8.おののく朝嵐

瑠久は砦二階の寝床にて、建物を叩きつける風と雨の音で目を覚ましました。

起き上がって小窓から外を見ると、朝とは思えないほど暗い雨雲の下、水桶をひっくり返した様な雨が降りつけていました。遠くから雷鳴も聞こえてきます。

まだ眠っている柾と夜葉を起こさないように集会場所に降りると、瑠久の家族を含む人々が皆、張りつめた表情で待機していました。

外では嵐の中、何人もの人が砦を囲んで見回りしているようです。

「瑠久、起きたのね」

お母さんも瑠里も、寝不足の顔をしています。

瑠久は周囲の雰囲気に合わせて、小声で答えました。

「うん…みんなは大丈夫?」

「昨晩は何も起こらなかったけれど、これからはわからないわ…」

いつ、何が起きてもおかしくない状況の中で一夜を過ごした人々の間には、緊張と疲労がない交ぜになった雰囲気が漂っていました。

夜葉と柾、そして他の島の子どもたちも起きてきて、集会場所に集まりました。

「食事の用意が出来たわよ。子どもたちと手の空いた人から、順番に食べていって」

おにぎりと漬物、干し肉の簡単な食事をしているところに、宗助と村長が何人かの男の人たちと外から戻ってきました。

「父さん!」

「瑠久、眠れたか?…ああ、濡れてしまうぞ」

宗助は駆け寄って抱きつこうとする瑠久の頭を撫で、お母さんから受け取った水を飲みながら微笑みました。

「お疲れ様…外の様子はどう?」

お母さんが尋ねます。

「まだ動きはないが、嵐がいよいよ激しくなっている。この天気に乗じて、襲ってくるかもしれん…」

「!…」

一同は、緊張の面もちで俯きました。

「いる者で集まれ!最後の確認をしよう」

村長が、建物内の島民たちに呼びかけ、話だしました。

「奴らはもう、いつ襲ってきてもおかしくはない。有事の際には鐘を鳴らすから、各自、確認した持ち場に着け」

雷鳴が遠くから響く中、村長は大人たちそれぞれの役割を、確認しました。

「…言っておくが、元々この戦いは俺たちに有利なはずだ。このヤマトの国はもう二百年ほども外国との戦争はしちゃいないが、古い兵法書によると、戦(いくさ)ってえのは攻めるより守る方がずっと優位らしい。それに奴らはせいぜい数十人、対して俺たちは五百。こっちが圧倒的だ」

村長は、設備についての確認もしていきます。

「防壁には、こちらから矢を打てるように穴が設けられている。」

さらに、戦いの手立ても共有し直しました。

「白兵戦になったら『集団で各個撃破』だ。必ず複数人で一人を相手し、寄ってたかって潰していく」

島民の女性の一人が、顔をしかめました。

「俺たちがやるのは競技(スポーツ)じゃない。正真正銘の武力衝突なんだ。それを忘れるな」

その場にいる全員が息を飲みます。

「先生ご夫妻…と瑠里さんには、ケガ人の対応をお願いしたい」

「はい」

両親と瑠里は、頷きました。

「それから…」

村長は固まっている子供たちに向かって言いました。

「子ども達は、これから案内する場所で避難だ」

村長は隅の小部屋に子どもたちを誘導すると、岩壁に密着して置かれているひとつの大きな木箱の側面を開けました。木箱の中は空洞になっており、隠れていた岩壁には、人一人通れるほどの穴が開いていました。

