第三話

 少女は死に場所を求めていた。

 学校ではいじめを受け、これ以上は心が保たなかった。

 ふらふらと、遺書を握りしめたまま暗い住宅街を歩く。


 少女は、死に場所を求めさせられていた。

 児童公園が目に付き、大きな木の太い枝を認める。

 ふ、と笑みを零し、ふらふらと歩み寄る。


 少女は、死に場所を求めるように手を引かれていた。

 太い枝にロープを巻き、木に登る。

 ポケットに遺書を突っ込んで、首にロープを巻き付ける。

 後は飛び降りればいいだけだ――。



 ――少女はその日、妖怪になった。










「煙羅くん、聞いた?例の噂!!」

 今日も今日とて、煙羅の回りには女の子が群がっていた。

「例の噂?」

 クラスメイトの一人が言った言葉を反芻すると、「知らないのー?」と少しばかり胸を逸らした少女が言葉を続ける。

「児童公園に出る幽霊の噂!住宅街を練り歩いていて、目が合った人の首を引き伸ばして殺しちゃうんだって」

「引き伸ばす……?また奇妙な殺し方だな」

「それはね」

 別の女子がその後を引き継ぐ。

「……先月、この学校の生徒が児童公園で自殺したの。その時の死に方が首吊りだったんだけど、勢いが良すぎたのか、首の骨が折れ千切れて、首の皮だけで繋がってて、まるで首が伸びたみたいだったんだって」

