03話.[してみたらどうだ]

「どうだ?」


 教室にはもうあたしと清水だけだった、まだやっていきたいと言うからこっちも了承した形になる。

 みんなでやるときとは違い、こちらも勉強をやりながらだからこのように聞くことを繰り返していた。


「大丈夫だ、いつも教えてもらっていたから大体分かるようになった」

「そうか、それでも分からないところがあったら遠慮しないで聞けよな」


 もう明日はテストだからこれぐらいやる気があるのはいいことだ、結局のところ美吹みたいに上手く教えられなかったのは気になるところだが。それでも清水がそこそこの結果を出してくれれば十分だな、余計なことを言うのはやめよう。

 赤点を取らなければ十分だとか考えていた自分はもういなかった。自分でも驚くぐらいの集中力を発揮し、今日の分をやり終えた。


「お疲れ様、よく頑張ったな」

「まだだ、本番を乗り越えないとな」

「だな」


 教えたのとちゃんとやってきたのもあってヘマはしないで済みそうだ、流石に高校1年の始めから引っかかっているわけにはいかないからな。


「結果が悪くなかったら礼を言う、悪かったら思いっきり罵ってくれ」

「あたしはSじゃないんでね」

「そうか」


 いくら初夏でも19時近くになれば薄暗くなるが、急いで帰ってもしょうがないから走るなんてことはしない。

 両親が帰ってくるのは20時頃だからな、飯を作っても風呂に入っても余裕がある。


「大桐」

「あれ、付いてきていたのか」

「危ないからな、それにこれぐらいはしておかないと罰が当たりそうだ」

「気にしなくていい、あたしの家はもうここだからな」


 逆に気をつけろと残して中へ。

 真っ暗で寂しい家だ、しかしそれもあと1時間ぐらいで一変する。

 両親との仲はそこそこいいように思える。

 これは必ず会話するように心がけているからだが、あまり一緒にいられないというのも大きいかもしれない。

 あとは少しでも楽をしてほしくて家事を結構やったりしているのも、不仲には繋がらずにいられるのかも。


「たっだいまー!」

「おかえり、父さんは?」

「お父さんはまだだよ、あーもう会いたかったっ」

「ぐぅぇっ、そ、そんなに必死に抱きつかなくてもあたしは帰ればいるぞ……」


 わがままを言わせてもらえばあと1時間は早く帰ってきて欲しい。あたしは寂しがり屋だった、構ってもらえないと多分孤独死するような。


「すんすん、高子ちゃんから健くんとは違う男の子の匂いがするっ」

「最近一緒にテスト勉強しているんだ」


 もっとも、それも明日までだが。

 清水だって自分ひとりでできればわざわざあたしを誘ったりはしない。

 恐らく、美吹に教えてもらいたいんだろうが、もうふたりも生徒がいるから我慢しているだけだ。

 期末のときにまたするようなことがあったらあたしが言ってやろう、確実にいい結果に繋がるからな。

 それからしたことは至って普通のことだ、飯を温めて食べて、温かい風呂に入っただけ。

 風邪を引いたら馬鹿だから湯冷めに繋がるようなことはしないでさっさとベッドの中に入った。


「清水よ、頑張ってくれよ」


 あたしのやってきたことを否定しないでくれ。




 なにをしたのか覚えていない。

 分かっていることはテストはもうとっくに終わっているということだけ。

 いや、結果だって返ってきた、あたしは予想通り問題はなかった。

 だが、あれだけ真面目にやっていたのに清水は駄目だった、それも3教科も。

 中間テストで3教科も赤点だったらほぼ絶望的なそれだろ、どうやったらできるのか分からん。

 で、なにをしたのか覚えていないっていうのはまあ嘘だ、脳が現実逃避をしたいだけだ。

 そこにあるのはあたしを否定するものだった、というだけ。

 あいつ、分かっていないのにあたしに負担をかけないために分かっていると言っていたらしい、これは本人から聞いたことだから間違いない。

 あたしじゃなければ軽く寝込むレベルだぞ。

 ある程度は叱ったりしなければ駄目だったのか……?

 でも、そんなの絶対に教えられる側としては嫌だろうからとしなかったのに。

 罵るなんてできるわけない、そこまで偉い人間じゃないからだ。

 つまりこれはあたしの責任でもあるわけで、けれど、近づくこともできずに席に張り付いていた。


「悪かったっ!」


 放課後、清水が直接謝りに来た。

 だからってどうするよ、なにもできねえよ終わった後には。

 補習になったら後は教師の仕事だ、余計なことはするべきじゃない。

 頑張ったよなんて同情みたいなことも言えない、それは自分がされて嫌なことだからだ。


「頭を上げろ」

「……大桐はずっと付き合ってくれていたのに駄目だった」

「知ってる、それは先週お前が教えてくれただろ」

「怒ってくれ」

「無理だ、補習をちゃんと受けてこい」


 確か追試ってやつで合格点取ればいいんだっけか?