「ここは、直接坑道と繋がっている隠し通路だ。もちろん奴らなんぞに砦の中まで入らせはしない。だがそれでも何かあったら…。春花の指示に従って、ここから坑道に逃げろ」

雷鳴が再び、先ほどより大きく鳴り響きました。


************************************************


「あれ、春花は?」

瑠久は周りに尋ねました。子どもたちがひと固まりになっている中、春花の姿だけが見えません。

「大人たちと一緒に、周辺の見回りをしているよ」

「え、危ないんじゃ…」

「そう言ったんだけど、本人が聞かなくて。『襲撃の際には、少しでも子どもたちに素早い指示を出せるように』って」

「……」

瑠久は、黙ってうつむきました。その時島民の一人が、携行食が入った袋を手に周囲に話しかけました。

「誰か、見回りに出ずっぱりの人達に食事を届けてくれない?手が足りなくて」

「オレ、行ってきます!…大丈夫だよ、すぐに戻ってくるから」

瑠久は真っ先に声を上げました。お母さんは心配そうな顔をしましたが、少しでも何かの役に立ちたかったのでした。


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叩きつけるような雨の中、瑠久は食事を配り終わりました。

雨具を着てはいましたが、すでに首から背中にかけて雨水が入りこんでしまっています。

「冷たッ…」

顔をしかめながら建物に戻ろうとしていた瑠久は、春花とばったり出くわしました。

「あっ」

「ここにいたんだ…」

二人はどちらからともなく軒下の隅に並んで立ち、無言で雨に煙る森を見ていました。

ふと横目で見ると、春花は自分の身体を抱くようにして震えていました。

瑠久はほんの一緒だけ考えた後、自分の雨具を春花の肩にかけました。

「き、昨日の話の続きだけどさ」

「え…」

「オレ、これまでいろいろ悩みもあったけど…君と会って、自分の悩みがすごくつまんないことだって、気づいたよ」

瑠久は春花に向き直ると、真っ直ぐに彼女を見据えて言いました。

「ありがとう…。何かあっても、オレ、絶対に君を守る」

春花も、瑠久を見つめ返します。

「……」

二人は向かい合い、春花はじっとこちらを見つめてきます。

「?…どうし、た…」

尋ねようとした次の瞬間、瑠久は春花に抱き付かれて壁に押さえつけられていました。

「え…!?」

息がかかるほど、二人の顔が近づきます。


春花と瑠久は、お互いの瞳を見つめ合い――


「頭を下げて!!」

咄嗟に屈んだ二人のすぐ近くの壁に、奇妙な金属音を立てて何かが突き刺さりました。

火のついた矢だ!

防壁である柵の外から、火矢が次々と降ってきました。

「来た!来たぞ!!」

誰かが、風と雨の音をもろともせず叫び、砦の鐘が大きく鳴り響きました。

あちこちから叫び声が上がります。

武装した島民たちが徒党を組み、瑠久たちの横を走り抜けて持ち場に着こうとしました。

「子どもは避難しろ!だが奴らきっと、砦ごと火矢で…」

ドスッ!

嫌な音とともに声は途切れ、胸を矢で射ぬかれた一人が吹き飛ぶように倒れました。

「お前ら、さっさと行け!!」

怒鳴られて、あわてて春花と瑠久は建物内に避難すると、他の子どもたちと共に部屋に隠れました。

「盾を持って柵まで前進、打ち穴から攻撃を開始しろ!」

村長の声が聞こえてきます。

外では無数の叫声と、矢が防壁に当たる音。時折、金属同士を激しくたたきつけるような音も聞こえてきます。

島の子ども達は、固まって震えています。

そこへ、瑠久の両親と瑠里が入ってきました。

「みんな!」

瑠久の家族は、緊張した面もちで言いました。

「いいか。父さんと母さん、瑠里は、負傷者の治療に行く」

「夜葉ちゃん、柾くん、瑠久。絶対にここから動かないで」

瑠久達は、恐々としながらも頷きます。

瑠里は震え声の中に必死で笑顔を創り、言いました。

「いい?皆で無事に帰るんだよ。絶対に、皆で一緒に帰るの!」

六人は、互いに抱き合いました。


************************************************


しかし、両親と瑠里が出て行った後しばらくして。

「まずい、砦本体に火が燃え移った!!」

外から声が聞こえてきました。

「消火作業、急げ!」

「ダメだ、火の勢いが強い!人手が足りない!」

「!!…あなたたち、ここから動かないで!」

外のやり取りを聞いて、春花が飛び出していきました。

「くそ!い、行くしかねえ!」

瑠久と柾、さらには夜葉も、外に躍り出ます。

「な、何で出て来たのよ!?」

「君だけ危険な目に合わせるわけにいくかよ!!」

嵐と戦闘の轟音の中、怒鳴るように応酬しながらも必死で消火作業を始めました。

井戸から水を汲み、水桶を順に手渡していく作業をしながら周囲を見ると、矢の雨は止みつつも盗賊たちは防壁を乗り越えようとしています。それに対し島民たちは、槍や弓で必死に防壁から払い落としています。

防壁は壊れかけてきているものの、先ほどより盗賊の攻撃は弱まっているように見えました。

「な、何とか押してきているのか?」

「当然だ、元より戦力が違うんだ!みんな、あと少しだぞ!」

しかしその時、奇妙な咆哮が重なる様に響き渡りました。

どこから?誰もが周囲を見回し、しかしやっと気づいて上を見た先には。

野犬、イノシシ、鹿、タカ…動物たちが、北側の崖の上から!!

