第四話

「……ヒメの様子は」

「よく寝ている。最近はお前の尻拭いにあまり寝ていなかったからな」

「……なんだよそれ、俺の所為かよ」

「お前の責任だとは言っていない。ヒメが好きでやっていることだ」

「……いつからあんなふうに血を吐くようになってるんだ。あれが初めてって感じじゃなかった」

「勘が良いな。ヒメの吐血は今に始まったことじゃない。もう何度目か数えるのも馬鹿馬鹿しい」

「そんなに?」

「ヒメのあれは仕様の無いことだ。ヒメの命は保って後二年、精々残り一年が関の山だろう」

「なんで!!」

「その理由は本人に聞くんだな。……そう簡単に答えてはくれぬだろうが」









 あの「ろくろ首事件」から数日が過ぎた。

「姫神さん、今日も休みだね」

「静かだけど存在感有る人だから、居ないと何だか変な感じー」

「……ま、インフルエンザだから、そう心配するこっちゃねえよ」

――本当にインフルエンザだったらな。

 心に思いを秘めて、煙羅は女の子達に笑みを返す。

 あの日以来、留羽は眠ったままだ。

 九鬼が言うには食事も必要とせず、水も必要としない、“比売神の眠り”というものらしく、霊力の補充に留羽の体は今霊体に近い状態になっているらしい。

 何が何だか煙羅にはさっぱりだったが、「放っておくしか無い」という九鬼の言葉を信じるしかなく、留羽を自室のベッドに寝かせたまま、こうして学校に来ている。

 学校に来ているのも九鬼の指示だ。

「お前は情報収集に向いているようだからな。噂話に耳をよく傾けろ」

 とは九鬼の談。

 確かに噂話といえば女子高生の右に出るものは居ないだろう。

 今日も今日とて、流行りのスィーツからちょっとした怪談話、誰と誰が付き合っただとか別れただとか、そんな些細な日常を面白おかしく話している。

「ちょっと聞いてよー!」

 ガラッ、と教室の扉が開いて、昼休憩の教室に少女が一人飛び込んできた。

「あれー?うっちー今日休みじゃなかったの?」

「休みにしたかったけどうちの親が大したこと無いなら学校行けってうるさくてさ―これの何処が大したこと無いんだっての!」

 うっちーと呼ばれた少女はセーラー服の袖を捲くり、白い包帯が巻かれた腕を他の女生徒に見せつける。

「うわ、どうしたのそれ」

「昨日の夜、コンビニに行こうとしたら切り裂き魔に遭った」

「え、噂の?」

「そうそう、噂の。本当にすっぱり切れてた。でも血は全然出てなくて」

「だから包帯綺麗なんだー」

「噂通り姿は全然見えなくて、いきなり服の上からすっぱり切られたの!あれは絶対人の力じゃないよー」

「……それ、詳しく教えてくんない?」

 転がり込んできた噂話に、煙羅の灰色の目が光る。

「お礼は明日、噂の新作スィーツでどう?」

 ニッコリと微笑んだ煙羅の言葉に、うっちーと呼ばれた少女はこくこくと頷いてみせた。









「……ってわけで、切り裂き魔の噂があるらしいんだけど」

「ああ、それならこちらでも把握している。最近活発になったようだな」

 その日の放課後、留羽の様子を見に来ると言っていた九鬼と校門前で合流した煙羅は、九鬼の反応に少しばかり唇を尖らせた。

「なんだ、既知かよ」

「しかし被害者から直接話を聞けたのは大きい。その内容なら、十中八九“鎌鼬(かまいたち)”の仕業だろうな」

「やっぱり人の仕業じゃねえか」

「鎌鼬がこんな人里まで降りてくるのは珍しいが……」

「そうなのか?」

「鎌鼬は自然現象と結びつきの深い妖怪だ。人が森や林に手を入れるたびに自然の多いところへ追いやられていったと聞く。それが何故今頃活発化してこの町で暴れているのか……」

