第9話「高嶺の花はただ優しいだけじゃない」

 春野先輩は寝転がったままお互いの息が当たりそうな距離でジッと俺の顔を見つめてくる。

 顔は真っ赤のままだけど、先程の態度といいしっかりと芯が通った人なんだろう。

 この辺は彼女に抱いていたイメージと一致した。


 しかも先輩の髪や体からは花のようなとてもいい匂いがする。 

 香水みたいなきつい匂いじゃない事からきっと先輩の素の匂いなのだろう。

 体をくっつけられている事もあって自分の鼓動が凄く早くなっている事がわかる。


「別に、話す事なんてないですよ……」


 きっと俺の鼓動が早くなっている事は先輩の手が俺の胸に当たっている事でバレてしまっていると思うけど、先輩の雰囲気に流されないように俺は少し冷たく彼女を拒絶した。


 しかし、多分対面関係に置いては春野先輩のほうが圧倒的に上なのだろう。

 俺の形だけの拒絶はあっさりと見破られているようで、先輩はあえて顔を近付けてきた。

 お互いの唇が当たるんじゃないか――そう思うくらいの距離で、先輩は俺の目を覗き込んでくる。


「冬月君は本当に優しいよね。私を拒絶する言葉や表情に申し訳なさが出てるよ?」

「…………先輩は顔が真っ赤ですけどね。こんなふうに顔を近付けるのは恥ずかしいんじゃないですか?」

「うん、恥ずかしいよ。恥ずかしすぎて凄く胸がバクバクいってるもん」


 先輩は自分の右手を自身の豊満な胸に当てながら熱のこもった瞳で俺の目を見つめている。

 おそらく俺以上に鼓動が早くなっているんだろう。


 それに話は少しずれるけど、今日彼女が教室を訪れて目が合った際にすぐ逸らされていた理由はもう既にわかっている。

 あれは目が合うのが恥ずかしくて逸らされていたんだ。

 だというのに、今は顔を真っ赤にしながらも至近距離から俺の目を見つめてきている。

 

 目を合わせる事すら出来なかった女の子が、告白をして恥ずかしさが頂点に達しているであろう状態でも俺から目を逸らさない。

 それは、彼女の覚悟を表しているのだろう。


「先輩は、それなのに顔を背けないんですね」

「うん、ここで逃げたらきっと私は後悔をすると思うから」


 いつの間にか話し方も普通の感じに戻っている。

 これは取り繕おうとしているのもあるけど、覚悟を決めたからこそ恥ずかしさを押し下げられているのかもしれない。


 ……やっぱり、みんなに高嶺の花と崇められるような人は凄いなぁ。


「俺は……親がいません」


 ちゃんと話をしない限りは先輩が退いてくれない事を理解した俺は、ゆっくりと自分の事を口にする。

 春野先輩は黙って聞いてくれるようで何も言葉を発しない。

 だから俺は言葉を続ける。


「かなり貧乏ですし、毎日バイトで忙しいです。だからお付き合いして頂いたとしてもデートなんてまともにできません。それに……みんなに馬鹿にもされています。そんな俺は、あなたとつり合わないんですよ」


 先輩が付き合う事を求めるのには、当然デートなどの恋人らしい事をしたいというのが含まれている。

 だけど俺にはそれを叶えてあげる事はできないんだ。


 そして俺は同級生たちにすら馬鹿にされている。

 そんな俺なんかと付き合えば先輩が周りに何を言われるかわからない。

 彼女を幸せにするどころか不幸にしてしまいそうな俺には、先輩と付き合う資格なんてないんだ。


 しかし――。


「それだけ、かな?」


 春野先輩は不思議と落ち着いた表情で俺の目を見つめていた。

 いや、顔は真っ赤のままだから落ち着いているという表現は間違っているだろうけど、それでも不思議と安心感のある笑顔だ。

 まるで俺が言葉にした事なんて気にも留めてないとでも言いたげに見える。


「それだけって……」

「先に言ったと思うんだけど、私は君の事をちゃんと知ってるよ。毎日忙しくアルバイトをしている事も、生活に苦労をしている事も知ってるの。だからね、デートをしたいという気持ちは確かにあるけど、その事に関してわがままを言うつもりはないよ? 君に余裕ができた時にデートはできたらいいなぁ程度で考えてるの」