「……へえ」

 離れたところで留羽がこの話に聞き耳を立てている様子を感じ取りながら、煙羅は口の端を少しだけ持ち上げる。

「それはそれは、また気持ちのいい話じゃねえな」

「でっしょー!で、いじめが原因で死んだその子が夜な夜な彷徨ってるって話だよ!」

「その話、私も詳しく聞いてもいいだろうか」

「あ……」

「ヒメ」

 己の席を立ち、煙羅の席まで歩いてきた留羽が、喜々として喋っていた少女の一人に声をかけると、その場がまるで水を打ったようにしんと静まり返った。

「えっと……詳しくは……私も知らないんだけど……」

「えー、俺もっと詳しく聞きたいなー。そういう怪談話、俺好きなんだよね」

「え、えっと……でも……」

「……私が居ては話しにくいのか?」

「そ、そういう訳じゃないけど……、……姫神さんもこういう話に興味あったんだなって、意外、で……」

「私だって年頃の娘だ。そういう怪談話に興味を持っても不思議ではないと思うが?」

「あ、そう……だね……」

――だからそういう物言いが人を跳ね除けるんだっての……。

 身長差では明らかに留羽のほうが負けているというのに、眼下から見つめられる黒い瞳の威圧感に負けて、クラスメイトの少女は明らかに怯えていた。

 それを見て煙羅はこっそりと溜息を漏らす。

「まあまあ、仲良く仲良く。……それで?その幽霊と出会ったやつとかいるの?」

「え?……ああ、うん……実は、何人か居て。いじめっ子だった人とか……噂では言われてるけど」

「実際には誰が、って言わないんだよね。警察って」

「何回かここにも警察来たよね」

「事情聴取された人ー!」

「あ、私されたよ。最初に自殺で死んだ子と同じクラスだったから」

「ほう、それは興味深い。……何を聞かれた?」

 手を上げた子に向かって、留羽が細めた目を向ける。

 びくっ、とした少女の姿に、だからそういう……と、煙羅は二回目の溜息を吐いた。

「えっと……その子、鈴鹿 りえ(すずか りえ)って言うんだけど、りえの前日の様子とか……そういうのを……」

「前日の様子?おかしいところでもあったのか?」

「え、えっと……」

「お前が怯えさせてどーすんのよ、ヒメ。ごめんねーコイツ昔から目つきも口も悪くてさー。俺に教えてくんない?」

「むぐ」

 堪らず席を立って、煙羅は留羽の小さな頭を掴んで頭を下げさせる。

「私は至って普通に……」

「それの何処が至って普通なんだよ、普通を学びなおしてこい。……で?で?前日からそのりえちゃんっておかしかったの?」

「煙羅くん……」

 助け舟が入ったことに少女は煙羅に対し少しばかり感動していたようだったが、声を潜めて、「ここだけの話ね」と話を続ける気になったようだった。

「数日前から、ロープを持ち歩くようになって。あ、これやばいんじゃないかなって思って、私、声をかけたことあるの」

「へえ、勇気あるね。それで?」

「そしたら、りえ、『私、死に場所を探しているの』って、笑顔で言ってたの……」

「なにそれコワーイ!」

「それだけじゃないの、『死んで、生まれ変わるの。神様がそう言ったのよ』ってブツブツ言いながら私を無視して行っちゃって……。流石に怖くて、それ以来関わらないようにしてたら、……本当に死んじゃって」

 回りを取り巻く少女たちの悲鳴に後押しされるように、りえという少女を知っているという少女の押さえ気味の声が少しずつ饒舌になる。

「それからすぐだよ、児童公園回りで幽霊の噂が立って、いじめっ子が立て続けに三人死んだの。首を伸ばされて、捻じ切れられてた。写真見たから間違いない」

「写真……それは警察に見せられたのか?」

「うん、警察の人が見せてきたよ」

 きゃーきゃー言う少女たちの歓声に煽られて少し心持ちが大きくなったのか、留羽の問いにも少女は深く頷いて返す。

「……ふむ。警察に行けばその写真が見られるのか……ぐぁ」

「いやー怖い話だねえ。あんまり夜遅くは出歩かないほうがいいのかな?」

「えっとね、この街には伝承があって」

 考え込む留羽の頭をぐしゃぐしゃかき回しながら、煙羅は誤魔化すように少女たちに言うと、また別の少女が口を開いた。

「午後六時に、街全体に鐘が鳴るでしょ?あの鐘が鳴るまではお化けは出てこれないんだって。昔、偉いお坊さんが街全体に術をかけて、お化けが出ないようにしたんだけど……鐘が鳴ってから朝の光が出てくるまではお坊さんの力が切れちゃうんだってさ」