「よーうお二人さん。お姫ぃさんは一緒じゃないのかい」

 唐突に聞こえた声に、校門前で話していた二人は顔を上げて声の方を振り向く。

「えーと、あんたは確か……」

「咲崎警部補。何か御用ですか」

「いやな、御用も何も」

 そこに立っていたのは咲崎だった。広い背中を夕日で真っ赤に染めて、少し困ったような笑顔を浮かべて頭を掻いている。

「仕事の依頼だ。だからお姫ぃさんが居ないとと思ったんだが……」

「ヒメは今ちょっと……インフルエンザで」

「煙羅。咲崎には隠さなくてもいい。警察署で唯一の理解者だ」

「なんだ、姫神は具合が悪いのか」

 煙羅が建前の理由を口にすると、九鬼がそれをやんわりと止めた。

 対して咲崎は先程までの軽々しい口調とは違い、心配そうな重々しい口調で尋ねてくる。

「先日の事件で力を消耗して寝込んでいる。そろそろ起きる頃だと思うが」

「そうか……それじゃあこの仕事の依頼はやめといたほうが良いか……」

「咲崎警部補直々にここまで来たんだ、急ぎの依頼なんだろう?俺たちで良ければとりあえず話は聞いておく。受けるかどうかはヒメ次第となるが」

「ああ、そりゃ助かる。いや何、ここじゃ何だから近くの喫茶店でも行こうや。そろそろ……」

 ごーん、ごーん、ごーん、ごーん……。

「六時の鐘も、鳴る頃だ」









 喫茶店、ココロン。

 学校に近く、カフェと呼ぶには古臭く、喫茶店と呼ぶには気安い雰囲気の店で、少し薄暗い店内はアンティークに纏められているため、お喋りには向かない静けさと落ち着きがある。

 とはいえ、学校帰りに利用する客は多く、スィーツの味と豊富さは定評があるのでそこそこ繁盛しているようだった。

 だがそれも午後六時の鐘が鳴るまで。

 午後六時を過ぎるとこの町はしんと静まり返る。まるで町全体が何かに怯えて息を潜めるように。

「依頼はずばり、最近話題になりつつある切り裂き魔についてだ」

「え、おっさん、それ俺達も話してたやつ」

「そうか……昨夜お前さん達の学校の生徒が襲われたんだったな。それでか。……あ、俺はブレンドをホットで。お前らも遠慮せずに頼め。食い盛りだろう」

「じゃあ俺、BLTホットサンド!」

「はっはっは、高杉は元気が良くていいな。……雨宮は?」

「いつものやつでお願いします」

「だそうだ」

 注文を取りに来たウェイターが一礼して去っていく。

「なあ、いつものやつ、って何」

「来ればわかるさ。……で、話の続きだが」

 ニヤリと意味ありげに煙羅に笑いかけて、咲崎は話を続ける。

「ここ数ヶ月に渡って、切り裂き魔の報告が上がっている。姿は見えず、切り口は鮮やかだが血は出ない。ちょくちょくと上がっている報告だったんだが、お前達が先日の事件を解決してから件数が一日十件以上に上るようになった」

「十件以上って……この町そんなに広くねえよな。そんなに大勢の人間が被害に遭っているなんてニュースになってもおかしくねえんじゃねえの?」

「警察が全力で止めている。……まあ、切り裂き魔の被害と言っても大きさは様々でな。膝小僧を軽く切られた程度から腕をすっぱりいかれたやつ、風呂に入って気付くレベルで首元にチクリとやられたやつとまあ……被害届は出ていても一貫性がない。姿を見たやつも誰も居ないしな。……これはお前さん達の管轄じゃないかと俺は踏んだんだが、どうだ」

