5.不吉な流れ雲
三人は、島の中央を目指すことにしました。
面積26町歩(※およそ262㎢)ほどのこの島には、中央部に島民の生活集落が設けられていることは三人も知っていました。
島の人々や瑠久の家族も、そこにいるはずです。
「盗賊たちはきっと、島のどこかにいるのよね」
「たぶんな。気を付けないと…」
「普通の道を避けた方が良いかな。見張られているかもしれない」
そこで三人は、あえて森の中を進むことにしました。
その道中で。
「おい、吊り橋だぜ」
行く手を崖が遮り、唯一、向こう側まで一本の古い大きな吊り橋が架けられていました。
崖の下には大きな川。流れが相当に速い上に深そうで、降りて渡るのはとても無理そうです。
「この橋を渡っていくしかないか」
「凄く古そうな吊り橋だけど、大丈夫かな…」
ゆらゆらと頼りなげに風に揺れている吊り橋は古めかしく、今にもどこかの縄が切れてしまいそうです。
柾が先導を申し出ました。
「一人ずつ渡った方が良さそうだ。俺が先に行ってみる」
それを受け、瑠久も言いました。
「わかった。次にオレ…いや、夜葉の方が良いな」
「う、うん」
夜葉を、わずかな時間でもどちらかの岸に一人にさせない方が良い、との判断でした。
最初に柾が、橋をゆっくりと渡り出します。
「思ったより揺れるぞ、気をつけろ!」
それでも何とか、柾は向こう岸にたどり着きました。
「よし…お前らも、本当に慎重に渡れよ!」
夜葉は瑠久に促され、恐る恐る足を踏み出しました。
「下を見ない、下を見ない…」
呟きながら橋の半ばまで来たところで、夜葉は不意に足を止めて耳に手を当てます。
「夜葉、どうした」
「…誰かが、あたしたちの来た方から、こっちに近づいて来てる」
「島の人か?」
「わからない。たぶん、二人くらい。…歩く位の速さだから、あたしたちを追って来てる、とかじゃないと思うけど」
夜葉は、例えるならイルカのように、特殊な神術の「波」を発し、その反響によって周囲の状況を知る能力を学んでいます。大人になってもっと術に習熟すればより詳細に把握できる様なのですが、7歳の彼女には、おぼろげに対象の位置や動きを察知するのが限界でした。
「このままだと、追い付かれそうか?」
「…ギリギリかも。距離はあたし達から2町(※200m強)くらい。でも、確かにこっちに向かって来てる」
いつの間にか空は厚い雲に覆われ、風が森をざわざわと、重く鳴り響かせます。
瑠久は、背後を振り返りました。うっそうとした木々の中には、風にあおられる枝葉以外に動くものは見当たりませんが、奥は暗く何も見えなくなっています。
「…わかった。とりあえず、急いで渡っちまえ」
「う、うん」
柾の声掛けに、夜葉は綱を握りなおして足を踏み出しますが、ドゥ!とふいに強風が吹き、つり橋を大きく揺らします。
「きゃああ!!」
「夜葉、しっかりつかまってろ!」
夜葉は、グラグラ揺れるつり橋に身体をこわばらせてしまっています。
(夜葉、急いでくれ!)
