第二章三節"聖都アークリュミール"─4
「それは当然さ。たった一つの要素なんかで人はガラリと変われない。
むしろそういう思考こそ、凡俗の証になる。パッとしない奴に限って、何か一つあれば単純な方程式に依存する。
いや、そこで考えることを止めたがると言った方が正しいかな。
人が最も簡単に不幸になる方法は考えを巡らすことだからな。」
ゴスペル=シャインブレイブの嘆きの告白に対し、
謁見が認められたのは、俺の妻の計らいだった。
100年以上前から生きている妻は、現人神に顔が通りやすい。
予想通りそろそろ限界という報告を受け、この機会を与えられた。
そして当然、ここに救いはない。
「逆に言えば、深く考えない方が幸せになりやすいんだ。実際に浅い思いつきで鼻高々に出来てる間は、おまえは幸せだっただろう。
目標に向かって地道に頑張るのは最善だが、出来ない奴は出来ない。
これさえあれば、これさえなければと、原因を一つにして思考しない。これはある種の快楽になる。
国も人種も問わず、社会的弱者の好むテンプレさ。」
聖騎士になりさえすれば、それだけで人生薔薇色だとか。
そんな甘い夢は、現人神によって軽く笑い飛ばされた。
「対して、現実で勝てる奴はもっと事態を正しく捉え、複雑な手段を模索する。
様々な状況を想定してな。」
甘い話を直ぐに信じず、見極めるように心がける。
よく考えることはすなわち。
「分かるだろう、ストレスになるんだ。
いま苦い顔をしただろう、それが真実さ。
正しいことは痛いのさ。
正しいことを目指して頭を回すと疲れるだろう?」
自分が不得手な部分を理解し、失敗例を鮮明に思い描き、そうならないよう手を尽くす。
そして油断しない奴こそが、成功する者の証だろう。
「だから極論、あればあるほどいい。何か一つに絞るのは危険な事だ。
よく考え、才能を宿し、努力する。産まれながらの環境も良好で、顔立ちも良く、性格も良し、それでいて高めあえる好敵手に欠かさない。更に実現したい理想がある。
そりゃ成功もするさ、そういう奴は持っているんだから。
成功する要因を持っている奴ほど、当たり前にいいに決まっている。」
そこまで言って、現人神はため息ひとつついて、うんざりしたような顔をする。
「そりゃ気合いで
少数派や希少例を参考にするべきじゃないぜ、ホント。
目ん玉を光でやられずに、現実見ような。」
あらゆる要素が消え失せていたり、或いはどれもが無かったりしたら。
前者はともかく、後者は言うまでもないだろう。
「練り合わせ、磨き抜き、運良く嵌った時にようやく成功者になれるのさ。
しかもその後でさえ、栄光を維持するよう努めなければならない。次に足を踏み入れた先は、成功者まみれの場なんだからな。
故に、そうだな。おまえのミスはそういう所だ。
原因一つに絞るなと言った手前だが、まぁ一番の要点はそこだろう。
変わりたければ、出来る上流階級の奴を参考にすることだ。聖騎士になったのだから交流する機会も得ただろう。
色々あるかもしれないが、それも学びだ若人よ。」
提示された解決策は簡素で的確だった。
傷つく内容も多かったが、同時に納得もする。
認めたくはないが、確かに勝ち組と一括りに出来る者たちは、驚くほど多くの物事を考慮に入れながら動く。
かつての俺のような一般人みたいに、何かが悪いと決めつけない。
狡猾に用心深く、立ち回る。
かつて糾弾したあの男もそうだ。
確かに悪徳だったが、責任が問われてマイナスになる部分を嗅ぎ分けて的確に嫌われながら生きていた。
そう、甘い汁を吸うのもまた難しいのだ。
レベルの高い善人になる道が険しいように、また優秀な悪党もひと握りという現実がある。
そして現人神もまた、差し押さえた財産を教育や諸々の維持費に当てるのだろう。
捉えた悪党や、どうしようもない独り身等を人体実験する噂もあるが、それを覆す手法も手練ている。
察するに、何度もそういうことを繰り返したのだろう。
無邪気に褒めていたはずのソレが、今は違う印象になる。
とてもとても、煮え切らない。
本来嫌われる税金を、平民からではなく悪から奪った後であれば歓迎される。
当の裁きを下した
ああそれでも、否定できない。
単純じゃない、白黒わけられない。
それを認めたくない一心で、俺は知恵を絞る。
「ですがっ、持っていないからこせ手に入るものだって───」
「あるだろうな。だが難易度を考えれば厳しいだろうよ。
幸福になる為には金持ちが貧乏になるか、貧乏が金持ちになるか、どっちが簡単だろうという例題を挙げれば分かりやすいか?」
こうして、当たり前の指摘に反論を失う。
現人神の言葉は神々しさなど無い。
ただ当たり前の事実を突きつけている。
「嫌になるだろう?わかるさ。
聖騎士にならない方がよかった、など思ってないか?