「間違いない、それは俺達の管轄だ」

 九鬼が咲崎の言葉に判を押す。

「さっき煙羅とも話していたんだが、それは間違いなく鎌鼬の仕業だと思われる」

「かまいたちって、あれだろう、真空の自然現象だろう」

「それとは別に、妖怪にも鎌鼬ってのがいるんだよ」

「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーとBLTホットサンド、それから」

 九鬼の言葉を補足するように煙羅が喋っていると、絶妙の間でウェイターが注文の品を持ってきた。

 咲崎の前にブレンドコーヒーを、煙羅の前にBLTホットサンドを、そして、

「金魚鉢パフェでございます」

「い゛っ」

 九鬼の前に、金魚鉢に入ったパフェが置かれた。

「九鬼、それ、なんだぁ?!」

「金魚鉢パフェだが。聞いていなかったのか?」

「聞いてたけど!!めっちゃ聞いてたけど!!何その凶悪な量の生クリームとアイスクリーム。暴力的なんだけど!!」

「失礼な。ここの金魚鉢パフェは甘さ控えめでとても食べやすいのだぞ」

「……ま、最初はその反応が普通だわな」

 はっはっはっと快活に咲崎が笑う。

「……俺、見てるだけで胸焼けしてきた」

「雨宮はこう見えて甘い物好きでな。ここの甘味は全て味見済みだそうだ」

「新作もチェックしている」

「だそうだ」

「うえぇ……」

「ほれ、ホットサンドが冷めるぞ。さっさと食え。気にしたら負けだ、負け」

 ずずっと音を立ててホットコーヒーを啜る咲崎に習って煙羅もホットサンドを口にするが、九鬼が黙々と食べている金魚鉢パフェの破壊力の前に、今自分が食べているホットサンドすら甘いような気がしてくるから溜まったものではない。

 これは短期決戦だと腹を括って、大口にホットサンドを頬張ると、「いい食いっぷりだ」と咲崎に褒められた。

――嬉しくねえー……。

「で、その妖怪鎌鼬ってのはどんなのなんだ」

「煙羅」

「え、俺が説明すんの?」

「俺はパフェを食べる時は喋らないようにしている」

「……へいへい……」

「なんかすまないな、高杉」

「いや、いいっす……。えーと、鎌鼬ってのは、三匹一緒に行動してて、一匹が足元を掬い、一匹が切りつけ、一匹が薬を塗る、って役目を担ってるやつで」

「ほう」

「切りつけられても薬を塗られるから傷口からは血が出ない。それが特徴っていえば特徴かな」

「今回の被害者の証言と一致するな。全員、最初はただ転んだのだと思ったそうだ」

「じゃ、間違い無いと思う」

「じゃあ今回は鎌鼬退治か」

「そういうことになるっすね」

「別に退治する必要はないかも知れないぞ」

 唐突に口を挟んできた九鬼に、反射で煙羅は金魚鉢パフェを見た。

「嘘ぉ?!」

 金魚鉢パフェは空になっていた。

「早っ!!」

「ご馳走様です、咲崎警部補。……鎌鼬は自然現象と結びつきが深い。学校の裏山にでも追い立てれば共存していけるだろう」

「あ、成程」

「妖怪との共存か……毎回聞くが、それは可能なモノなのか?」

「何を今更」

 咲崎の言葉に、九鬼が口をナプキンで拭い、口端を少しだけ持ち上げる。

 すうっと目が細くなり、金色の目も薄く光を灯す。

「ここにいる煙羅も、俺も、妖怪だ。根本は違うとはいえ、ヒメも似たようなものだ。それらを警察は妖怪だと言うだけで排除すると?」

「……悪かった、悪かったからその笑いをやめてくれ。背筋が冷える。俺ゃあ寒がりなんだ」

「善処しましょう」

「ああ心臓に悪い……。お姫ぃさんがいるときはもうちょっと雨宮も穏やかなんだがなぁ」

「俺はいつも穏やかですよ。そこの煙羅に比べれば幾分も静かだ」

「オイコラなんでそこで俺を引き合いに出した?」

「お前はいつも五月蝿いだろう?」

「なんだと!」

「ほら五月蝿い」

「うぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ」

「ああ、ああ、やめとけやめとけ。雨宮に口で勝とうとするな。……しかしまあ、それなら話は早い、今回は俺の依頼だ。切り裂き魔――鎌鼬をなんとかしてくれ。これ以上被害を増やすわけにいかん。まかり間違って首をスパッ、なんて事になったら取り返しもつかんしな」