「へえ」

「……ぉぃ」

「この街、色んな所に七不思議とかお化けの話とかあるよ。興味があるなら図書館で調べてみるのもいいかもだよっ」

「ありがとう、参考になったわ。俺、意外とそういう怪談話好きなんだよねえ」

「……おい、いつまで私の頭を撫で回している」

「あ、忘れてたわ。丁度いい手置きで」

「私の頭はお前の手置きではない、立場なら私のほうが上……むぐぐ」

「おおーっと手が滑ったー」

 文句を連ねようとした留羽の口を煙羅がそのまま頭からおろした手で塞ぐ。

 じたじたと暴れる留羽の腕をさり気なくしかし容赦なく後ろ手に纏め上げて、煙羅は留羽の動きを封じた。

 それは傍目から見るとじゃれ合っているようにしか見えず――。

「っ、私はもう行く!!」

 なんとか煙羅の腕から逃れた留羽が白い頬を僅かに怒りの朱に染めて教室を出て行く。

「……煙羅くんといると、姫神さん、そんなに怖くないね」

 その背を見送っていた少女たちのひとりがぽつりと零した言葉に、うんうんと何人かが頷く。

「お人形さんみたいで、ツンといつも澄ましてて」

「話しかけても最低限しか返ってこないし、流行の話とか振っても全然反応してくれないのに」

「……」

「煙羅くんだとやっぱり長年の付き合いとかそういうの?感じるよね」

「ねー」

「そういえば最近入ったコンビニのスィーツだけどさあー……」

 きゃっきゃっと別の話題に切り替わった少女たちの輪の中心に居ながら、煙羅は一人机に肘をついて小さく呟いた。

「……そーでもねえよ」









 三年の教室は二年の教室の上にある。

 自分の教室の喧騒から抜け出した留羽は、真っ直ぐ三年生である九鬼の元へと向かっていた。

「雨宮九鬼はいるだろうか」

「ぇ?あ、ああ、いるよ」

「呼んできてほしい」

「あ、ああ……」

 三年の男子を捕まえても留羽の言葉遣いも態度も変わらない。

 哀れな男子生徒は慌てて教室に戻り、九鬼を呼びに行った。

「ヒメ」

 程なくして、教室の入口に九鬼が顔を出した。

「九鬼。警察に行きたい」

 その九鬼に開口一番、留羽がそう言い、九鬼は少しだけ目を瞬かせる。

「また唐突だな……何か妖怪の噂でも掴んだか」

「自殺した少女の霊が妖怪化した恐れがある。これ以上被害が出る前に食い止めて浄化する」

「……ふん。……ここでは目立つな。次の授業はサボるか」

「元より」

「お前は少しでも授業に出ろ」

「最低限は出ている」

「最低限すぎるんだ。生徒会長である俺のところにまで問題児の噂は届いているぞ。……こっちだ」

「問題児の噂?」

 教室を離れ、ゆったりと歩き出した九鬼の後ろをついて行く留羽の足は早い。九鬼と留羽では歩幅に物凄い差があるのだ。

 だが歩幅を縮めるでも歩速を緩めるでもない九鬼のそれに、留羽も気にした風もなくついて行く。

「曰く、友人を作ることもせず孤立し、授業態度最悪な二年生の美少女の噂だ」

「他人の話だな」

「ヒメの話だ」

「私は孤立しては居ないし授業の邪魔もしていない」

「どうだか。……夜、あまり寝ていないだろう」

 案内されたのは生徒会室だった。

 鍵を開けて、九鬼が中へと留羽を促す。

「最低限寝てはいる」

「ヒメ、お前の最低限はぎりぎりすぎると言っているんだ。ほら、隈ができている」

「む」

 扉を閉めて鍵をかける。

 そうして伸びてきた手に、目の下を擦られて留羽は顔を顰めた。

「目の下の隈など」

「どうでもいいわけがない。お前はそんなに体が強い訳ではないのだからな」

「……」

「それに、ヒメの綺麗な顔が台無しだ」

「それはどうでもいいだろう」

「見るものは綺麗なものがいいに決まっている。……座れ。詳しい話を聞こう」

 自らもパイプ椅子に腰掛ける九鬼に勧められたパイプ椅子に腰を下ろしながら、留羽は首を傾げた。

「大体私の顔が綺麗だと?」

「綺麗だろう。一般に比べれば」

「顔の美醜は力に影響するからな……まあ、それなりに見れる顔だろう」

「そういう意味じゃないんだが……まあいい。それで?」

「今日、先月自殺した少女の噂を聞いた。確か名前は……鈴鹿りえ」

「ああ、彼女か。覚えている。児童公園で首吊り自殺をした、いじめの被害者だ」

「その少女が、妖怪化して人を襲っている」

「ほう」

 九鬼の黄金の目が細くなり、光を反射してきらりと光った。

「妖怪の名はまだわからないが、予想はしてある」

「言え」

「妖怪、ろくろ首」

 妖怪ろくろ首。

 それは、首が伸びて人を巻き殺すと言われる妖怪の名だ。

「……絞め殺されたという怪異は聞いたことがないが」

「ろくろ首は何も絞め殺すだけが異能ではない。力も強く、そして女が妄執の果てになり得る妖怪だ。今回の被害者――ああ、妖怪の被害者だが、首を伸ばされ引き千切られているらしい。恐らく、己の死に様に似せて恨みを晴らしているのだろう」

