第二章三節"聖都アークリュミール"─5
「
「わかるさ───俺も、経験したのだから。」
刹那、あまりに優しい肯定に意識が止まる。
何故だろう、一瞬で喉が渇き切った。
その声色に恐る恐る見上げた視線の先、菩薩のような微笑みが圧倒的な啓蒙を携えて迷える子羊を眺める。
ダメだ、ここから先を聞いてはならない。
だがもはや、慈愛の瞳を前に脚は動かない。
覚者に怯えながら、無知蒙昧が晴らされる。
二千年の足跡が花開く。
「身を焦がすような恋があった。
共に死にたいとさえ願う愛があった。
旅立ちを祝う友情があった。
心を引き裂く裏切りがあった。
忘れたいほどの憎悪があった。
忘れられない喪失があった。
信頼に泥を塗っては踏みにじった。
些細な兆候を見落として卑劣な罠に嵌められた。
願いのために多くの生命を犠牲にした。
打つ手は最善だったのに、それを信じきれない代償があった。
勝手な期待に愛想がつきて、苛立つまま犠牲にしたことがあった。
それで後悔したり、良かったと感じたり・・・幾度も幾度も、何度も何度もだ。
与えて笑った。
奪って泣いた。
与えて泣いた。
奪って笑った。
悔やみ、悩み、迷い、揺れた、決めて、遂げて、焼かれて、焼いた。
足を止めたくなってはうずくまり、数え切れぬほど泣き叫んで、それでも同じ分だけ歩き出した。
老けないだけの身体を引きずり、未熟な心に鞭を打ってな。
そうする以外、何処にも道は無かったからな。」
歳老いて安寧の日々に還り、滅びるという回答さえ許されなかった。
「常に誰かと関わり続け、死なぬのではなく生き続けたんだ。
そして俺はこれからも、涙を拭って世界に轍を刻んでゆく。」
かつての仲間の子孫や、新たな配下たちの絆と共に。
勝敗や成功失敗問わず、数多の苦難と交わっていく。
他の誰かに真似出来ない、偉大な旅路がそこにあった。
「深い希望も絶望も、重ねた全部が俺の力だ。
・・・それが俺の言葉だが、まとめればそういう言葉になるのさ。
だから忘れないでくれ、おまえは一人じゃないんだ。」
"
差し伸べられた手こそ、絶望の象徴だった。
全身が震えて直視すらできない。
二千年積み上げた膨大な徳が、ゴスペル=シャインブレイブを今度こそ、徹底的に打ちのめす。
考えてみれば当たり前じゃないか。
現人神は二千年生きたが、もちろん彼にも若年期は存在する。
不老の賢者であろうとも、最初からここまで達観していたわけじゃない。
こうやって、普通の人間が抱く苦悩も等しくあったのだろう。
だからこそ、弱き民衆の視点を理解できる。
かつては同じ只人だったから。
俗も癒しさも、光も闇もみなすべて、凡庸さから超人まであらゆる想いを知り尽くす。
ゆえに賢者───これが、
英雄のように、ある種の超人を力とするものではない。
超膨大な人生の経験値を頼りに、たどり着いたものだ。
果てなき旅路を歩み続けた者だけが到達できる人の延長線上、まさしき完全上位種族なのだと痛感させられた。
心に光もあれば、闇もある。
強さもあれば弱さもある。
成功も失敗も重ねてきた。
一般的な感情の機微も心の底から理解できるし、特別な天才や破綻者との邂逅もしてきたから学習する機会は山ほどあった。
老いない身体という永遠の成長期を維持したまま、二千年間ずっと研鑽を積み続け、あらゆる体験を糧としたら、当然のように誰よりも先に行くという理屈が完成していた。
「あなたは、今まで何人の配下を看取ってきたのですか?」
「そうだな・・・千か、万か。人体実験に乗った仲間もいたから、今はそれ程じゃないが昔は多かったな。」
そんなことだから、
今まで何度も感じた心を直接読まれているような感覚。
その正体も経験値だ、多種多様な眷属を作り導いてきた現人神に、俺の幼稚な思いつきは通じない。
仮に評価されることがあったとしても、それは幼子が必死に努力したのを褒めているようなものだろう。
だから今後も、完璧に自分は管理されるのだ。
大衆を管理する為の
そして最後に、どこにも行けず幸福の沼地に溺死する。
紛れもなく平民時代を超える喜びに満ちているのに。
昔に戻るなど御免で、家族には格好がつかず、けれど気持ちが良くて忘れてしまい、愛おしい
「どう足掻いたって生きてりゃ苦しむものだ。
理想を叶えた後の現実ですら、な。
仮に思考停止してストレスから逃れても、今度は能力が下がっていく。
そして最後には無能になり、他の誰かに喰われてしまう。」
誰もが、一切苦からは逃れられない。
生まれてしまえば、必ず痛い。
「答えは非常に簡単だ。」
その悩みすら、経験済みだろう。
自分以外の悩める人を、何百何千何万と見てきたのだろう。
二千年を生きた現人神は、望み通りの解答を届ける。
「おまえが今から頑張って、俺の二千年を超えればいい。」
絶対に不可能な、しかし只人にとっては唯一の解決策。
「好きにするといい、挑戦するなら止めはしないさ。」
そう言いながらも、そうならないように管理してくる相手の言葉に────
胸の奥で、何かが折れる音がした。
その後の顛末は、もはや語る価値さえない。
すべては現人神の予定通り。
結局は何も変わらない。
現人神の掌からは出られない。
挑むも退くも出来ぬまま自分は希望で在り続けた。
どこまでも利口で忠実に、保証付きの栄光に慣れていく。
今日も、明日も、明後日も────。
─────そして、
とある出来事により誰にもその苦難が伝わらないまま、
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