「承りましょう」

「……あのさあ、ちょっと疑問だったんだけど」

 片手を上げて、煙羅が九鬼に問う。

「何だ」

「なんで俺らがそんな事件解決しなきゃいけねえの?ヒメなんてぶっ倒れながら前回の事件も解決してたわけだしさ。金も貰ってないのに」

「……なんだ、お前さん、姫神から聞いてないのか」

 煙羅の問いに目を丸くしたのは意外にも咲崎だった。

 目配せで九鬼に話してもいいかと尋ねるように視線を送り、九鬼の頷きを了承として口を再度開く。

「姫神と雨宮はある鬼を探しているっていうのは聞いているか?」

「ああ……九鬼の力を奪った鬼だっけ?ヒメも探しているっていう……確か、斉天童子」

「そうだ。その斉天童子がもうすぐ復活する」

「はぁ?!」

「それを食い止めるためにはもう一度斉天童子を封印するしか無い。だが相手も馬鹿じゃない。封印の中から妖怪達を唆して怪異を起こし、力を蓄えようとしている」

「ちょっと待て、怪異が起こるとなんで斉天童子の力が溜まるんだよ」

「それはだなー……あー……」

「怪異そのものを人が信じるようになるのが重要なんだ」

 咲崎が言葉に詰まって後頭部を掻き毟るのを引き継いで、水を飲んでいた九鬼が喋りだした。

「人が怪異を信じれば、怪異の力は強まる。ひいては斉天童子の底力も上がる。だから怪異をできるだけ多く斉天童子は起こしたい。それと……もう一つ」

「もうひとつ?」

「姫神留羽の人としての生命力を弱めたい。比売神としての力を強め、もう一度“食らう”ために」

「!!」

「だから怪異が起こると俺やヒメは真っ先に動く。斉天童子の情報が得られるかも知れないし、そうでなくても放置していて人に怪異の意識が浸透してしまったら手のつけようがなくなる」

「……ま、そういうこった。だから怪異は正直お前さん達の撒いた種でも有るし、餌でも有るわけだ。……姫神の体力は気になるが、人間の手に負えないのも本当だしな」

「……」

「どうした、怖気づいたか。煙羅」

「……いや」

 煙羅はテーブルに肘を付き、前髪をくしゃりと握り潰す。

「……正直、そんなに壮大な話だと思ってなかった」

「壮大でもないさ。斉天童子は力を蓄えた状態で復活したい、そしてヒメを出来るだけ万全の状態で喰らいたい。ヒメや俺はそれを阻止して斉天童子を封印、出来るなら倒したい。それだけの話だ」