瑠久はのどまで出かかった言葉を飲み込み、こぶしを握りたびたび振り返ります。森の奥には、まだ何も見えません。
何とか渡り切った夜葉は、へたりこみながらも安どの表情を浮かべました。
「よし瑠久、急いで来い!」
柾が、呼びかけてきます。
瑠久はもう一度振り返り、誰もいないことを確認すると橋に足を踏み入れました。
ギシ…ミシ…と鳴り響く吊り橋は、予想よりはるかに不安定でした。
「ぐっ、うわ!…」
枕木が外れ何枚かの板が、轟々と流れるずっと下の川へ落ちていきます。
「きゃああ!」
「瑠久!」
「だ、大丈夫だ!」
瑠久は何とか体勢を立て直しますが、風はいよいよ強くなり橋の揺れが激しく、一歩一歩がとても遅々としたものになってしまいます。
夜葉は耳に手を当て、再び探知を試みます。
「ま、まずいかも。もう本当にこっちに来る…!」
またも強風が吹き、つり橋を大きく揺らします。
「くそっ…!」
瑠久は歯を食いしばって縄につかまり、やり過ごします。
「瑠久!もう少しだから落ち着い…」
柾の声が不自然に途切れ、夜葉の悲鳴が妙に遠く聞こえました。
――危険な人達とは、限らないじゃないか。
瑠久は、つり橋の縄にしがみつきながら後ろを振り返りました。
――そうさ、単に島の人達かもしれな
男が二人。
ものすごく大きな身体に、見た事もない異国の服装。
手にナタと弓。
瞬間、瑠久は飛び跳ねました。
「夜葉、行け!!」
柾の声がどこかで聞こえる中、いつか見た軽業師のように板を踏み越えます。
踏み出す足の動きが、妙にゆっくりと感じられました。
バキッ!という音。踏み抜けてしまった片脚。
あと少しで向こう岸に着けるつり橋の途中で、姿勢を崩し膝をついて前向きに倒れこんでしまった背中のすぐ上を、ヒュン…と風を切る奇妙な音とともに何かが飛んでいきました。
どこかで聞こえてくる叫び声は誰かの悲鳴か、自分自身のものか。
「瑠久、跳べええ!!」
前方で手を伸ばす柾に向かって跳躍。同時に、目の前の吊り縄が切れ、橋げたが下に落ちていきました。
間一髪で柾の手をつかみますが、がけ下に滑り落ちかけます。
「うおおお!!」
柾が引っ張りあげてくれ、瑠久も必死に這い上がります。
「こっち!!」
二人は、夜葉の声のする方へ走り出しました。
柾は走りながら後ろを見るやいなや、突然、念力を瑠久に放ちました。
衝撃で後ろに飛ばされ、何をするんだと考えるより早く、眼前を鋭い刃物の付いた矢が横切りました。
体勢を立て直し、必死で呼びかける夜葉と合流すると、あとはもう、めちゃくちゃに走り続けました。
どのくらい経ったでしょうか。
いつの間にか、三人は大木の根元に座り込んでいました。
最初は無言で荒い息をつき続けていましたが、息が整ってくると、夜葉が口を開きました。
「さっきの奴ら…」
「うん…」
会話はそれで終わりましたが、それだけで思っていることは疎通できました。
大人の男性ですら、あんなに大柄な人は見たことがありません。
顔かたちも、必死の状況でよく見えなかったとはいえ、何となく異国の人のように思えました。
「行こう。…行かないと」
瑠久の呼びかけに、ほか二人も無言で俯きながらも頷き、立ち上がりました。
周囲の察知を夜葉に頼みつつ、恐る恐る歩みを進めます。
しかし。
「おい、あれ…!」
村落があるはずの方向から、大規模な煙が立ち上っています。
「もしかして、島の村はあいつらの手に…?」
瑠久は、唇をかみました。
島の人や、そして家族は…。
「村がこういう状況だと、どこに行けば…」
夜葉の問いかけに、一同は沈黙してしまいます。
その時、四匹の狐が草地から姿を現しました。親子でしょうか、一匹のキツネが、三匹の子ギツネを引き連れています。
こんな状況でなければ、キツネにニッコリ笑って声のひとつでも掛けたのでしょうが…。
「この時期の子連れのキツネは怒りっぽい。離れよう」
ところが、様子が変です。三人が歩きだしても、子どもと一緒に追ってくるばかりか、時おり低いうなり声を上げます。
「ど、どうしたんだろう?怒らせちゃったのかな」
「…なんだ、こいつら?」
よく見ると、キツネの親子は ―子ギツネまでもが― こちらを睨み付け、毛を逆立てて低いうなり声を上げています。何より…目が、らんらんと光っているのです。夜でもないのに!