「成程。で、警察に行きたい理由は」

「写真が欲しい。被害者の写真だ。三枚ある。三人被害者が出ているらしいからな」

「それがあれば“狐”にろくろ首の居場所を聞けるというわけか」

「話が早くて助かる」

「……では、今日午後六時に警察署前に来い。手は回しておこう」

「本当に助かる」

「そこはありがとうが聞きたいところだが」

「ありがとう」

「心の篭もっていないありがとうをどうも」

「失礼な」

「本当のことだろう。“人形姫”」

「……その名は」

 九鬼がからかい口調で口にした名に、留羽が顔を険しくする。

「二度と口にするなと言ったはずだが」

「ああ、済まない。つい口が滑った」

 くつくつと笑う九鬼に反省の色はない。

 当然、口が滑ったなど嘘だと留羽にも分かっている。

 敢えてその名前を、揶揄のために口にしたのだ。

「……では、午後六時に警察署前で」

「ああ。……ん?何処へ行く、ヒメ。教室は今頃授業の真っ最中だぞ」

 立ち上がった留羽に、九鬼が声をかける。

「何だったらここで一時間歓談していこうじゃないか」

「冗談も程々にしておけ」

 ちらりと目線を九鬼にやって、扉の鍵を開ける。

「私は保健室で休んでくる。目の下の隈をなんとかしないと五月蝿い奴がいるのでな」

 ぴしゃり。

「やれやれ、振られてしまったか」

 言葉も態度も扉の音も全てが遮断を表していた。

 だが、一人残された生徒会室で、九鬼は可笑しそうに笑みを浮かべる。

「今生のヒメはからかい甲斐がある。なあ、天羽(あもう)――」

 そう、呟いて。









「またアンタか……お嬢さん」

「またあんたかは私のほうが言いたい。咲崎(さきざき)警部補」

 午後六時、警察署前。

 九鬼はおらず、居たのは初老の男性だった。

 咲崎警部補と呼ばれたその男は、がりがりと刈り上げた後頭部を掻き毟ると茶封筒を一つ差し出してきた。

「ご所望のもんだ。……また怪異絡みか」

「貴方達がそれを知る必要はない。……うん、三枚きちんとあるな」

「冷たいこって。で、そっちは新入りかい?」

「うぇっ?俺っすか?!」

 いきなり水を向けられた煙羅がその場で姿勢を正す。

「えっと、なんというかー……」

「私の使い魔だ」

「使い魔?」

 怪訝そうに首を傾げた咲崎に、煙羅は上手い言い訳をしようとするが何も思いつかず、

「あーえっと、……下僕みたいなもんです、ハイ」

 というのが精一杯だった。

「ゲボク?」

 当然、咲崎の眉間の皺は深くなった。

「……姫神、お前さん、また危ないことに手を出したんじゃないだろうな」

「危ないことしかしていない」

「お前さんなー……」

「あー……咲崎サン?はヒメと付き合い長いンすか」

「長いも何も、こいつがこの街に引っ越してきたときから知ってる」

 数年前だったか、と咲崎は記憶を辿るように目線を上に彷徨わせる。

「ありゃあ中学に入りたての頃だったか……」

「思い出話はいい。煙羅、目的のものは手に入った。行くぞ」

「行くって何処に……あ、咲崎サン失礼しまっす!!」

「おーおー忙しいことで。……煙羅、とか言ったか。今度時間があったら姫神の昔話を聞かせてやるよ」

「咲崎!!」

「おぉ怖や怖や、俺はおウチに引っ込みましょうかねえ」

 留羽が声を荒げるのは初めて見たな、と、笑いながら警察署内へ消えていく広い背中と、自分の手を取って引っ張る小さな背中を交互に見ながら煙羅は思った。









「来たねぇ」

「あ、お前、俺のこと売った古物商!!」

 店の奥、座敷になったところで寛ぎ、すぱーっと水煙管を吹かしている狐目の女に向かって、煙羅は叫ぶ。

 連れて来られたのは胡散臭い古物を扱う雑貨屋だった。そこかしこに札の貼られた壺やらいかにも怪しげな箱、水晶玉に奇妙な配置のなされた石達等がある。

「無事に出られたようだねえ」

 ケラケラと笑う女は悪びれもせず、そしてその煙羅の今の状況を知ってか知らずか怯えた風も無い。

「お前を売ったのは狐だったか」

 留羽が煙羅を見上げて言う。

「それなら納得だ。この狐ならやりかねん」

「狐じゃないって言ってるのにこの子は」

「狐だろう」

「狐だな」

「九鬼」

 留羽の言葉に上乗りするように言葉を繋げながら、店の奥から九鬼が顔を出す。

「先に来ていたのか」

「写真を手に入れたら真っ直ぐにここに来るだろうことは予想済みだ」

