第二章一節"空と海の境界線"─8
■■■との別離から、はや20年が経った。
娘を男手一人で育てるという、苦難であり育つ喜びを感じる出来事は、終わりを告げた。
娘が、結婚した。
いい人だった。任せられる。
きっと二人とも、俺より早死するけれど、ならば尚のことどうか、限りある生命を謳歌して欲しい。
間違いならば必ず駆けつける。
そうでないなら、ああそうだな。
俺の休暇は、これで終わりだ。
俺の家は、あまりに急ごしらえすぎたが、娘達が後を継ぐことになった。
いつか新しい家を建てるだろうが、それまでは使い潰してもらいたい。
地下にあった資料は、何一つ置いていくことはない。
俺の悲願は、娘たちが背負うべきでは無かったから。
最後の仕上げだ、弱い俺とはさよならしなければならない。
水晶玉に手をかける。
これが
そこには核が必要だった。
丁度いい、今この瞬間こそ、その核を埋め込むには丁度いい。
「長い間になるが、さようならだ。
────蒼空光実。」
水晶玉は淡く輝いて粒子となって、俺の体内に染み込んでいった。
さあ、行こうか。
きっと荒波だらけだろうけれど。
それでも俺は、悲願の為に海を越えよう。
─────白辰、地下施設。
「おはよう、スカイライト。」
「・・・ああ、終わったのか。」
俺は起き上がり、すぐに鏡を見る。
顔立ちの変化は多少大人びた程度だが、身体の骨格は大きく変わった。
今の身長はおよそ180cm程度だろうか。
これで多少見た目の威厳は出せそうだろう。
蒼空光実は、突如滄劉から失踪。
更に、その失踪から200年経った。
つまりは、大戦争から700年経過した。
時折、近い子孫には手紙が届くようだが、蒼空光実という存在が忘れ去られていくにつれて、手紙は送られなくなっていった。
かつて■■■と呼ばれた、かつての伴侶の名前は後世にはほとんど伝わらず"身代わり様"と呼ばれるようになった。
蒼空光実と■■■の物語は、時間が経つ事に風化していった。
それは不幸だったのか、幸運だったのか。
それは本人たちにしか分からない。
話を戻そう。
白辰に来て自分のための研究施設を作ってからというもの、研鑽の毎日だ。
俺の悲願に同調した者たちも一緒に、
だが、余りにも困難だった。
まず仮想世界を創造する前提に、使用者の祈りを完全に固定させる必要がある。
これは大丈夫だ、俺が200年前に埋め込んだ核が安定させている。
だがここからが問題だった。
結論から言えば、新天地という仮想世界の中で、そこに到達した者の数だけ仮想世界を描かねばならない。
人が増えれば増えるほど、
とても俺一人で賄いきれるものじゃない。
「私たちは出ていこう、もう時間が来た。」
「ああそんな時間か。おやすみ、おまえたち。また明日も頼む。」
言われずとも、と返す俺の仲間たち。
もう最初に同調した仲間は既に亡くなり、二代目以降が殆どだ。
出ていく仲間たちを見送り、資料を見つめる。
思考の時間、そしておさらいだ。
世界の進化とは何であるのか。
単なる人々が築く社会という意味に限らず、そこに住まう動植物から現行の物理法則まで含めた場合、いかなる方向に舵を切れば
ましてそれが、誰の目から見ても文句のつけようがないものとは何かと思えば、誰にそれを答えられるかというものだ。
正解のない悪魔の証明を出来る者など一人もいない。
「そこで最初の選択だ。すなわち、どのように導くか」
より良い新世界を描くにあたり、その住民に何を求める?
光のように克己心を促すか?闇のように静かな安寧を良しとするか?