「十分壮大だよ……」

「俺達人間には想像もつかん話だよ」

「そうか?」

 九鬼は不思議そうに首を傾げ、咲崎はコーヒーの最後の一口をぐいっと飲み干した。

「これは正式な依頼じゃない。俺の個人的な依頼だ。だが、必要なら俺が出来る範囲で協力する。今まで通りな」

「おっさん、もう行くのか?」

「ああ、長居できる身じゃなくてな。支払いはしていくからお前らはゆっくりしていけ」

 そう言って伝票を持って咲崎はココロンを後にした。

「……降りるか?煙羅。今ならヒメに俺から口を利いてやる」

「……、……いや」

 はあーあ、と特大の溜息をついて、煙羅は伸びをする。

「やるわ。……なんか、その斉天童子ってやつ、強いんだろう?俺の力が何処まで役に立つかわかんねえけどさ、戦力は多いに越したことないだろ」

 その答えに、九鬼は一瞬驚いたように瞬きをし、それから僅かに頬を緩めた。

「そうだな。……素直に有難い」

「ははっ、九鬼が素直なのなんてめっずらしー」

「俺はいつも己の心に素直だが?」

「どうだか」

「……あんまり言うようならこの場でもう一鉢金魚鉢パフェをお前の奢りで食ってもいいんだが」

「それはマジ勘弁!!」









「そうか、私が寝ている間にそんなことが」

 ココロンを後にし、煙羅と九鬼が留羽の寝室を訪れたとき、丁度留羽は目を覚まして水を飲んでいるところだった。

「それは早急に対処すべきだな。こうして寝ている暇など無い」

「っと、待てよヒメ。今日はもう遅い、明日にしようぜ」

「そうだな。幾ら夜に鎌鼬が出るにしても、場所も絞れていないんだ。幸い明日は土曜日、一日話を聞いて回るとしよう」

「狐にも協力してもらえばいいし」

「む」

 ベッドを降りようとしたところを煙羅と九鬼に押し止められ、不機嫌そうに眉を顰めたものの、留羽は大人しくベッドの中に戻る。

「……お前達、何か結束が増したのではないか?」

「そんなことはねえ」

「そんなことはない」

 煙羅と九鬼が同時に否定の言葉を口にした。

 それを見て、留羽はぱちぱちと長いまつ毛を上下させて瞬きを繰り返し、少しだけ目を細めて口元を緩める。

「ほら見ろ」

「そんなことねえって」

「そんなことはないと言っている」

「ほら、また」

「こいつが真似するだけで!」

「俺は一切真似などしていない」

「……っふ」

 小さく息を吹き出し、留羽が笑う。

「ヒメ?」

「……」

「いや何、可笑しくてな……っふ、ふふ……」

「……九鬼、俺、ヒメが笑ったの初めて見たんだが」

「……奇遇だな、俺も初めてだ」

「お前もかよ!」

「私に背を向け、二人で何をこそこそ話している」

 あまりの驚きに留羽から顔を背け、小声で話していた煙羅と九鬼にいつもの涼やかな鈴の音が凛と咎めた。

「私に隠れて内緒話とは本当に仲良くなったものだ」

「いやこれは……まあいいや」

「ヒメ、じゃあ俺はこの辺で失礼する。くれぐれも今日一日は英気を養うように。明日に響かせたら承知しないからな」

「ああ、わかっている」

「ではな」

 そう言って去っていく九鬼を見送って、ドアが閉まる音とともに煙羅は留羽に向き直る。

「そういえば、お前が怪異に向かっていく理由、聞いたよ」

「……ああ……話してなかったか。すまない、タイミングがなくてな」

 珍しくしおらしい留羽に、煙羅は慌てて首を横に振った。

「いや、いいんだ。それでさ、俺、ひとつだけ思い当たるところがあるんだ」

「?なんだ?」

「俺が封じられるときに見た光景。……凄く昔だから朧気なんだけどよ……」

「気になるではないか。気にせず言え」

「……俺を封じた陰陽師。その後ろに、笑う男が居た気がするんだ」

「笑う男?」

 怪訝そうに留羽が繰り返す。その言葉に、煙羅は黙って頷いた。

「俺みたいに煙状の顔で笑う男だ。そいつに唆されて、俺はあの陰陽師に襲いかかった。住処を追う悪いやつだと言われて……だけど、もしかしたらそいつは……」

「斉天童子」

 ぎゅっとベッドのシーツを両手で握りしめ、留羽が呟く。

「お前を唆したのは多分、斉天童子だろう。……あやつはずっとそうして来た。平安を過ぎて室町、安土桃山、戦国の世を過ぎて江戸、明治、大正、昭和、そして平成、今の世……お前も被害者だったのだな」

「俺さあ、俺が封じられたときに人間なんて全員殺してやるって思ってた。けど、……今はちょっと違う」

「そうか」

「……斉天童子に俺は会ってみたい。会って確かめたい。俺を唆したあの顔の持ち主がそいつなのか、違うのか。そいつだとしたら……俺と同じ苦痛を味あわせてやりたい」

「……煙羅」

 煙羅が名前を呼ばれて気がつくと、留羽がこっちへ来いという風に手招きをしていた。

「何だよ」

 それに招かれるように一歩ベッドに近づくと、更に近づけと手招きをされる。

 不思議に思いながら煙羅が屈むようにして留羽の方へ身を寄せた。

「うわっ」

 そして、頭を抱え込まれるように抱きしめられた。

「ひひひひめ?!」

「煙羅、それはいけない」

「……ヒメ?」

「お前達妖怪は怨嗟に心を寄せてはいけない。ただそこに心穏やかにあるべきなのだ。怨嗟は全て私が持っていく。お前はただ、私にそれを預けて私の手足として働いてくれればいい」

