第10話「よろしくお願いします」

「駄目じゃないです……」


 半ば無意識に口からそう言葉が出ていた。


 俺の言葉を聞き春野先輩はホッと自身の豊満な胸を撫でおろす。

 もしかしたら先輩は女の子として一線は引きたいと思っているけど、付き合う事をお願いしていながら勝手に一線を引くのは図々しいと思っていたのかもしれない。


「あの、それで……返事はどうかな……? やっぱり時間を置いたほうがいい……?」


 一度気が抜けてしまったからか、もう春野先輩は照れ照れな感じから戻れないようだ。

 不安そうに髪を指で弄りながら上目遣いで俺の顔を覗き込んでいる。

 お互い横になっているのだから上目遣いになる必要はないはずなのに、意外とあざとい先輩なのかもしれない。


 だけど、絶対これは素でやっている。

 そんな不思議な確信があった。


 それともう一つ、春野先輩の中ではここで断っていいという選択肢はないらしい。

 オーケーを出すか、日を改めるかという二択を迫られている。

 自然にこちらの選択肢を絞るところはさすが普段から生徒会役員をまとめ上げているだけはあると思った。


 まぁそれはそれとして――不安そうに俺の顔を見上げる表情や、落ち着きなく髪や耳を弄ってモジモジとするかわいい姿。

 至近距離にあるせいで先輩の体からするいい匂いが俺の体を満たすし、正直もう冷静な判断はできそうになかった。


「その……俺でよければ、よろしくお願いします……」


 気が付けば、俺はそう口にしてしまっていた。

 言葉に発してから自分が何を言ったのか理解するも、もう言葉にした物は取り消せない。

 なんせ、慌てて訂正しようとした時にはもう春野先輩が嬉しそうに笑みを浮かべて涙ぐんでいたのだから。


「ほ、本当に……!? 本当にいいの……!?」

「あっ、えっと、いや……」

「よかった……! 本当によかった……! 正直強引すぎて嫌われたんじゃないかなって内心凄く泣きそうだったんだけど、本当によかった……!」


 どうにか訂正しようとするも、あまりにも春野先輩が喜んでくれているので言葉をうまく出せない。

 しかも春野先輩は、俺の体に自分の体を預けながら口元に両手を添えて涙を流し始めている。


 言葉にした通り内心では俺が想像できないくらいの不安があったんだという事がその姿を見て伝わってきた。

 この状況で訂正なんてしたら俺はクズすぎるような気がする。

 何よりそんな仕打ち、今の春野先輩にできるほど俺は鬼じゃないんだ。

 もしここで訂正して別の意味で先輩を泣かせてしまったら、数週間くらい春野先輩の泣き顔が頭を過って寝られない気がする。


 ――という事で、もう俺はこの状況を受け入れるしかなかった。


 そうしていると、ギィーッと建付けの悪い屋上のドアが一人でに開き始める。

 先程俺が開いたドアは転んだ際に閉じてしまっていたのだけど、こんなふうにドアが開くなんて不思議でしかない。


 ……と、俺は現実逃避をしてみたのだけど、当然ドアが一人でに開く事なんてありえない。

 開いたドアの先に現れたのは、周りの気温を10度は下げているんじゃないかと錯覚させられるようなとても冷たい雰囲気を纏った女の子。


『氷の女王』と噂高い副会長――白雪しらゆきふぶき先輩だった。


 白雪先輩は春野先輩とは違い、名前と紐づくような真っ白で綺麗な髪をしている。

 身長は春野先輩と同じくらいのようだけど、胸の大きさは春野先輩と真反対なぺったんこ。

 ただ、透き通るように白い肌は決して春野先輩に勝るとも劣おらず、筋の通った高い鼻や桃色をしている小さな唇、そしてキリッとした目元は美人を印象付ける整った顔付きをしていた。


 冷たい表情が余計に彼女を美人に見せているのだろう。

 春野先輩とはまた別方面で綺麗な先輩だ。


 ちなみに、副会長なのに女王と呼ばれている理由は気にしてはいけないという事になっている。

 そっちのほうがかっこいいからとか、似合っているからというミーハーな理由なのだ。


 そしてこの副会長、男子が大嫌いな事でも有名であり、また、会長の事が大好きな事でも有名な人である。


 ………………どうして俺が現実逃避をしたくなったのか、お分かりいただけたかな?


 俺は男だからそもそも白雪先輩に嫌われている対象なのに、現在白雪先輩が大好きな春野先輩と一緒に横になっている。

 しかも春野先輩は俺の体の上に乗っていて、顔を真っ赤にしながら涙を流して喜んでいた。


 もうこれだけで、白雪先輩に目の敵にされる事は誰でも想像がつくだろう。


「あ、あの……」


 俺はてつく氷のような目で見据えてくる白雪先輩に恐る恐る声を掛ける。

 すると、とてつもない冷たい声で言葉が返ってきた。


「何?」


 それは、言い訳があるのなら言ってみろ、という意味が込められていそうなニュアンスだった。

 下手な事を言えば即処罰でもされそうな雰囲気だ。

 少なくともご機嫌、とは言えない目をしている。


「こ、こんにちは」

「はい、こんにちは。ところであなたはこんなところで美琴相手に何をしているのかしら?」


 あっ、意外にちゃんと挨拶を返してもらえた――と思ったのも束の間、すぐに挨拶から数段トーンを落とした声で白雪先輩が俺に質問をしてきた。

 若干脅迫じみているとも思える声色だ。


「だ、抱き合っております……」


 怯えから頭がちゃんと回っていない俺は、現在の春野先輩と自分の状況を第三者目線で見て、そのままを口にしてしまう。

 別に春野先輩の体に腕を回しているわけではないのだけど、二人の体が重ね合っている時点で似たような物だと思った。


 俺の言葉を聞いて春野先輩は湯気が出そうなほど顔を真っ赤にしているのだけど、逆に白雪先輩は体温が更に2、3度下がってしまったのではないかと思えるほどの冷たい表情で俺の顔を見下ろしてくる。


 凄く怖い――そんな表現ですら生ぬるいと思えるほどの冷たい表情だ。

 身が縮こまるというのを俺は初めて体感したかもしれない。

 正直蛇に睨まれた蛙状態だった。


「君は……冬月君よね?」


 な、名前まで知られてる……。


 春野先輩同様、俺は副会長である白雪先輩とも話した事がない。

 それなのに名前と顔を覚えられているなんて、はっきり言って恐怖しかなかった。


「噂はかねがね聞いているわ。同じ冬を連想させる名前だし、これは是非とも今後仲良くしてもらいたい物ね」


 いったい先輩が口にしている噂がどの噂を指しているのか、また、仲良くしてほしいというのは絶対言葉通りの意味ではないですよね、という確認をする事は怖くてできなかった。


 結局その後は何も問題は起きる事がなく、いつまで経っても生徒会室にこない春野先輩を呼びに来ただけという白雪先輩は、付き合う事になったからか甘えたそうに俺の顔を見つめていた春野先輩の腕を引っ張って生徒会室に戻って行き、俺は俺で時間がやばかったので慌ててバイトに向かう事になった。


 これだけを聞けば穏便に物事は済み、そして全校生徒が憧れる高嶺の花という彼女ができた事で幸せいっぱいの日々が待っているように思える。


 だけど――正直俺は、これからの春野先輩との恋人生活に不安を抱かずにはいられなかった。

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