だがもう、手放せないだろう。
地位、金、女、その他もろもろ。俺が与えた全部をな。
早く自分の本質に慣れることだ。これは、真面目な忠告だ。」
本心からの言葉なのだろう。
言葉にやはり神々しさは無いが、真剣さを帯びる。
「ついでに言えば、捨てられる奴は裕福だった時に自力を持っていたやつだ。
で、ずっと与えられていたおまえはどうなんだ?」
そう、今まで惜しみなく与えられた厚遇に何も言えない。
大切に庇護されてきた。
辛く苦しい挑戦など、やれと命じられた覚えはない。
「そうだ、おまえは俺が与えた恩恵以外、真実なにも持っていない。
真実なにも、自分自身で築き上げた強みがない。」
「そんなこと────っ」
ないはずだと、言いたくても、その意志も直ぐに無くなる。
記憶を掘り起こしても、ああ何も無い。
「おまえは訓練を欠かしたことはないが、あくまで普通の範囲だ。死にものぐるいで得られた経験などでは無い。
聖騎士として当たり前の範囲を、俺の
本気で鍛えたければ、
アレはまさに努力する天才だからな。
だが、やりたくないだろう?」
だから、現人神は自分にやらせなかった。
選ばれただけで幸福になれるよう、恩恵を注いでくれた。
結果、成長出来ない。
何かの間違いで不満が爆発しないように、適切に処置されてきた果てが今だ。
「最初に与えた
"おまえは何処にもいけなくなる"
それを理解した俺は、顔面蒼白になる。
頑張りたくない、辛いのは嫌だ、だが幸福になりたい。
それを現実的に叶えてくれたことが、今になって息苦しくなる。
解決策も単純なのに、心から面倒くさがる。
ああそうか、現人神に選ばれるということは、一存の生殺与奪の権利を差し出すことなのだ。
与える側の意向に背けば、すぐに取り上げられる灯火でしかない。
そう恐怖する俺に、現人神は困ったように苦笑する。
「安心するといい、今まで通り手厚いケアを約束するさ。
・・・なにを驚くことがある、ゴスペル。」 「いえ、その・・・意外でして。」
覗き込むような至近距離の視線が怖い。
チンケなプライドなんて、それだけで壊される。
「自信を持つといい、おまえは間違いなく選ばれている。
こっちも暇じゃない中、道楽で洗礼なんて与えない。本人が幸福であり続けるかは別問題だっただけの話だ。」
困惑をし続ける俺から少しだけ距離を取り、現人神の言葉は続く。
「全体を優先できず、俗物であること。
民衆が好むものを好み、嫌がれることを嫌がれる。
根っこが凡人である才能さ。
その上で突然爆発できず、適度に増長と自己嫌悪を繰り返し、普通の快楽でガス抜き出来る。
俺のプロデュースの下、平民が聖騎士に成り上がる見本を選ぶにあたって最高の人材だったよ。」
まさしく、理解できない所で踊らされていたことを突きつけられ。
「──なんだよ、それは。」
呆然として呟く。
失言であるそれでさえ、予測していたのだろう。
「個人に思いを巡らせたら統治は出来ない。これは分かるだろう?
嫌でも何かをすり潰してしまうのさ。」
再び現人神は、真理を語る。
「だから上位にいる者は、程度の差はあれど実行する。そして当然、弱者はそれを嫌う。
ごもっともな不満だが、考えてみてくれ。
上手く燃料にすることも難しいんだ。
幸福になれないと理解した弱者はキレて傷跡を残すのさ。
だから支配者は弱者に反撃を許してはいけない。
何者にもなれない弱者が、死ぬ気で何かを成せば傷跡くらいはつけられるんだと、気付かせてはいけないのさ。
すなわち支配者に必要な手腕は、上手く相手の努力と才能をすり潰し、上手く社会を回してもらい、最後は穏やかに死んでくれるように誘導することだ。
ああたとえば、家族の為に保険をかけさせて、ひっそり実験台になるとかな。
こっちの方が、社会に貢献するいい死に方だ。」
そんな非情を、現人神が素面で語る。
何も言えず、聞き続ける。
「あと、手腕の他に人を踏みにじっても耐えられる心だな。こっちは更に重要だ。
いちいち他者に犠牲を強いて壊れる
それは即ち、どこまでも弱肉強食な部分からは免れない。
他者を食い物に出来るやつが成功者になりやすいのは、否定出来ない。
「これは余談だが、俺も支配者になって300年くらいで痛感したが、なんやかんやで言う事を聞きやすい人間性にまで次代を繋いでくれてからはすっかり身も心になったな。
心穏やかに、
追い込まれて死なば諸共な自爆テロは、それが非道であると実行する発想が起きにくいのは最高だな。ははははは。
────な?それだよゴスペル。その感性こそが証明だ。
おまえはいま、苛立っている。
つまり贄になる民衆側に自然と感情輸入する。もう選ばれたはずの人間なのにな。
成り上がって好き放題なはずなのに、捕食者の理屈に賛同しない。
だから好かれるのさ、おまえという
ならば根本から相容れない強者と弱者の間には、
嫌だ、嫌だ。
納得してしまった、理解してしまった。
だからこそ、渦巻く心が止められない。
そうだろう、報われた後ですら現実に苦しむなんて。
それが普通なら偉大さなんて意味が無い。
辛い思いもせず、永遠の幸福に包まれるからこそ、恩恵を欲しがるはずだ。
おとぎ話で救われた人物が、その後に苦労したなんて誰が得するんだ。
ハッピーエンドからも順風満帆で煌めく人生を送るばかりのはず。
なのに何故、自分の現実は────めでたしめでたしにならないんだ。
「いま理想と現実のすれ違いが生じてるだろう。昔から問題だが避けられない。
だからこそ、現実が見えなくなるような禁忌に需要が集まるものだがら。
みんな等しく、その
「俺はそんなのを聞きたいわけじゃ・・・!」
「安心しろ、三十後半くらいには慣れるさ。解決出来ないから上手くガス抜きが出来るようにな。」
聞いていられない、的はずれな慰めは勘弁だ。
「
「わかるさ───俺も、経験したのだから。」
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