第四章"STARDUST"─2
彼は都合のいい現実を好まない。
しかし自身はそんな現実を切り開く。
不屈の心で、幾たびの修羅場を踏み越えてきた。
今も変わらず、その通りに。
肝心の思い人が朧気なせいで、イグニスの今の姿はノイズまみれでまるでコメットの世界に定着していない。
四肢が重くて仕方がない。
首は激しく動いてしまったら落ちてしまいそうで。
視界は狭くただでさえ夜で暗いのに、さらに暗い世界に見えて。
死病にかかったように気持ちが悪い。
気が滅入るほど健全ではいられないこの状況、まるで回復の傾向が見られないため、正気でいられなくなりそうな。
それでも歩く、いつかたどり着く、己の足で。
惨めに負けた。
ロクな抵抗すらできなかった。
こちとら元々復讐の徒である。
脳裏の海馬まで刻み込んだ敵を忘れることはない。
つまりイグニスは数少ない、これが夢だと理解しているサンプルであった。
同時に、夢であることを自覚したところで決して逃れられないと理解してしまった者たちは心が折れて、結局は忘れることを願って他の者たち同じように順当に落ちるのだが───。
「知ったことかよ、クソッタレ。」
イグニスは折れない。
激しく燃える篝火は、その魂が示す通り前へ前へと歩き続ける。
今の身体はとても人間とは言い難かった。
夢というバーチャルに存在する壊れたデータのアバターのように。
身体の一部が歩けば歩くほど、壊れて落ちていくような感じがして。
それでも決して歩くことだけはやめないように、時々膝や足首を握って無駄とわかっていながら固めるような握りしめて。
全てが痛い。
体中が、特に四肢が。
肉体が問答無用で痛んで腐って折れて、しかし致命的なほどとはいかない生き地獄が襲い掛かる。
痛くて痛くて発狂しそうになっても、それでも前へ。
たった一人迎えに行くべく決して、足を止めることはあっても膝をつくことだけはなかった。
一度地に膝をついたら、もう立てないとわかっているから。
痛くて、やっぱり感覚が麻痺してきて痛くなくなってきて。
内臓の一部も丸ごと吹き飛んだような感覚でも、痛みがなくて気が狂いそうになって。
それでもようやく
───、─────見えた。
今ではすっかりお馴染みになったあの家を。
残り何歩か、ああもう考える暇すらもない。
「・・・慣れたもんだ、この、程度。」
自分を鼓舞して、舌や歯、喉を動かすたびに削られようとも声にして。
足を引きずるように、しかし壊れないように、それでも決して倒れないように。
歩いて、ゆっくりと進んでいく。
視力のほとんどを失っても、
音もほとんど聞こえなくなっても
それでも───
「・・・ようやく、届いたな。」
勝利を確信して、家の扉を叩いた。
かくして、扉は開かれた。
その先の空間は、まさに彼女が夢に見たIF
愛してくれていた両親に囲まれて、大好きだったエビグラタンで口周りを汚しながら、幼くなった最愛の女がこちらを見た。
目が揺らいで、でもわからなくて、凄惨な姿に何も言えなくなって。
「・・・本当に、世話が焼ける。」
それでも、イグニスはそんなこったろうと思ったと言わんばかりに、ノイズで欠陥だらけになった身体を引きずって家の中へと入っていく。
何が何だか、頭の奥底に眠った焼け付く熱を感じながら、しかしわからないと怯えて。
助けを求めるように両親を見る。
けれど・・・。
「・・・ぱぱ?まま?」
コメットの両親は、微笑んでいた。
待っていたと、そう告げるようにイグニスを出迎えた。
「どうせ虚像だろうが、挨拶はしとかねぇとな。」
わかっている。
このコメットの両親ですら、夢で再現された虚像なのだと。
それでも、せっかくだからと。
「娘は貰っていく。とっくに契った仲だからな。」
イグニスは左手を見せた。
ノイズまみれでも、薬指だけはしっかり見えて、誓った指輪が確かに残っている。
それが何を意味するか、コメットは何となく直感し。
自分の薬指を見た。
そこには、今の幼い体には合わない、イグニスと宝石と色が違う指輪がそこにあった。
コメットの瞳が揺れる。
わかったような、わからないような、ぐるぐると頭が回って仕方がない。
それでもコメットの両親は笑っている。
祝福するように。
そして、イグニスはコメットの前までくる。
ノイズまみれのイグニスの手で、コメットの手に触れる。
・・・温かい。
目の前にいるイグニスがまだ何なのか思い出せないのに、これ以上なく安心する。
「・・・わからない。わからなくても、いいの?
おもいだせなくても、いいの?」
絞りだしたような、彼女の声。
その問いにイグニスは笑って。
「お前が忘れるわけがないだろ。」
絶対の信頼をもって、断言する。
ああだが・・・
「たとえ忘れてても知ったことじゃねぇ。」
「いいの・・・?ほんとうに・・・?」
だって、そうだろう。
復讐から戻って、彼女の首輪から解放された時と同じように。
まっすぐに見つめて、もう一度言ってやろう。
「ああ、なにがあっても
─────俺はお前を、愛している。」
心の隙間を埋めるような熱い言葉を与えて硬直したコメットに、イグニスは口づけをした。
「あ─────」
コメットの心が、記憶が、湧き上がってくる。
大切だった
けれどそれは、過去との決別も意味していた。
コメットは、現在の姿にいつのまにか戻っていた。
イグニスもまた、体中のノイズが消えていた。
二人とも、視線を家の扉に向けた。
────コメットを、よろしくお願いします。
────どうか、幸せにね。
「ぱぱ、まま・・・!」
「ああ、当然だ。」
コメットは涙ながら、しかし追いかけようとすることもなく。
イグニスに抱きしめられながら、笑顔で去って消えていく両親を見送った。
光景は、夢の中でありながら精巧な自宅の再現だ。
けれど、たった一つ変わったことがある。
食卓にあるのは、出来立てのエビグラタン。
もう二度と味わえないはずだった、あの隠し味のあるエビグラタンが置き土産のようにそこにあった。
ぜひとも、二人で食べてねと。
コメットは、涙を流しながらイグニスを見る。
安心したように、そして嬉しそうに。
「イグニスは、どんな時でも来てくれるんだな。」
「当たり前だ、俺を誰だと思っている。」
イグニスは不敵に笑って返す。
こうしてまた、不条理を超えてきたのだ。
誰にも文句は言わせない。
「・・・俺たち、出られるかな。」
「仲間を信じるしかねえな」
同時に、イグニスは正しく理解していた。
自分たちでは、脱出はできないと。
だから、今まで戦った仲間たちを信じるのだという結論になるのも早かった。
「じゃあ、せっかくだし食いながら待つか。
ほら、あれもあるし。」
「お前が言っていたエビグラタンだな。」
出来立てから、さあ食べ始めようという時まで変わっていない。
それでも二人は冷めきってしまう前に、いつものように食べる用意をして・・・。
「「いただきます」」
今は休息だと思って食べてやろうと、イグニスもコメットも、この味を忘れないようにしようと、しっかり味わってエビグラタンを食べるのだった。
「・・・よかったな、コメット。
そしてありがとう、イグニス。」
その光景を、ずっと見届けてきた蒼空光実は決して届かぬ感謝と祝福を告げる。
もう二度と出すつもりはないと、そう痛ましい気持ちはあるものの、それでも幸せであってほしい祈りをもって、またほかの夢を眺めていた。
そして待っている、詠金優人が己のすべてを見終わるのを。
そして待っている、必ずやってくる自分たちの敵を。
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