自問自答の暇は一瞬、答えは非常に簡単だった。
「不出来な者の存在をあるがままに許容すること。当たり前の現実として、人は基本的に出来ない方が普通なのだ。」
悲しいが、それが無情な世の在り方。どれだけ超越者が人間賛歌を謳おうと八割、九割は死に絶えるまで凡人のままである。
平均値を超えて名を残せる者こそ一握り。よって、なるべく
どう手を尽くしても成長できない者たちを、しかし変えられぬまま傷つけず新世界の住人まで昇華させてやらねばならないことを示していると言っていい。
「言い換えれば、優劣を基準とした区別など言語道断ということだ。
反対に出来る者達へ期待を寄せるのも致命の歪みを生む。
能力面を優先する政策をすればするほど、それが正しくあればあるほど、評価が生殺与奪に直結するという構図が当然のように発生する。
強く優しいおまえは報われるべきである、という清廉な祈りは、裏を返せば取り得なき存在だと不遇を囲っても仕方ない、という理論と表裏一体の関係だからだ。
正論の横溢が行き着く果ては、正誤と上下が無限に渦巻く弱肉強食。
光の亡者で溢れかえった極楽浄土に他ならない。
心の輝きを尊び、守り抜きたいと願い、より羽ばたける明日を求め…
自覚の有無に関わらず出来ない物は出来ないから順当に滅びる世界を作ってしまう。
どんな素晴らしい英雄や救世主も、愚かしいほど例外なく。
「だが、そこでしかし。またもしかしだ」
問題はそう安々と解決しない。過ぎた理想が絶滅を約束する以上、不出来な八割を基準にするのも同様に危険だった。
光は光で、闇は闇――──こちらもこちらで劣っている者を優遇すればするほど、生産効率が減少してしまうという、きわめて簡単な末路に近づいていくからである。
能力の高いということは仕事が出来るということであり、より多く、より素晴らしいものを発明し、開発し、生産できるということに他ならない。
加齢による劣化、肉体的障害、意欲の欠如と、何でもいい。生み出す側に回れない消費者を優遇した凡愚のための世界など、発展とは無縁になりあっという間に資源は枯渇するだろう。
端的に言って、その様が酷いのは語るに及ばず。ならばと弱者に愛想を尽かせば、今度はどうしても強者に天秤が傾き始め・・・ああ、まったく。
「堂々巡りの始まりだ。両極端はよろしくない。
なので結局、丁度いい中庸の線引きをその都度求める結論になる。光と闇の境界線はいったいどこにあるのだろう、とな」
要は折衷半。現実的に考えれば確かにそれこそ最善だが、しかし。
「違うだろう─────
今の世界のような状態を、現状維持を続けろと?確かに発展も続いているが、それは聞けない相談だな。」
であれば、何をもって誰もを救う世界とするか。
「誰もが理想を実現し、そして運命に出会えるように。
全ての存在を、
すなわち、究極的な最底辺の底上げ。
産まれながら無条件に、そして真に愛される世界。
そして必ず望めば運命と出会える世界。
それこそ
優劣による判断基準を撤廃し、同時に過半数が無能である事実を容認しながら、それでいて変化を促さぬまま全体の発展を今より更に高度化する。
更に単色の回答で一色に塗り潰さない。
光も闇も、ひいてはその狭間というべき現状維持も選ばない。
列挙すればするほど不条理な難題に対し、あらゆるすべてを高次へ導くことによって挑む。
弱きも、強きも、愚者も、賢者も、革新も、停滞も、調停も・・・この星さえも一つ残らず掬い上げて。
「不幸とは、共に生きる誰かが、愛しい誰かに出逢えないこと。
出逢いだけでは生きられぬ世界ならば、それを含めて解決するのであれば何も問題は無い。」
あるがまま、願うがまま、求めるがまま。それのいったい何が悪い?
人間が可能性を最も発揮できるのは、自身の本質に対して忠実な瞬間だろう。そして同時に、抱いた祈りが崇高でも人は一人じゃ生きられない。
どれだけ強大な英雄も、護るべき民草なしには憐れで無価値な破壊者だ。どんな形であれ周りに他者がいるからこそ、人間はその生涯に輝きが生まれるのだと確信する。
他者の為に苦痛をともなう変化など要らない、願うがままにそれぞれの世界で変えてゆけ。
気の合う運命だけに出会い、
いがみ合って無価値に消えるなど、あってはならんだろう。
少なくとも俺は、■■■が居たからこそ涙を拭って歩けている。
俺が選んだ道、彼女が選んだ道、俺たちが選んだ道で、俺は生きている。
ならばこそ、その絆による素晴らしさを知ってもらうべく。
「忘れるな、人々よ――おまえ達は一人じゃない! 決して、一人なんかじゃないんだよ!」
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