第8話「高嶺の花は意外と押しが強い」

「あの……正直嬉しいです、そこまで言ってもらえて」


 今までこんなふうに温かい言葉をもらう事はほとんどなかった。

 翔太や美優さん、それに孤児院の人やバイトの仲間くらいだと思う。

 ほとんどは俺の事を馬鹿にするか、関わりたくないもののような扱いをしてくる人ばかりだ。

 だから春野先輩の言葉は素直に嬉しかった。


 春野先輩は俺の言葉を聞くと途端に目を輝かせ始める。

 おそらく期待してくれているんだと思う。


 だけど――。


「すみません、俺は春野先輩と付き合う事は出来ないです」


 俺は先輩の期待を裏切り、深く頭を下げて断った。

 多分今の俺は全校生徒が目と耳を疑うような事をしていると思う。

 正直他の人が同じ事をしていたら俺はもったいないと思ったはずだ。


 でもそれは、他の人が一般家庭で育っているからであり、俺とは違うからというのが理由になる。

 俺と同じような立場の人が先輩の告白を断ったのなら俺は納得すると思う。


 先輩は俺に断られる事を想定していなかったのか、絶望に染まった顔色で絶句してしまっていた。

 その表情を見て申し訳ない気持ちになってしまうけど、それでも俺の気持ちは変わらない。


 ……話が終わった以上、このままここにいても仕方がないよね。

 傷心の人を眺める趣味なんてないし、先輩も俺なんかにはさっさと立ち去ってほしいと思ってるだろうから、このまま黙って立ち去ったほうがいいと思う。

 どうせ翔太がこないのはもうわかっているし。


 この場に残るのは得策じゃないと考えた俺は足早に屋上を去ろうとする。


 しかし――屋上のドアを開けたところで、後ろから左手を引っ張られてしまった。


「ま、待って!」

「先輩……?」


 腕を掴みながら引き留められた事で俺は戸惑いながら先輩のほうを振り返る。


 するとちょうど風が強く吹き付け、春野先輩の綺麗な髪が風に流されるのが目に入った。

 先輩は今朝の時とは違い風になびかれる髪を気にも留めず、泣きそうになるのをグッと堪えるような表情で俺の顔を見つめている。

 一瞬だけ時が止まったような感覚に襲われた気がしたのはなんでだろう?

 もしかしたら、先輩の表情が綺麗で見惚れてしまっていたのかもしれない。


「り、理由……! せめて理由を教えて……!」


 俺は先輩に声をかけられた事でハッと我に返る。


「あっ、えっと……」

「なんでだめなのかな……!? もしかして私の事が嫌いだった……!?」


 振られたから嫌い――正直、発想が極端だなって思った。

 だけど先輩がそう考えるのも無理はないのかもしれない。


 春野先輩は誰が見ても絶世の美少女だと言うような容姿をしている。

 ましてや今は取り乱してしまっているけど、普段はおしとやかで上品な印象が強い先輩だ。

 そんな先輩に告白をされれば好きではなくても付き合おうと思う生徒がかなり多いと思う。

 だから振られるとしたら、既に嫌われていたと考えてしまうのかもしれない。


「ち、違います! ただ……元々告白をされると思ってここに来ていたわけではなかったのと、まさか春野先輩のような方に告白をしてもらえるとなんて思っていなかったから、頭が追い付かなかったといいますか……」

「わ、私待つよ!? ちゃんと君が答えを出せるまで待つから……!」

「そ、それに、俺は先輩のような方と付き合う資格なんてないんですよ!」


 意外と食い下がってくる春野先輩の勢いに押されながらも、自分が彼女の告白を断った最大の要因を告げる。

 告白されて混乱したというよりも、こちらの理由がほぼ全てだった。


 俺なんかじゃあ彼女にはつり合わないし、付き合ったとしても絶対に後悔させてしまう事になる。

 どうせ付き合っても後で振られるんだったら、元から付き合わなければいいと思ってしまうんだ。

 今ならまだ先輩の事を好きという感情はないから、なんとか退く事ができる。

 だけど付き合ってしまうと、俺は絶対に彼女の事を好きになってしまう。

 それがわかっているからこそここで退きたいんだ。


「ど、どうしてそんな事言うの……!? 私が君の事を好き、付き合う事に資格がいるって言うならそれだけで十分なはずだよ……!?」

「そうじゃなくて――って、うわっ!」

「きゃっ!」


 興奮した先輩がグイグイと体を近付けてくるのでじりじりと後ずさりをしていると、足がズルッと滑ってしまい俺は先輩を巻き込みながら転んでしまう。

 咄嗟に先輩を怪我させないようにギュッと抱きしめる事はできたけど、そのせいで受け身が取れず背中からコンクリートに打ち付けられてしまった。


 その衝撃で痛みが体を襲う。

 二人分の体重があった事と床がコンクリートだった事で衝撃が強く、少しの間息が出来なかったけどなんとか別状はなさそうだ。


「す、すみません……大丈夫ですか……?」


 俺は息ができるようになるとすぐに春野先輩の事を心配する。

 すると腕の中にいる先輩は顔を真っ赤にしたまま硬直していた。


 やばい、どっか痛めてしまったのかな……?


「あ、あの、本当に大丈夫ですか!?」

「えっ……? あっ、う、うん、大丈夫だよ……! 冬月君が抱き留めてくれたから……!」


 どうやら先輩も大丈夫だったようだ。

 若干テンパっているようにも見えるけど、何処か痛そうにする素振りは見えないので安心した。


 だけど――転ぶ際に春野先輩を抱きしめてしまったせいで、先輩の顔が凄く近い位置にある。

 先輩の手は俺の胸に添えられており、至近距離から潤んだ瞳でジッと見つめられていた。


「お、起きましょうか!」


 この体勢はまずいと思った俺は慌てて体を起こそうとする。


 ――しかし、春野先輩は逆に俺の体に体重をかけてきた。

 体勢の悪さで力がうまく入らない俺は、押し倒されるように再度コンクリートに寝てしまう。


「せ、先輩……?」

「ご、ごめんね……。でも、このままだと冬月君逃げちゃいそうだし……お願い、ちゃんとお話をさせて……」


 どうやら一度話が途切れた事で春野先輩は落ち着きを取り戻したようだ。

 普段のおしとやかな様子が戻ってきているし、声もとても優しい物になっている。

 だけどそれでも、俺の上から避けるつもりはないらしい。


「話って……」

「その、資格の話だよ……。さっきも言ったけど、付き合う事に資格がいるなら、私が君の事を好きって事で十分だと思うの……。でも、君は違う意味で言ってるんだよね……? だからその事について聞かせてほしいの……」


 やっぱり先輩は優しい人だし、人の上に立っている立場の人間なんだと思う。

 自分の意見をただ相手に押し付けるんじゃなく、ちゃんと相手の言葉を優しく聞こうとしてくれているからそう思った。

 こういうところもみんなから慕われるところなんだろう。

 だからこそ、こんなふうに優しくて素敵な先輩は俺にはもったいないと思うんだ。


 しかし、この時点で俺は少し春野先輩を誤解していたらしい。

 それは、話を続けた彼女の言葉と、強い意志が込められた瞳に見つめられた事で理解する。


「全て聞いた上で――全部、私が否定するから」


 聞き心地のいい優しい声から聞こえた言葉は、自分は絶対に退かないという意思が込められている物だった。

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