「何か変だ!逃げ…」
柾の言葉が終わる前に、キツネたちは親子ともども襲い掛かってきました。
柾が、夜葉に飛びかかった親ギツネを咄嗟に弾き飛ばします。しかし、キツネは逃げるどころか再び起き上がり、再び唸り声をあげて攻撃の態勢を取ります。
それどころか、幼い子ギツネたちも牙をむき出しにして吠えたててきます。
ついに、瑠久は親ギツネに飛び掛かられて姿勢を崩し、尻餅をついてしまいました。
柾は、まとわりつく子ギツネたちを振り払うのに必死です。
倒れこんだ瑠久の胸元に取り付き、大きく口を上げるキツネ。
夜葉が悲鳴を上げ、柾も叫び、瑠久は一瞬の中、自分に噛みつこうとするキツネの牙を見据えて――
「目を閉じて!!」
少女の声で三人がとっさに目をつぶると同時に、打ち上げ花火をさらに大きくしたような轟音と、瞑目していても視界が明るくなるほどの光が生じました。
「走って!」
瑠久は光と音で頭がグラグラする中で腕を引っ張り上げられ、導かれるままに走ります。
夜葉と柾も、なんとか着いてきている様でした。
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「こ、ここまでくれば、ひとまず大丈夫…」
息を切らしながらも、三人と少女は窮地を脱出しました。
「助けてくれて、ありがと…」
改めて顔を見合わせると、瑠久は少女の顔に見覚えがありました。
「あれ、きみ…」
「あなたは、あの時の…」
「瑠久、知り合いなの?」
「一回、会っただけだけど…」
「わたしは、三角 春花(みすみ はるか)。この島の村の、村長の娘よ」
少女は、名乗りました。
「あなたたち三人だけで、この島に?どうして…」
三人もそれぞれ名乗ったうえで、ここに至るまでの経緯を話しました。
「あなた、白澄先生の子なの!」
「知ってるの!?」
「ええ、安心して。ご夫妻も、お姉さんかな…瑠里さんも、無事よ。今は島の秘密の避難所に、島の人たちと隠れてる」
「ホント!?」
「瑠久、良かったな」
三人とも、胸をなでおろしました。
「避難所に行きましょう。ついてきて」
「うん!」
ひとまずの朗報と春花の道案内に、三人は元気を取り戻しました。
「あいつらは、異国の鉱業者よ」
周囲を警戒しつつ歩きながら、春花は言いました。
「コウギョウシャ?」
「鉱山で、金属や宝石…鉱物資源って言うんだけど、そういうのを掘り出す人達。それ自体はわたしたち島民と同じだけど、違うのは」
草や枝を踏み分ける、四人の足音。
「…違うのは、奴らはとんでもない無法者ってところ。資源がある場所を見つければ武器を持って乗り込み、土地の人達を追い出すか…殺して奪い取る」
瑠久たちは、息をのみました。
「め、めちゃくちゃ悪いやつらじゃねえか!」
「し!」
春花は人差し指を口に当てて三人の声を制しつつ、答えます。
「…そうよ。実質アイツらは、ただの盗賊」
「そんな人たちがいるなんて、聞いた事ないわよ…!?」
「もちろんヤマトには元々いないわ。顔立ちや服装を見たでしょう?さっきも言ったように、奴らは外国から来たのよ。この国から見てずっとずっと、西の方から」
「なんでそんな奴らがこの島に、…っていうか、この国に?」
「神晶銀っていう鉱物資源は、聞いたことある?」
瑠久は、新聞の記事を思い出しました。
「確かここヤマトの国にたくさん埋まっているかもしれないって、新聞で…」
「すごく貴重なものなんだっけ。学校で習った事あるけど」
夜葉が言葉を続け、春花は前を向きながらも頷きます。
「私達が使う神術に、すごく親和性が高い物質だと言われてるの。つまり生活に役立てたり、さらには…武器としても使えるのよ。でも貴方が言ったように、とても珍しい上に人工的に作ったりも出来ない。だからその相場は、金(きん)や金剛石(ダイヤモンド)以上になってる。ここヤマトは、そんな神晶銀が世界でも類を見ないくらい大量に埋まっている国だって、最近分かったのよ」
「じゃあ、この島にも…?」
瑠久の問いかけに、春花は先ほどよりも強くうなずきました。
「大鉱脈があるの。この島に。私たち島民が、見つけたのよ」
春花の口調がにわかに強くなったことに三人は少し戸惑いましたが、柾が話を繋げました。
「じゃあ…。こんな言い方もなんだけど、乗り込んできたやつらは『宝の山』を狙っているって訳か」
「そうよ。ただしこの国だけじゃなく、世界各地で問題になっているの。そんなあいつらに付いた名前は、奴らの国の言葉で…」
風が、木々をざわめかせます。
「…『資源盗賊(garimpeiro)』って」
いっそうの強風が、吹き付けてきました。
「ガリンペイロ…」
聞きなれない異国の言葉。
「…いずれにしても、許せないぜ!村の人をこんな目に合わせやがって!」
瑠久は、強く言いました。
「でもさ。そんな悪くて有名な奴らが、遠い国からはるばる海を渡って、捕まえられもせずに、この島に来られるものなの?」
夜葉が問いかけます。
「その通りよ。あいつらがこの島へ…というか、ここヤマトへ来ることができたのは多分、それを手引きした国があるから」
「ど、どういうこと?」
「っと…。話の続きは、また。避難所に着いたわよ」
そこは山肌のふもとに設けられた集落で、壁のように高い木の柵に囲まれています。
三人は夜葉の先導で門番に柵を開けてもらい、避難所に入りました。
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