第58話「やり手」

「いくよ?」


 そう言って白雪先輩は丸っこいマグカップにコーヒーをつぐ。

 そして牛乳が入った小さいピッチャーを手に持ち、子供たちにコップの中が見えるようにしながら牛乳を流し始めた。

 

 なるほど、ラテアートか。

 何が起きるかわからない様子を見せているまなとは違い、目をキラキラと輝かせながら見ている一年生二人組は最低でも一度このラテアートを見ている。

 どうやら白雪先輩はこれで子供たちの心を掴んだようだ。

 

 とはいっても、ラテアートなんて簡単にできる物じゃない。

 手馴れた様子を見せる白雪先輩は底が見えない人だ。

 

 まず先輩が作ったのはミルクの入れ方だけで描ける葉っぱの形をしたラテアート。

 それを見た途端子供たち三人は歓声を上げる。

 完全に掴みはバッチリのようだ。

 

 そしてそのラテアートは俺の前に置かれる。

 

 ……これはあれかな?

 俺に飲んで消化しろと言いたいのだろうか?

 

 自分の前に置かれたラテアートを見て白雪先輩の顔を見てみる。

 すると、ニコッととても素敵な笑みを向けられてしまった。

 

 あなたそんな笑顔俺にしないでしょ。

 子供たちが大はしゃぎで喜んでくれているからご機嫌なのか、それとも俺に飲めと指示をしておきながら笑顔でごまかしているのか――おそらく両方だね。

 

 時間が経てば折角のアートが崩れてしまうため、俺は仕方なく目の前に置かれたラテアートを飲む事にする。

 すると子供たちからは大ブーイングだった。


 うん、中々に酷い役割を任されたものだ。

 

 そして飲み終えたコップはといえば――先輩に回収され、先輩はまたそのコップを使ってアートを描き始める。

 やっぱりこの人は鬼だと思った。


 しかし、注がれたコーヒーは絶品だった。

 使われているのはコロンビア産の深煎りフレンチローストだろう。

 お店で使われている奴だ。

 確かラテとかに向いているとして使われていると思う。

 

 白雪先輩は普段から無糖のコーヒーが飲みたいとよく言ってるくらいにコーヒーが大好きだから、作り方も心得ていたというわけか。

 でも、俺はブラックが好きなんだけど……そんな事言える雰囲気じゃないね。

 

 先輩は先程と同じようにミルクを入れるだけで、今度はハートのラテアートを作った。

 完全に手馴れている様子だ。

 クールに見えてかわいい物が大好きらしい。

 

「後でしばく」

「何も言ってないのに!?」


 子供たちが『しばく』という言葉を理解していない事をいい事に、平然と白雪先輩が俺に暴言を吐いてきた。

 暴力を振らない人だからいったい何をするつもりなのか。

 想像もしたくないところだ。

 

「ねね、次は私が飲んでもいいかな?」


 出来上がったハートのラテアートが俺の前に置かれると、物欲しそうな目を春野先輩が向けてくる。


 あれ、この人苦いの苦手なんじゃないのかな?

 これ見た目は甘そうに見えるけど、実際は砂糖が入ってないから苦いんだよね。


 まぁでも……いっか。

 こんなペースで飲まされ続けると俺が後で困るし。

 

 そう思って渡したのだけど――先輩は、飲んだ途端むせてしまった。

 そして涙目で俺の顔を見てくる。

 

「欲に身を委ねるからそんな目に遭うのよ」


 次のラテアートを作ろうと待っている白雪先輩が、春野先輩の様子を見て溜め息混じりに呆れた声を出す。


 欲?

 あぁ、飲みたいって気持ちが勝ったからか。

 だけど誰だっておいしそうな飲み物が目の前にあれば飲みたくなるのは仕方ないものだろう。

 現に、まなだって声には出さなかったけど飲みたそうにしていたわけだし。

 

 でもまなは、春野先輩の表情を見てこれが苦い物だと理解したのか、もう飲みたそうな目はしていなかった。

 本当に賢い妹である。

 

 ちなみに先程子供たちからブーイングがなかったのは、このカップを飲まないと次のラテアートが出てこないとそうそうに三人ともが理解したからだ。

 白雪先輩がコップを一つしか用意しなかったのもこれを狙ってのものなのだろう。

 やはりかなりのやり手のようだ。

 

