第5話「どうして高嶺の花がここに」
今日はほとんど翔太と一緒にいたけど、先生や友達から何かを頼まれた様子はなかったはず。
……いや、違うな。
一人だけ翔太に用事を取り付けている可能性がある人がいるじゃないか。
俺はふと今日頻繁にこの教室を訪れていた人の顔が頭を横切り、それ以上翔太に何も言う事はしなかった。
翔太がどう考えていてどんな答えを出すのかはわからないけど、俺が口出しをする事で何かしらの邪魔をする形にはしたくない。
ただ、もし翔太が彼女と付き合う道を選ぶのならその時は快く祝おうと思う。
それが親友としてできる精一杯の事だろうからね。
翔太を一人教室に残し、俺は屋上を目指すために登り階段がある方向へと向かった。
道中すれ違う度に顔を見られてひそひそ話をされているようだけど、一々こんな事を気にしていたら身が持たない。
しかしこの様子を見るに、どうやら
噂は一瞬で広まると言われるけど、ここまでの広まりようは誰か意図的に流している人間がいる気がする。
だけどまぁ、危害を加えてくるわけでないのだったら特に相手をするつもりはない。
数が多いのもそうだし、何より一々相手をしていたらきりがないのだ。
だからここは気付かないふりをするのが一番だった。
「――うぅん、やっぱりこの時期はまだ暑いなぁ……」
二階分階段を登って辿り着いた屋上は、まだ日が出ているせいかコンクリートがジリジリと焼けていて暑かった。
七月中旬でこれだと、本格的な猛暑になる真夏が今から憂鬱になる。
暑いし虫が湧くしで夏なんて大嫌いなのだ。
こんな暑い中で待たされるのは少しきついな。
翔太、早く来てくれたらいいんだけど……。
待ち人が早く来てくれる事を祈りながら俺は大きなフェンスが張られている場所に移動して下を覗き込んだ。
放課後になった事で自宅に帰る者もいれば、サッカー部や陸上部などの運動部が準備体操をしていたりもする。
ふと思うのは、普通の家庭に生まれていれば自分もあの中へ混じる事ができたのだろうか、という事。
小学生の時はみんながやってるサッカーを一緒にやってみたいと休み時間に眺めていたのを覚えている。
今だって部活というのに入ってみたいと思っているんだ。
ただ、そんな余裕は俺にはない。
だからこれは、叶わない望みなんだ。
――屋上から下にいる生徒たちを眺め始めてから数十分ほど経つと、ギィーっと屋上のドアが開く音が聞こえてきた。
予想以上に随分と待たされたけど、やっと翔太が現れたらしい。
「ごめん、翔太。用事があったのはわかるんだけど、俺もバイトがあるんだからさすがに――」
「――あ、あの、こ、こんにちは!」
「えっ?」
少しだけ翔太に苦言を述べようとすると、聞こえてきたのが男子の声ではなく耳障りのいい綺麗な女の子の声だった。
思わず振り返れば、そこにいたのは翔太ではなく綺麗な黒髪を長くまっすぐ下に伸ばした女の子。
女の子は誰もが目を奪われそうな綺麗な顔立ちをしており、俺はその顔立ちに見覚えがあった。
今日一日、嫌というほど目にした顔だ。
ただ一つ違うのは、緊張しているのか体がガチガチに強張っている事と、熱でもあるかのように顔が真っ赤になってしまっている事だ。
なんだろ、これ?
なんでこの人がここに……?
「春野先輩……? あれ、どうして先輩がここにいらっしゃったんですか?」
声をかけられた事から、先輩が何かしらの目的があって俺の元に来た事は既に理解している。
だけど、その理由が思い当たらなかった。
そもそも俺がここにいる理由は翔太を待っていたからであって、待ち人は彼女ではないのだ。
本当に彼女に声をかけられた理由がわからない。
しかし、春野先輩は俺の言葉を聞いても答えてくれなかった。
それどころか、両手を口元に当てて弾んだ声を出し始める。
「な、名前……! 名前知っててくれてる……!」
どうやら俺が名前を知っていた事に喜んでいるらしい。
もしかしてあまり名前を覚えられない人なのかな?
……いや、ないよね。
春野先輩は正直今まで見た中で三本の指に入るかわいさだ。
それだけでほとんどの人は覚えるだろうし、何より彼女はこの学校の生徒会長。
さすがにこの学校に通っている以上は彼女の名前を知っているはずだ。
……まぁ俺は、結構休みがちなのだけど。
「当たり前じゃないですか。いくら俺でも、生徒会長の名前くらいは知っていますよ」
「あっ、あぁ……そういう事なんだ……」
「えっ、いや、なんでシュンっとしちゃうんですか?」
生徒会長として名前は馳せていますよ、というフォローのような感じで伝えたのに、まるで逆効果だったかのように春野先輩は落ち込んでしまった。
なんだろ、何かが噛み合っていない。
というか本当にどうしてこの人はここに来たんだろ?
翔太はいったい何をしているのかな?
俺は先輩がここに来た理由や彼女に会いに行ったはずの翔太が今いない事について聞きたいと思うのだけど、なんだか春野先輩はかなりショックを受けているようで話を切り出せない。
あれ、本当にどうしてこうなってるのかな?
春野先輩がショックを受ける事なんて何もなかったはずなのに……。
「な、なんでもないの……。うん、なんでもない……」
うん、春野先輩はなんでもないと言っているけど、全然なんでもないようには見えない。
どうしよう、意図せずに先輩の事を傷つけてしまったのかな?
傷つけてしまったらちゃんと謝らないといけないと思うけど、今回ばかりは何で傷つけているのかがわからないため謝る事に少し渋ってしまう。
だって、理由もわからず謝るなんてただの形式であって相手も嬉しくないだろうからね。
それよりも、先輩が笑顔になってくれるように話を持っていったほうがいいかもしれない。
俺はどうするか決めると、先輩を警戒させないように笑顔で口を開いた。
「そういえば、この前芸能事務所にスカウトされたらしいですね? 芸能界の人に目をかけられるだなんて、やっぱり会長は凄い人なんだって思いました」
人によって差はあれど、こういうスカウトされた話は本人からすれば鼻が高い話だろう。
もちろんみんなから言われ慣れているだろうけど、何度されても気を悪くはしたりしないはずだ。
現に、会長の表情はパァッと明るくなった。
「私がスカウトされている事を知っているだなんて、冬月君は私に興味を持ってくれているのかな!?」
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