「……」

「心穏やかに、有るべきままに。それが妖怪の、本来のあるべき姿なのだから。それを守るのが、私の、比売神としての使命なのだから」

――じゃあ、お前の平穏は誰が守ってくれるんだよ。

 留羽の寝間着の袖から覗く、か細い腕に残る歯型を眺めながら、煙羅は思う。

――しょーがねえから、お前の平穏は、俺が守ってやるよ。

 小さな吐く息とともに煙羅は目を閉じる。

 思いは想いとなって、だが口にされることはなかった。









 水煙管の煙が、ぷかあと輪を描いて虚空に消える。

「で、結局私に頼るんだねえー……」

「お前が一番手っ取り早い」

 留羽のきっぱりした声に、はああと狐狗狸の大きな溜息がこれみよがしに吐き出される。

「お代をとりますよぉー?」

「お代を取れる立場か、貴様」

「あいたっ」

 手にした長物で狐狗狸の頭を小突く留羽。

「人に取り憑いて浮遊霊を学校中に撒き散らした罪、ただで許してやって店まで持たせてやった恩を、よもや忘れたわけではあるまいな?」

「へえへえ、忘れておりませんよぅ。でもちょーっとばかりこう、働かせ過ぎやしませんかねえとぉ」

「いいから働く」

「あうー」

「そんな事があったのか」

「懐かしいな」

 留羽と狐狗狸のやり取りを眺めながら、煙羅と九鬼はそれぞれの感想を漏らす。

「あの時は学校獣を走り回って浮遊霊を除霊して回ったんだ。それはそれは骨の折れる仕事だったぞ」

「ヒメってお金持ちだよなあ。家も豪華だし、こうやって狐狗狸に店を持たせてやってるんだから」

「知らないのか?姫神は全国の祓い屋から援助を受けている一族だ。血の繋がりはなく、その魂の有り様で一族を築くと言われている」

「へえー」

「狐狗狸の結果が出たぞ」

 雑談に花を咲かせていた煙羅と九鬼の前に地図に丸をつけてもらった留羽が、地図を突き出すようにして立っていた。

「次に鎌鼬が現れる場所を幾つか導き出してもらった。三つまで絞らせたから、各々その場所で待機だ」

「「了解」」

「お礼の一つも頂けないなんて……とほほぉ」

 狐狗狸の嘆きは誰にも聞かれぬまま、三人は狐狗狸の店を後にした。








「……さて、この場所が吉と出るか凶と出るか……」

 駅前に待機を命じられた九鬼は、賑々しい夕方の駅前通りを眺めつつ、呟いた。

 時刻は午後五時五十五分。後五分で午後六時の鐘が鳴る。

「お母さん、六時のかねが鳴っちゃうよ!」

「あら本当、早く帰らなくっちゃ」

――暢気なものだ。

 目の前を急ぐ親子に目を留めて、九鬼は思う。

 比売神の護りがなければ今頃でも妖怪が跋扈しているであろう状況を知らずに生きている人間どもなど九鬼にはどうでも良かった。

 どうでもよくないとすればただ一人。

――まあ、ヒメが苦い顔をするからな。

 あの娘だけは守らねばならない。斉天童子に決定打を与えることが、今の自分には出来ないことくらい、九鬼は理解している。

 あの白木の剣だけが留羽の全てではない。斉天童子を封じるも倒すも結局はあの娘次第なのだ。

――天羽のときはしくじったが、今度こそ……。

 ごーん、ごーん、ごーん……。

「きゃああっ!!」

「出たか」

 鐘のなる音とともに響いた悲鳴に、霊銃を手にして九鬼は声の方へ走る。

「おかあさん!おかあさん!!」

「大丈夫、大丈夫よ、少し切っただけだから……」

――さっきの親子か。

 母親のほうが地面に座り込み、それに泣きついている子供の姿がそこにあった。

 素早く辺りを見渡すと、キラリと光る鎌の輝きが、九鬼の黄金の眼にうつった。

