギルバードは馬車の外に締め出され「誤解だっ。ジェーン」と、叫んでいる。


 御者はわたしの異変についていけそうになく、ぽかんと気の抜けたような顔をしてるので、そこに喝を入れるようにわたしは言った。


「あなたのその耳は飾り物なの? 急いで馬車を出しなさいっ」

「はっ。はぁいいい」


 わたしの急かす声に促がされるようにして馬車は動き出した。馬車の外から「ジェーンっ。待ってくれ~!」と、いう声が追いかけて来たが無視をした。まさか自分が置いてけぼりになるとは夢にも思ってなかっただろう。それも自分の家の馬車にだなんて滑稽だ。彼の目の前でドアを閉めてやった時の彼の顔ったらなかった。あ然としたあの男の顔は見ものだった。


 ふだんはあいつに振り回されてきたんだもの、これぐらいは何てこと無いわよね。すっきりした面持ちでわたしは許婚の馬車で帰宅を果たしたのだった。


 わたしにパール公爵邸の前で解放されたシーグーリン家の御者は、冷や汗をかきながらすぐに主のもとへ引き返そうとしていた。主の許婚に唆された形とはなっても主人を見捨てる気はないらしい。主の尻拭いまでさせられる御者なのに、しっかりした使用人のようだ。

 帰ろうとした彼を引き止めて「失職したらうち来る?」と、聞いたら青ざめて「ギルバードさまぁあああ」と、叫びながら馬車をガラガラと走らせて去っていった。あのような尻軽男に仕えさせておくのは実に勿体無い。うちに欲しいくらいだ。そう思いながらわたしは玄関に足を向けた。

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