「やれ、可愛くない子達だよぉ全く。年寄りを敬うってことを知らずにこき使うことしか考えていない。シクシク」

「お前を封じずそのままにしてやっているのは誰の温情か忘れたか?」

「姫神留羽様その人で御座います」

「よし」

「……なあ、ヒメ、この女って……まさか」

「ああ、封印されてた時は気付かなかったんだろうねえ。私も妖怪さ、あんたと同じくねえ」

 こっそりと留羽に尋ねようとした煙羅の先を読むように狐目の女がケケと笑う。

「私は妖怪狐狗狸(こっくり)。よくコックリさんと言われたりするねぇ」

「狐だ」

「狐狗狸は狐と犬と狸と書くんだよ?」

「だから何だ、お前のその顔は狐だろう」

「顔で判断された……」

 留羽の容赦ない言い分に再びシクシクと泣き真似をする狐狗狸。

「狐、巫山戯ていないで妖怪の場所を導き出してくれないか。もう日が暮れて久しい。比売神の加護も切れている」

「比売神の加護?」

「嗚呼分かったよう。ヒメちゃん、写真は手に入ったかい?」

 煙羅の疑問を掻き消すように、狐狗狸が留羽に手を伸ばす。

「ああ」

 それに応じて、留羽が茶封筒を狐狗狸に渡した。

 狐狗狸はそれを逆さに振って床にばらまく。

「……うぇ」

「皆首を捩じ切られて死んでいるねえ。嗚呼惨い」

「惨いのはここまで彼女を追い詰めた者達だ。……狐」

「はいよぉ」

 留羽の急かす声に、狐狗狸はニィと笑い立ち上がると、店の奥へ引っ込んですぐに戻ってきた。

 その手にはこの街の地図が握られている。

「『写し真(うつしまこと)に宿るその怨念よ、その怨(えん)を縁に変えてまことの姿を隠ししあやかしの姿を指し示し給え』」

 狐狗狸が写真を撫で擦るように触れつつ言葉を紡ぐ。

 すると、ふわりと三枚の写真は空中に浮き、折り重なるようにして児童公園近くの林に落ちた。

「ふむ、その妖怪は林にいるようだねえ」

「あまり動いていない……まだ力は弱いと考えるべきか」

「力が弱いって?」

 九鬼の言葉に、煙羅が首を傾げる。

「妖怪化した直後は力が弱い。妖怪化した場所から妖力を吸い上げて生きているようなものだからな。あまり遠くへは離れられん」

「俺が復活した時みたいなもんか」

「そうそう、何事も“なりたて”妖怪は力が弱い。けどなぁ、人をもう三人も食ろうてるんやろ?この妖怪」

「……そろそろ動き出す、頃、か」

 留羽が呟いた傍から、ずずっ、と写真の束が動いた。

「動いた」

「……この動き」

「住宅街?」

「漸く、狙いのモンを見つけたのと違う?」

 留羽、九鬼、煙羅の言葉に似つかわない、のんびりした狐狗狸の声が響く。

「殺したのは主犯格じゃなかった……ってことじゃないかねえ?」

「っ、急ぐぞ、煙羅、九鬼!」

「あ、ヒメ、先に行くなって!!」

「狐、世話になった。また来る」

「もう来なくていいよぉー」

 ケラケラ、ケラケラと。

 狐狗狸の笑い声を背に受けながら、三人は走り出す。

 宵闇の中を、最後の被害者を出さないように――。









 その頃、宮沢 小百合(みやざわ さゆり)は怯えていた。

 もう何日も学校には行っていない。

 あの首吊り自殺があってから、そしてその後、次々と自分と一緒に鈴鹿りえをいじめていた者達が死んでいったあの日から、ずっと。

「私は悪くない……私は悪くない……!」

 そう呟きながら、ずっと布団にくるまって、満足に睡眠も取らないまま幾日過ごしたのだろう。

「あいつが勝手に死んだんだ、私は悪くない、私は悪くない……!」

 食事は昼間だけ食べることが出来た。

 夕食は手もつけられない。午後六時の鐘が鳴るたび、悲鳴を上げて布団に潜り込み、呟き続ける。

「私は悪くない、私は……」

『そう、私は悪くない……』

「ひっ!!!」

 分厚いカーテンの向こうで、声が聞こえた、気がした。

『何も悪くないのにいじめられて……いじめ抜かれて……嗚呼――恨めしや。憎しや』

 コン、コン、とガラス窓が叩かれる。

 ここは二階だと言うのに、その音は小石をぶつけるような硬質なものではなく――肉々しかった。

「ひっ、ひいいっ!!」

『この恨み晴らさず居られようか!』

 ずっ……。

「いやああああああああ!!!!!」

 白目を剥いた鈴鹿りえの首が、閉じられたガラス窓を抜けて、カーテンを抜けて、宮沢小百合の眼前へと飛んでくる。

 その首はぐねぐねと曲がりくねった長い長い首で――。

 