「そこか!」

 親子を捨て置いて、九鬼は細い裏路地に入っていった鎌の光を追う。

「ヒメか?こちらで見つけた。処理はこちらでするが、念の為こちらへ向かってくれ」

 走りながらスマホを取り出し、留羽に連絡する。留羽にしておけば、煙羅にも自然と連絡が行くだろう。

――まあ、必要ないと思うが……。

「その先は行き止まりだからな」

『……!!』

 鎌の光が、道を塞ぐように立っているアパートの壁を前にうろうろと空中で彷徨っている。

「姿を見せろ、鎌鼬。悪いようにはしない」

『……』

「それとも、この銃で脳天を打ち抜かれたいか?」

『……!!』

 すうっ……っと、イタチのような生き物が三匹、その場に現れた。

 一匹は前足に風を纏わせ。

 一匹は前足が鎌状になっており。

 一匹は前足に壺を抱えている。

「妖怪、鎌鼬、お前達は――」

『俺達は悪くない!』

『住むところを奪った人間達が悪いんだ!!』

『私達を忘れて、存在を消してしまおうだなんてそんなの許せない!!』

「待て、何を言っている?誰にそんなことを吹き込まれた?」

『邪魔をするなら』

『お前も』

『切ってやる!』

「くっ……!」

 ぎらりと二匹目の鎌が光る。

 明らかに首元を狙ってきたそれを避けようとすると一匹目が九鬼の足を浚い、転ばせた。

 ざっくりと胸元を切り裂かれ、そこに三匹目が薬を塗りつけようとし――。

『あ――』

「残念だったな」

 間一髪で服だけに留めた刃の切っ先に驚いたように三匹目が止まる。その尻尾を九鬼はがっしと捕まえて、そのまま逆さにぶら下げた。

『きゃーあ!!』

『あっ、妹よ!!』

『やい、鬼!なんで人間の味方をする!妹を離せ!!』

「人間の味方などした覚えはない。言っただろう、悪いようにはしないと」

 ぎゃんぎゃんと吠え立てる鎌鼬に九鬼は鼻を鳴らし、吐き捨てる。

「だが、お前達が大人しく話を聞かないからこういうことになる」

『は、話……?』

『兄ちゃん、ここは話とやらを聞いてみようよ』

『ううむ、仕方ない……話してみよ、鬼』

「最初からそう言っていればよかったんだ」

 そう言って三匹目の尻尾を離してやった九鬼は、切り裂かれた胸元を少し気にしたようだったが、隠せるものでもないと知ると溜息を吐いて三匹の鎌鼬に向き直った。

「お前達は誰に唆されて山を降りてきた。本来お前達は山にひっそりと住む妖怪だろう」

『そうだ。だが、ある日煙の男が来て我らに警告していったのだ』

「警告?」

『そう、人間達が僕達妖怪のことを忘れてしまったら、お前達の存在は掻き消えてしまうって』

「それを信じたというのか」

『実際、山の妖怪は数を減らしていました……だから、改めて私達の存在を知らしめてやろうと私達は山を降りたのです』

「馬鹿なことを」

『馬鹿とはなんだ、馬鹿とは!!』

『兄ちゃん落ち着いて!!』

『そうよ兄さん、落ち着いて!』

 九鬼の冷ややかな返しに一匹目が憤慨するが、九鬼は意に介した様子はない。

 それどころか、薄く笑って挑発するように続く言葉を口にした。

「自然有る限り、お前達鎌鼬は存在し続ける。自然が完全になくなれば人間達も死ぬ。その道理も知らぬ若造が賢しい口を利くな、阿呆が」

『ば、馬鹿の次は阿呆だと――!!』

『兄ちゃん押さえてー!!」

『兄さんー!!」

「……この町の高校の裏に山がある。小さいが、人の手が殆ど入っていない鬱蒼とした山だ。そこでならお前達も自然とともに暮らしていけるだろう。見逃してやるから、もうこんな町の中へ降りてくるんじゃない」