「…………」


 春野先輩は残すのがよくないと思ったのか、顔を引きつらせながらコップを口に運ぼうとする。

 その手はブルブルと震えていて、飲む事を体が拒絶していた。

 

 砂糖を取ってくるか、ケーキを食べながら飲めばいいのだけど、今の先輩にはその考えが思いつかないらしい。

 仕方ない、このまま時間をかけると折角白雪先輩が掴んだまなの心が離れてしまうし、俺が飲んでしまおう。

 

「先輩、もらいますね」

「あっ……」


 先輩の手から優しくコップを取ると、俺はそのまま一気飲みする。

 それを見て春野先輩が恥ずかしそうに顔を赤くして顔をそむけたのだけど、いったいどうしたのだろう?

 しかもいつの間にか俺たちは注目を集めていたようで、主にお手伝いの女生徒たちと美優さんのお店で働く人たちが黄色い声を上げていた。

 

 あれ、俺何か変な事をしたかな……?

 

「ナチュラルにいちゃつくこのバカップルを学校で一緒にいさせていいのか検討が必要ね……」


 白雪先輩は白雪先輩でなんだか疲れた顔をしているし。

 おっかしいなぁ……。

 

 それから白雪先輩はコーヒーピックなどを使い始め、まなの顔を作って見せたり、かわいいキャラクターの顔を作ったりしてくれた。

 おかげでまなは大喜び。

 終いには白雪先輩の膝の上に移って作るところを覗き込んで見ていた。

 完全に白雪先輩の思惑通りらしい。

 

 ……いや、いったい俺に何杯飲ませるつもりなのかという話なのだけど。

 

「――それじゃあみんなも作ってみようか」


 白雪先輩はタプタプとなっている俺のお腹具合は一切気にしてくれず、まなたち三人にラテアートを作らせようとしていた。

 既に白雪先輩の素晴らしい作品に心を完全に掴まれていた三人は、やりたいと一生懸命に頷く。

 そのためまなが膝の上に座っていて動けない白雪先輩の代わりに、俺がカップを三つ取りに行く事になった。

 

「あれはいったい何してるの?」

「あっ、美優さん。白雪先輩がラテアートを作ってるんですよ」

「ラテアート……そっか、その手があったか……。ふぶきちゃん、見た目通りしっかりとしているというか、目をつけるところがいいね」


 美優さんも俺と同じ印象を抱いているようだ。

 正直白雪先輩はかなり頼れる存在と言える。

 あれで優しかったら完璧美少女だったんじゃないだろうか。


 つまり、白雪先輩に優しくしてもらえる女の子たちが彼女に惹かれているのは当然の事だったんだろう。

 

「それはそうと、翔太がいないんですけど何か知りませんか?」

「あぁ、あの馬鹿はなんか腹痛があるとか言って途中で帰ったよ」

「大丈夫なんですか……?」

「仮病だから大丈夫なんじゃない? ピンピンとして働いていたのに、ふぶきちゃんと目が合った途端逃げるようにして帰ったから」


 しょ、翔太……そこまで白雪先輩が苦手だったのか。

 さすがに黙っていたのは悪い事をしてしまったかもしれない。

 後でちゃんと謝っておこう。

 

「ほら、それよりも早く戻らないとふぶきちゃんがこっちを見てるよ」

「えっ……?」


 美優さんの言葉を聞いて白雪先輩のほうを見る。

 すると白雪先輩はニコッと笑みを浮かべて俺の顔を見ていた。

 

 しかし、目だけは笑っていない。

 

「す、すぐ戻ります……! あっ、美優さんも行きますか?」

「うぅん、せっかくまなちゃんが楽しんでるのに、私が行くとまた機嫌が悪くなるからいいよ」


 少し寂しそうにしながらも首を横に振る美優さん。

 今日こんなにも豪華なお誕生日会が開けているのは彼女のおかげなのに、随分と報われない展開だ。

 絶対にこの人の事はなんとかしないといけないだろう。

 

「――おまたせしました」


 俺はまなが美優さんに懐いてくれるように何か手はないかと考えつつ、カップを三つ持ってまなたちの元へと戻るのだった。

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