動物たちは、以前に見た狐と同様、異常なほど目を爛々と輝かせて島民たちに襲いかかりました。

数匹の野犬が一人に飛び掛かり、犠牲者は喉元に喰いつかれて倒れこみ、悲痛に叫びながら手足をばたつかせましたが、やがて動かなくなりました。

崖から滑り降りてきた鹿たちは雄たけびを上げて突進し、幾人もの島民が押し飛ばされ、蹴られ、そして角で胸を突かれました。

叫び声。炎と煙。悲鳴。思わぬ方向から、かつ予想だにしなかった攻撃を受けた防壁内は大混乱に陥りました。

轟音が鳴った先に目を向けると、崩れた防壁の向こうに鉄塊のような巨大な斧を持った男。さらに一斉に、盗賊が十数人がなだれ込んできます。

子どもの目でも分かるほど劣勢となった戦況の中、島民たちは次々と倒れていきました。

ついには。

「ダメだ…砦を放棄する。春花、子どもたちを連れて坑道内へ逃げろ」

村長が、絞り出すように春花に指示しました。

「そんな、親父!」

「早く行きやがれ!俺はこいつらを食い止める!…何人かついて来い、首領を直接叩くぞ!」

数人の男と敵陣に向かっていく村長を見ながら、春花は何かを振り払うようにかむりをふり、三人に向き直って言いました。

「…みんな、隠し通路に逃げるよ!」

しかし、ふいに野犬たちが狂ったように吠えたてながらこちらに突進してきました。暗い朝嵐の中で爛々と光るその眼は、確実に瑠久たちを捉えていました。

叫ぶ間も無く息を飲み、思わず目を閉じてしまったその時。


――ザンッ!!

その音にゆっくりと目を開けると、宗助が瑠久たちの眼前に背を向け、太刀を構えていました。足元には、野犬たちが横たわっています。

「瑠久!みんな、無事か!?」

「と、父さん!?」

宗助は、続けざまに飛び掛かってくる動物に応戦します。刀が舞うごとに狂暴な獣たちは切り伏せられていきました。

そこへ盗賊の一人が大きな山刀を携えて宗助と対峙しました。互いに得物を構えなおした一瞬の間の後、盗賊は間合いを詰め山刀を振りかぶると懐に飛び込み。

ガキンッッ!!

金属がぶつかり合う音と激しい雷鳴が同時に鳴り響き、切り結ばれた二つの刃が、嵐の中に閃きました。

「瑠久!早くみんなと逃げろ!」

相手を見据えながらも視線をわずかにこちらに向けた宗助の言葉に、瑠久達は慌てて踵を返して砦に避難しました。

砦の中は、負傷者の山。お母さんと瑠里は、まだ治療活動をしています。

「瑠久!坑道へ避難しなさい!」

「でも、みんなは…」

「私たちは後で追うから!早く他の子たちと…」

次の瞬間、砦の窓をふさぐ板が破られ、そこから盗賊達がなだれ込んできました。

異国の言葉で何事か叫び合いながら、中にいる人達に掴みかかります。

「瑠里!瑠久たちと逃げて、早く!」

お母さんは叫びながら、突き飛ばすように瑠里を坑道入口へ押しやりました。

「!っ」

なす術も無く坑道をひた走る瑠久達でしたが、すぐに背後から異国の言葉での怒鳴り声が聞こえてきました。

「あぅっ!」

その時、瑠里が足元の石につまづいて転んでしまいました。

「痛っ!…ダメ、歩けない!あんたたち、行きなさい!」

「そんな、姉さん!」

背後から、何人もの追跡の足音が響いてきています。

「行け、バカ瑠久!!」

「姉さああん!!」

瑠久は柾たちに必死に促されて、後ろ髪を引かれる思いで走りますが。

「逃げている者ども!我々は勝利した!抵抗は無意味だ!」

無我夢中で走る瑠久達の耳に、たどたどしいヤマト語での呼びかけと、そして瑠里の悲鳴が、ほぼ同時に聞こえてきました。

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