『あ……』

『兄ちゃん、やっぱり僕達は山にいるほうがいいよ』

『ここは騒がしくて嫌いだわ。静かな山に帰りましょうよ』

 一匹目を、二匹目と三匹目が宥める。

『う、ううむ……そうだな……』

「おい」

『な、なんだ!』

「その煙の男は他に何か言っていなかったか」

『ほ、他に……?』

『ううん……』

『特には言っていなかったと……あ』

「何か思い出したか」

『はい、ここが、人通りも多くて人を襲うにはいいところだと教えてくれました』

「駅前通りが?」

『はい』

――どういうことだ。何の考えもなしにそんなことを斉天童子が言うとは思えない――。

『あの、お役に立ちましたでしょうか』

「ん、ああ、……まあな。ほら、もう行け。今度その姿見た時は容赦せずに撃つからな」

 霊銃を夕日に翳して、煌めかせながら九鬼が嗤う。

 その姿に三匹は震え上がり、早々に姿を消した。

「九鬼!」

 そこに、息を切らした留羽と煙羅が走り寄ってくる。

「……ああ、ヒメ。煙羅も一緒か」

「そこで一緒になった。妖気が感じられたのでこっちに来てみたが……怪我はないか」

「服を切り裂かれた程度だ。問題ない」

 自分の胸元を見せて、つるりと傷一つ無い胸を撫でてみせる。

「うっわ可愛くねえ」

「お前に可愛さを求められたくない」

「何にせよ無事で良かった。鎌鼬は?」

「学校の裏山へ誘導した」

「そうか」

 ホッとしたように肩の力を抜く留羽の姿に、九鬼は微かに息を吐いてぽんとその頭に手を載せた。

 さらさらと弄ぶように留羽の髪を何度も梳く。

「鎌鼬に傷は負わせていない。脅しはしたがな」

「……あまり妖怪を脅すなと、あれほど言っただろう」

「からかい甲斐のある三匹だったものでな、つい」

「つい、で脅された妖怪の身になってみろ」

「さて、俺は脅されるようなことがないのでわからないな」

 さらりと指通りのいい留羽の髪を最後にひと撫でて、九鬼は笑った。









 喫茶ココロン。

「いやあ、早期解決お見事、お見事。俺の奢りだ、食ってくれ」

 次の日、事件が解決したことを咲崎に報告に行くと、その足でここに連れて来られた三人は、ずらりと並べられた料理の数々を見てうんざりしたように顔を見合わせた。

「どうした、元気が無いな?」

「いや、この量どう考えても四人分じゃないっしょ……」

「私はその、脂っこいものはあまり……」

「金魚鉢パフェが無いのだが」

「あー……各々の言いたいことはわかった。この料理は俺が責任持って食うからお前らは好きなものを頼め。今日は無礼講だ」

「そういうことなら好きに食わせてもらうけどさあ」

 手近にあったクリスピーチキンに手を伸ばし、早速食いついた煙羅を皮切りに、留羽はサラダを、九鬼は仕方なしといった風にショートケーキを食べ始める。

「で、鎌鼬はどうなったんだ」

「学校の裏山へ誘導しましたよ。あそこなら人の手は殆ど入っていませんし、監視もしやすい」

「ああ、あそこか。なら被害も最小限に押さえられるだろう。登山客も居ないしな」

「あと、脅しつけておきましたから町へはもう降りてこないと思います」

「……雨宮の脅し……。はは、そりゃ恐ろしいもんを味わっただろうな……」

 カレーライスを食べる手を止めて、咲崎は顔を引き攣らせる。

「何故そんなに皆が俺の脅し一つで怯えるのか、俺にはさっぱりわかりませんがね」

「そりゃ本人はそうだろうよ……」

 ぼそりと煙羅が呟いたが、幸いにして誰の耳にもそれは届かなかったようだった。

「あ、金魚鉢パフェを二つ」

「ケーキ食うの早くないか?!全種類頼んでたんだぞ!」

「金魚鉢ぱふぇ……?」

「……ヒメ、悪いこと言わないからそのサラダさっさと食ったほうがいいぞ。胸焼けでものが入らなくなるから」

「??」

 ごーん、ごーん、ごーん、ごーん、ごーん、ごーん。

 その日は午後六時の鐘が鳴り響き、夜を知らせても、誰の悲鳴も聞こえなかった。






第五話へ続く――。

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