『 みぃ つ け たぁ 』

 

 そこまで見て、宮沢小百合は気を失った。









「遅かったか?!」

「いや、まだ間に合う」

 その頃、丁度宮沢小百合の家に辿り着いた煙羅の声に、息一つ切らせず九鬼が銃を取り出す。

 そのまま、天に向かって一発、銃を発砲する。

『……だぁれぇ?』

 気怠そうな声が二階の窓から聞こえた。

「げっ、気持ち悪っ」

「あれが妖怪ろくろ首だ。死人に取り憑いてその恨みを晴らしていたのだろう。元は人間、体に銃弾が効くといいが……っ」

 ろくろ首の無防備な体へと何発か九鬼が撃ち込む。

『邪魔を、するのぉ……?』

「殆ど効かず、か」

『邪魔をするなら、貴方から殺してあげるぅううう』

「ッ!!」

「九鬼!!」

 にゅるにゅると白い首が伸びて、九鬼へと巻き付く。

『あはぁ、そのまま絞め殺してあげるぅ』

「舐めるな、三下が」

 巻き付いた首を掴み、九鬼の目が光る。

「ハァッ!!」

『うぎっ……?!』

 手に込めた力を最大限活かし、ろくろ首の首を捻り切る。

 だが。

『それだけぇ?』

「くっ……やはり首は捻じ切れられても問題ないのか……」

 切られた首はしゅるしゅると音を立てて縮まって、体へと収まった。

 ただの少女のようにも見えるろくろ首。首の位置が前後逆さまでなければ、だが。

「すまない、遅れた……っ」

「「ヒメ!」」

 尺の違いはこうも大きいものかと実感し、肩で息をしながら留羽が駆け付ける。

 道の途中で留羽の足に合わせていては手遅れになるかもということで先行していた二人だったが、

「すまないのはこちらだ、結局無理をさせた」

「大丈夫か?ヒメ」

 結局の所、決定打を負わせる事ができないでいた。

「敵がいるのに大丈夫も糞もあるか。やるぞ」

『あはぁ』

 再びにゅるにゅると白い首が伸びる。

『可愛い子ぉ。……きっといじめられることなんてないんでしょうね』

 最初は嬉しそうに、そして最後は憎々しげに呟いたろくろ首の首が留羽へと迫る。

「そうでもないぞ」

 一息大きく息を吐いて、息を整えた留羽は、その迫る首へと、持って来ていた長物の布を解いてその切っ先を向けた。

 それは、白木で出来た木刀だった。鍔もあり、白く輝く刀身と握りを持った刀のようにしか見えない。

『そんなものぉ』

「そんなものかどうか、己が首で味わうといいッ!」

 斬ッ!!

『ひぎゃああああああ?!』

 先程首を捻じ切った九鬼とは違い、同じ首を引き千切ったというのにろくろ首の頭は明らかに苦悶の表情を浮かべて空中を悶えていた。

『焼ける、溶ける、灼ける、嗚呼――!!!』

「神木より削り出し、満月に晒し、霊力を高めたこの刀に切れぬ妖怪など有りはしない」

『ぎゃあああああ!!!』

「まずは体を討つ」

 静かに歩み寄ってくる留羽に、ろくろ首の顔は怒りに歪んだ牙を見せた。

『やらせるかぁああああああああ!!』

「煙羅!」

「やらせるかよ!!」

『ぐ、うぬうううううううう』

「が、ああああああああ!!」

 がっしと飛んでくる顔を掴み、睨み合う煙羅とろくろ首。

「そのまま抑えていろ」

「あ?」

『あ?』

 ガァン!

