第53話「飴と鞭」

 そんな日々を過ごしながら二週間という時間が流れた。

 ただ、悲しい事に春野先輩の料理の腕が上がる事はほとんどなかった。

 必要不可欠な知識を植え付ける事ができたくらいだ。

 

「すみません、先輩。お力になれなくて……」

「うぅん、そんな事は――」

「謝らなくていいと思うわ。だって、どう考えても悪いのは美琴のほうだもん」


 春野先輩に対して頭を下げ、春野先輩がフォローをしてくれようとした時に口を挟んできたのは白雪先輩だった。

 とても呆れたような顔で俺たちの事を見つめている。

 春野先輩とは違い、ここ二週間で白雪先輩の実力は数段アップしていた。

 時間だってほとんどとれていなかったのに、彼女の集中力が凄かったと言わざるを得ない。

 盗める物は盗むとでも言いたげな観察に、美優さんや他の人たちがするアドバイスを聞いて自分の中に落とし込む素直さ。

 どうやら白雪先輩は自分が認めている相手の言葉はとても素直に聞くらしい。

 そんな人の腕が上達しないはずがなかった。

 

「白雪先輩、その言い方はちょっと……」

「いえ、あなたもわかってるんでしょ? 美琴は料理がしたかったんじゃなくて、あなたにくっつきたかっただけよ。そして教えてもらえる事が嬉しかっただけ。だから料理を教えてもらってる事にも集中せず、デレデレと嬉しそうに頬を緩めていた。それで上達するはずがないじゃない」


 珍しい、と思った。

 今の白雪先輩は春野先輩に本気で怒っている。

 こんな先輩は初めて見た。

 

「そんな言い方はしないでくださいよ。春野先輩だってちゃんと頑張っていたんですから、ね?」


 さすがに彼女が責められているのに傍観をするわけにもいかず、俺は白雪先輩を宥めながら春野先輩に視線を向ける。

 しかし、春野先輩は気まずそうに目を背けてしまった。

 

 ……あれ?

 

「ほら、本人も自覚があるんじゃない」


 呆れ顔で溜め息をつく白雪先輩。

 どうやら俺が間違えていたらしい。


「ち、違うの……! まなちゃんたちに私の手料理を食べてほしいと思ってたのは本当だよ……!? でも、冬月君に抱き着かれるとそれどころじゃなくなって……!」


 春野先輩は顔の前で両手を振りながらどうして料理に集中できなかったかを説明し始める。

 俺が思っていた、先輩は料理に集中しすぎて話を聞いていなかったのではなく、俺に抱き着かれている事に歓喜して興奮した事により話を聞いていなかったようだ。


 まぁそもそも抱き着いていないのだけど――ちょっと、頭が痛い。

 

「あの、春野先輩? 残り二日です。正直当日は僕も料理をするため先輩につく事ができないので、このままだと料理をしてもらうわけにはいかないです。子供たちのおなかを壊さすわけにはいきませんから」

「あなたも結構言うわよね」


 なんだか白雪先輩が『人の事を言えるのか』と言いたげな目で俺の顔を見てきたけど、食中毒を起こさせるわけにはいかないのできっちり言う。

 今までまじめにやっていたのに上達しなかったのだから仕方ないと優しくしていたけど、そもそもまじめにやっていなかったのなら話は別だ。

 

 でも――。

 

「ただ、残り二日あります。元々春野先輩の上達が間に合ってなかったのでバイト先には休みをもらっています。それで、どうしますか?」


 俺は春野先輩に最後のチャンスを作る。

 先輩が今日からでもまじめにやってくれるのであれば、正直十分すぎる時間だ。

 問題は、先輩がまじめにやってくれるかという事なのだけど……。

 

 先輩は俺に怒られたのがショックだったのか顔を上げてくれない。


 少し言い方がきつかったかな?

 もう少し優しい言い方をしたほうがよかったかもしれない。


 落ち込んでしまった先輩を前にして、俺は少し自分の言動に後悔した。

 すると、呆れた顔をしていた白雪先輩が春野先輩に近付く。


「忙しい冬月君に時間を作ってもらって厚意に甘え続け、更にチャンスまでもらえたのにその気持ちを無駄にするの?」


 優しい声で放たれた言葉は、飴なのか鞭なのか。

 どちらにせよ、決めるのは春野先輩だ。


「だって、冬月君怒ってるし……」

「怒ってる人があんな優しい目であなたの顔を見たりするの?」

「えっ……?」


 白雪先輩と春野先輩の視線が俺の顔へと向く。

 どうしようかと迷ったけど、ジッと春野先輩の目を見つめてみた。

 

「怒ってないの……?」

「怒ってないと言えば嘘になりますけど――先輩が思っているほどは怒っていませんよ。先輩と料理をしていた時間を俺も楽しんでしまっていましたしね」

「冬月君……」


 笑みを浮かべてみると、春野先輩の頬に赤みがさした。

 涙によって潤った瞳で俺の目を見つめてきている。

 

「誰かに手料理を食べてもらいたいという気持ちは凄くわかるんです。それに、相手がまなという事も嬉しかったです。ですから、その気持ちを大切にしてもらいたいんですよ」


 自分が作った物を誰かに食べてもらいたい。

 それは俺や美優さん、それに白雪先輩でも持っている心だ。

 きっと春野先輩が料理人を目指す事はないだろう。

 だけど、その気持ちは大切にしてもらいたかった。

 

 ――というのは嘘ではないけど建前であり、実際はただ単に先輩に悲しい顔をしてもらいたくなかっただけだ。

 彼女はとても優しい人だし、笑顔が似合う人だからね。

 それに、先輩がしてしまった事は言い換えれば俺の事を求めてくれていたという事であり、それは彼氏冥利に尽きる物なので嬉しくないはずがない。

 だから俺がしないといけないのは彼女を注意する事ではなく、彼女の事をフォローする事だった。

 

 ――この後、自分がしていた事が駄目だったと理解してくれた春野先輩はきちんと料理の練習に取り組むようになり、みるみるうちに料理の腕は上達した。

 やはりただ集中する事が出来てなかっただけで、要領はかなりいいらしい。


 まぁたまにくっつきたそうな様子を見せたり、甘えたそうに上目遣いをしてくる事はあったけどね。

 そういう場合は、数分休憩を取った時に抱きしめてあげる事で満足してくれたようだ。

 

 ……まぁ白雪先輩や美優さんたちからはバカップル具合が上がったとか言われてしまったけど、当日一品くらいは春野先輩が料理を出せるようになったので結果オーライだろう。

 ただ、一つ誤算があった。

 

 それは――当日、俺は料理やケーキ作りに参加させてもらえないという事だった。

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