手紙

 正直なところ、君へ宛ててこの手紙を書いていることが、あたしにはよくわからないんだよね。だってあたしは、君にこの手紙を読んで欲しくないはずなんだから。

 《化身》するときに、あたしに縁のあるものは消えちゃうってことだった。児童舎の先輩とか、畑仕事の先輩を儀式で見送って、帰ってくるとその名残が全部なくなっているのを見て、話には聞いていたけど、なんというか、凄いなあと思ったのを覚えているよ。その時は少なからず不安もあったんだけれど、今は、この手紙がそうやって読まれることもないまま消えていったらいいなあなんて思っちゃう。なんだろう、無茶苦茶だよね。自分でもそう思うよ。

 あたしね、凄く晴れ晴れとした気分なんだ。ようやくこの時が来たというか。それも不思議なんだけれどね。《化身》して、ティル・ナ・ヌォーグへ渡るのが嫌だった筈なのに、今はそれが嬉しいの。なんでだろう。

 いつか、秘密って言ったのを覚えているかな。確か、初めて精霊樹で赤ちゃんを見つけた日だったよね。ティル・ナ・ヌォーグはどんな場所だろうって君が言って、あたしは答えなかった。上手く誤魔化せてたかわからないけど、あの時すごくびっくりしたんだ。それで、ぽろっと口に出ちゃった、秘密だって。そんな正直に言わなくたって、適当に話を合わせておけば良かったのにね。でも、もしかしたら、君にだったから言えたのかもしれない。

 ちょうどあの前日、ひょっとして数日前だったかもしれないけど、ばばさまのところに行ってたんだ。相談しようと思ったの。あたし、《化身》なんてしたくない。こちらでずっと暮らしたい。どうしたらばばさまみたいに此岸に残れますかって。なんでそう思ったのか、今ではもう曖昧になっちゃったけど、とにかく児童舎での生活が楽しかったし、色とりどりの花とか蜜蜂が大好きだったし、あたしは向こうへ行きたくなかったんだよね。

 そしたら、こっぴどく叱られちゃって。精霊になって子をもたらすのはとても大事なことなんだ、それが生き物としての役目なんだ、自分こそその道から外れてしまったけれど、それを今までずっと後悔しているんだ、って。ばばさまの言っていることも、もっともだと思ったよ。だけど、だからこそ怖くなった。あたしが行きたくないって思った気持ちは、あたしたちの世界が素晴らしく輝いて見えたことは、嘘だったのかもしれないって、疑っちゃったから。あの時の寒気は、昨日のことのように覚えている。

 だから、誰にも話したくなくなった。ずっとずっと、あたしが此岸を離れるその時まで、自分の中に抱えておこうと思った。そうだね、ある意味で、あたしはあたしを守りたかったのかも。変わりたくなかったし、納得させられてしまったら、何か大切なものが消えてしまいそうな気がしたんだ。

 そうか、だからあたしは嬉しいんだね。あたしはあたしでいられて、あたしの気持ちを嘘にはしなかった。この世界が、みんなのことが、大好きなままでいられたから。

 ティル・ナ・ヌォーグへ渡ること、昔は怖いって思っていたかもしれないけど、今ではそうでもないかな。精霊になったら、今とはまったく違う感じ方をするんだろうし、ひょっとしたら此岸での出来事を忘れちゃうのかもしれないけど、少し、本当に少しだけ、新しい世界を見ることにわくわくする気持ちもある。きっと、君のおかげかな。事あるごとに、向こうで見られる景色のことを、それはそれは楽しそうに話していたから。そんなことないって言うだろうし、あたしがこんなだからよく覚えているだけかもしれないけど、でも、そうなんだよ。これもあたしの気持ち。

 そうすると、本当によくわからないなあ。どうして君に伝えようとしているんだろう。伝えてしまったら、壊れちゃうかもしれないのに。ありのままのあたしでなくなっちゃうかもしれないのに。そもそも、こうやって書き起こしているのも良くないよね。変えたくなくて、蓋をしていた気持ちを掘り起こしているんだもん。とはいっても、やってしまったことは仕方ないけど。

 このくらいかな。最後に、長く一緒に過ごしてきた君には本当に感謝しているよ、ありがとう。君の作った香り灯篭で向こうへ渡っていくのは、あたしにとって皮肉かもしれないけれど、でも、本当に良かったと思っているんだよ。

 じゃあね。もし向こうでも会えたら、どうかこの手紙のことは忘れて欲しい。けど、きっと仲良くしてくれたら嬉しいな。

 さようなら。

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