第二章一節"空と海の境界線"─3


それから、俺と彼女の攻防が始まった。


彼女はすぐに我が身を犠牲に誰かを助けたがる。

誰かが笑顔になってくれたら嬉しいから、たとえどれだけ自分の生命を犠牲にしても決して自分の笑顔だけは崩さない。

目に隈が出来たり、咳き込んだり、誰だって辛くなるような状況でも、笑っていた。


─────ふざけるな。


おかしいだろう。

何でも笑顔で受け止める彼女も理解出来ないが、周囲の連中も理解出来ない。


犠牲にしてるんだぞ?犠牲になっているんだぞ?

無償の奉仕を与え、与えられて・・・怖くないのか、罪悪感は無いのかおまえたちは。


彼女が進んでやるから仕方ない。

彼らが幸せになれるから仕方ない。

それで死んでも本望だろうから。

仕方ない、仕方ない、仕方ない、仕方ない。


馬鹿なのか、阿呆なのか。

それでいつか彼女が死んだら悲しむのだろう。

そして犠牲を尊いと言い伝えるのだ。

自分たちはただ恩恵をあやかって、神妙な顔で真剣に生きていく振りをするのだろう。

おまえたちは、そんな美しい生き物でもなんでもない、俺と同じの只人だろうに。


何度も、そう何度も訴えても変わらない。

もごもごと、らしい言い訳を唱えて、彼女はそれでも頑なに犠牲になる。

助けようとする彼女の邪魔をする度に、不満そうにする。

恩恵を受けてへらへらしているお偉いさんには逆らえないから、結局仕方ない理由をつけて恩恵を受ける。


良いだろう、それほどまでに権力が恐ろしいならば、俺が反逆している。

死にかけるのはもう慣れた。














「・・・何を、したの。」



再び恩恵を受けに来た、醜い輩は倒れ伏していた。

決意から数日、俺は戦い続けた。

タダで恩恵を受けて当たり前と嗤う連中に、訴えかけながら殴り返していた。

死人はない。

けが人が俺を含めて何人もいるだけだ。



「どうして、こんなことしたの・・・?」



悲しそうに、人魚は言う。

こんな争いをして欲しくて癒しを与えていた訳では無い。

確かに悪い人たちもいたけれど、それでもみんな生きている。

名前があり、家族があり、周りから必要とされている人々と違い、自身は名が無いし、たった一人だったから、自分の価値を低く見てたのだろう。


せめて、ああせめて、自分の存在に意味を与えることがあるとしたら。

誰かを癒していくしかない。


───────それが、腹立たしかった。

どうして生きるのに意味を設ける。

あの500年前の戦争で、価値の有無関係なく無意味に無慈悲に散った生命を思えば、生きるのに意味を与えるのは如何に馬鹿らしいことか。


意味を持たせるために、死ぬことさえ厭わないソレを、この時の彼は若さゆえに納得出来なかった。


だったら、"何をしたの"と問われれば、俺はこう答えるしかあるまい。



「君が、大切だからだ。」



その儚さを、その悲しい生き方を。

それを放っておけないから。

彼女もまた大切な生命だから。

救われなきゃいけない生命だから。



そんなに意味が欲しいなら、良いだろう俺が与えてやる。

産まれし生命に名前を与えることはつまり、祈りであるから。

ならば、俺は誓いと祈りを君に捧げよう。


血を拭い、彼女とその先にある空と海の境界線を見据える。

決して交わらない境界線を見て、俺は彼女に改めて視線を向ける。



「俺は、今このときをもって、君に名前を与える。」



俺は全霊をもって君に捧げよう。

この何百何千も生きながらえてしまう生命のうち、幾年犠牲にしようとも。

必ず、必ず救ってみせる。



「君の名前は──────。」



聞いて彼女は涙する。

名前を与えること、それは誓いと祈り。

ありがとう、君と出逢えたことは俺の試練であり幸運だ。


そう、君に与えた名前は。

みんなにとっての■■ではなく。

俺にとっての■■だったんだ。

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