「体は、ブラフだ」

 ろくろ首の額に真ん丸の穴が穿たれる。

「そして、本命でもある」

 銃を構えたままの九鬼が凄絶に口端を釣り上げて笑う。

「ヒメ、仕上げだ」

「心得た」

 九鬼の言葉に留羽が頷く。

 素早く、左手の剣の印の形で九字を切り、右手に握る白木の刀身を撫でた。

 撫でる傍から白木の刀身は更に輝きを増し、白く発光し始める。

「臨める兵(つはもの)闘う者、皆、陣列べて前に在り。我が前に敵は無し、有るは全て、」

『やめ……止めろ……やめてえええええええええ!!!!』

「唯、散花の如く也!!」

 白木の刀身がか細い女子高生の首無し体を切り裂いた。

『えっ……?』

 ぶわ、と白い花弁が少女の全てを包み込む。

 そこに居たのは、きちんと首が繋がり、顔も元の位置に収まった、唯の女子高生だった。

「鈴鹿りえ」

 白木の剣を布に収めながら、留羽が語りかける。

『どうして、私……あいつらを取り殺そうとして……妖怪になった筈なのに……』

「聞け。妖怪とは心の在り様。お前の心を今、私が取り込んで浄化した。お前の心は既に妖怪にあらず、ただの人でしか無い」

『どうして……!!』

「お前は、人として死ぬべきだからだ」

『……!!』

「妖怪となり、恨みを晴らせば気は晴れよう。しかしその魂は穢れ、千年を妖怪として生きることとなる。その後輪廻の輪から外れ、万年を陰として生きることとなる。その後待つはただ消滅のみ。そんな死に方がお前に相応しいとは思わぬ」

『……』

「この家の者には必ず罰が下るだろう。お前の望む罰ではないかもしれぬが、必ず。それで許してやってはくれまいか。お前の魂を、これ以上穢したくはないのだ」

『……』

「返答や、如何に」

『……ふふっ』

「……何故、笑う?」

『だって、返答や如何に、なんて、時代劇でしか聞いたことなかったから』

「!!」

 女子高生――鈴鹿りえの幽霊の言葉に、留羽が固まる。

「あーあ、幽霊にまでヒメってば口調のこと笑われてら……って、九鬼?どうした?」

「時代劇でしか……ぶふっ」

「……こっちも爆笑だし」

「五月蝿いぞ、外野!」

『……いいわ、許さないけど、許してあげる。……絶対、絶対罰してよね。約束』

「約束だ」

 幽霊が差し出した小指に、留羽が小指を絡める。

『小さな手。……あんなに恐ろしかったのに、今はこんなに可愛いと思える。貴女は不思議な人ね』

「よく言われる。が、何のことはない、貴女と同じ、人の身」

『……もう行くわ。ありがとう、不思議な人』

「迷わぬよう、送り火を付けよう」

 ふうっと右手のひらの上を滑らせるように留羽が息を吹くと、小さな炎の蝶が辺りに舞った。

『綺麗……』

「さあ、逝くがいい。そして人として裁きを受けて……また、この地に戻るがいい」

 鈴鹿りえは少しだけ困ったように笑い、そしてその場から消える。

 残ったのは炎の蝶が空へと昇っていく姿だけだった。









「ふむ、上手く浄化させたようじゃのう」

 水鏡を覗き込み、鬼は嗤う。

「だがその淀みは確実にお前の魂を汚すぞ、比売神“はね”よ」









「すげー……」

 炎の蝶が空へ昇っていく姿は美しく、煙羅は思わず空を見上げて感嘆の声を漏らした。

「凄えな、ヒメ!妖怪を人に戻して祓うなんてやり方、俺初めて見た…………ヒメ?」

「ヒメ」

「……大丈夫だ」

 空へ向けていた視線を留羽へと戻すと、九鬼に支えられてなんとか立っている留羽の後ろ姿が煙羅の目にうつった。

「大丈……っく、ぅ」

 そして、その小さな体が半ば崩れ落ち、

「か、は……ッ」

 大量の赤を吐き出すのを。









「自滅で身を滅ぼすか、儂に食われるか、儂を殺すか」

 水鏡の前で、鬼は嗤う。

「いずれにせよ、貴様の命など、風の前の羽根に過ぎぬ。のう、“はね”」








 

第四話へ続く――。

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