 デートは最初から諦めているから気にしなくていいと先輩は言ってくれている。

 女の子にこんな事を言わせてもいいのかと思ってしまうけど、デートをする余裕がない俺にとっては有難い言葉だ。

 春野先輩のような人ならこの場凌ぎの言葉だけという事もないと思える。

 きっと本心から言ってくれているのだろう。


「それにね、君の事を知らずに噂や生い立ちだけで判断している人たちに何を言われても私は気にしないよ。むしろ君の素晴らしいところを私だけがわかってるんだって誇らしく思っちゃう」


 先輩はニコッとかわいらしい笑みを浮かべて冗談めかすように軽く言ってくる。

 これは俺に気を遣ってくれているんだとすぐにわかった。

 綺麗で優しいだけじゃなく、しっかりと気を遣う事までできる。

 知れば知るほど俺とはつり合わない人に見えた。


「なんで……そこまで言ってくれるんですか……」

「好き、だからだよ……? 君の事が好き……だからお付き合いしたいの……」


 やっぱり、好きという言葉をするのはかなり恥ずかしいらしい。

 先程まであった大人びた姿は鳴りを潜め、告白をしてきた時と同じようにモジモジとして照れた様子に変わってしまった。


「俺なんかと付き合ってもいい事なんてないですよ」

「うぅん、絶対幸せだと思う。だって、好きな人と一緒にいられるだけで幸せだから」


「俺にはあなたよりも優先しないといけない事があります」

「うん、知ってるよ。それが君が頑張ってる理由だって事も知ってるから」


「俺……あなたに恋愛的な意味で好意は持っていませんよ……?」

「それも知ってるよ。だって、ちゃんと話すのは初めてだもんね? だからこれから私を知ってほしい。それで君にちゃんと好きになってもらうから」


「意外と……押しが強いですね……」

「夏目君に絶対退いたらだめですよって言われたからね……。強引に押し倒さないと、優弥には断られちゃいますよって言われていたの」


 俺は思わず笑ってしまう。

 最後の言葉は付き合う事になんて全く関係しない愚痴に近い物だったけど、おかげでどうして春野先輩がグイグイきていたかがわかった。


 そっか、翔太は最初から俺が断るとわかっていて、それで春野先輩にアドバイスをしていたんだな。

 それは春野先輩の事を思ってというのもあるけど、俺にとっても春野先輩と付き合うほうがいいと思ったからなんだろう。

 要は俺が思っていた、翔太と春野先輩が付き合うといい、というのと同じ考えだったというわけだね。


「その……ね? 好きでもないのに付き合うなんて――って周りの人たちには思われちゃうかもだけど、私はそれでもいいと思ってるの。だって、ただ振られちゃうよりも付き合ってもらえたほうが好きになってもらえるチャンスもあるんだもん」


 俺が笑みを浮かべていると、補足をしたかったのか春野先輩は言いづらそうにしながらも、俺が彼女に恋愛的な意味の好意はもっていないと言った事を受け入れた理由を話してくれる。

 言ってる事はわかるけど、まさか女の子から言われる事があるなんて思わなかった。

 どちらかというと男子の理論――というか、おそらくこれも翔太が入れ知恵したんだろうな。

 敵というと語弊があるけど、ほんと相手方に回られると厄介な奴だよ、翔太は。


 俺はこの場にいない親友の顔を思い浮かべて今度は苦笑いが浮かんでくる。


 そうしていると、何かに気付いたように春野先輩が慌てて口を開いた。


「あっ、でもね……やっぱり恋人同士がするような事は、ちゃんと好きになってもらってからがいいかな……。だめ、かな……?」


 照れたように顔を真っ赤にし、髪の毛を右手で耳にかけながらはにかむ先輩。

 不覚にも俺はその姿を見てとてもかわいいと思ってしまった。

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