 そもそも生徒が生徒に怒るなんてそんな意味不明な構図を作るわけにはいかない。

 仮に怒ってもすっきりできるのはこいつだけで、あたしの中には残ることになる。

 やっぱり清水はあと少し考えが足りない、自己中心的と言っても過言ではないかもな。


「大桐さん」

「千葉か、部活に行かなくていいのか?」

「ちょっと大桐さんと話がしたくて」


 いまの清水とするよりかはマシだ。

 怒っているわけではない、そんなことをしても意味がないから。

 ただ、あいつがずっと引きずっているものだから困るんだ。

 こういうときは第三者の力を借りるしかない。そうだな、健太あたりがはっきり言ってくれれば少しは伝わるかもしれない。

 問題なのは自分から頼むのは違うということ、見かけて動いてくれるのを願うしかない。

 ま、それが難しいからこそ困っているんだけどな。


「清水くんのことなんだけどさ、私に任せてほしいかなって」

「いいのか? それならよろしく頼む」


 先程も考えことだが、正直に言ってあたしにできることはもうないから。

 それとあの態度を直してくれない限りはいたくない、清水と会う度に現実を突きつけられるからな。


「大桐さんは頑張ってたよね」

「ちげえ、頑張っていたのはあいつのはずなんだ」


 せめて美吹に相談しておけば良かったんだ。

 美吹は優秀だったし、表情も柔らかく教えるのも上手い。

 あたしは負担になるからと頼らなかったが、それが清水の邪魔をした。

 無意識にしょうもないプライドを守ったというのもあるかもしれない。


「千葉、悪いけど頼んだぞ」

「うん、それは任せて」


 終わった後に千葉がいる方が精神的支えになるだろう。

 とりあえずこれであたしの役目は終わったんだ。

 もう割り切ろう、自分は赤点を取らなくてよかったじゃないかと。


「高子」

「美吹」


 そういえば今日お疲れ様会とかでファミレスに行くって約束だったことを思い出した。

 遅れてしまったことを謝罪して、ふたりで向かった。

 ちなみに健太は先週、美吹達と行っているからいない。


「気にする必要ないって言っても気になるわよね」

「悪い……」


 割り切るとか言ってもそう簡単にできることじゃない、いつもならこうして甘いものを飲めばすっきりするはずなのにもやもやするだけだ。

 そんなに言いづらかったかって、気になる人間にだってあれだけでぐいぐいいけていたのになんでだよって。

 まあ、それならそれでいいけどさ、不安だったのになんで美吹に頼るなりしなかったんだって。

 それこそ優秀人間に教えてもらっている千葉に聞くのもありだったというのに。


「でも、あなたがそんな顔をしていると清水君がずっと気にするわよ」

「だよな……割り切るって考えたつもりなんだが……」

「あなたはきちんとやっていたわ、言い方は悪くなってしまうけれどこの問題は清水君が――」

「それ以上言わないでくれ……」

「ごめんなさい」


 清水を否定することはあたしの否定にも繋がる。

 寧ろ自由に言ってもらった方が落ち着くだろうか、清水が願ったように。

 けれどそれではブーメランになってしまうことも分かっているからできない、自分をすっきりさせるために他人を利用してはならないのだ。


「とりあえず、お疲れ様」

「ああ、お疲れ様だ」


 美吹はあれから勉強だけではなく友達作りも上手くいっているようで羨ましい。

 凄えよ、ちゃんとコミュニケーションも取れるし、他だっていいところばかりだもんな。

 

「美吹は凄えよ、尊敬するよ」

「なによ急に」

「心から思っていることだ」


 勉強以外のときにも清水と話しておくべきだった。

 嫌われることは嫌だが、嫌われる覚悟を持って接するべきだったのかもしれない。

 なのにあたしはなにもしなかった、あいつが「ああ、そうか!」と声を上げる度にひとつひとつ分かっていってくれているということで無根拠に喜んでいただけ。

 いまにして思えば自分のために動いていた、自分が教えることで顔を明るくさせるあいつを見て勝手に満たされていただけだ。

 そりゃこうなって当然だ、問題なのは後からじゃないと気づけないことだろうが。


「ただ、美吹といると自分の残念さが出すぎてな……」

「そんなことないわよ」

「悪い……忘れてくれ」

「そっちこそ忘れなさい、誰かと比べる必要なんてないのよ」


 よし、このジュースを飲んだら忘れるっ。

 で、また新しいジュースを注ぐかのように新しくすればいい。


「ありがとなっ、美吹がいてくれて良かったっ」

「ふふ、どういたしまして」


 ――数分後。


「飲みすぎたぁ……」


 たぽたぽになった腹を抑えながら呻いている自分がいた。

 だが、馬鹿すぎることをしたおかげですっきりできていい。

 あとはそう、どうせ金を払っているのなら多く飲まなければ損だからな。

 

「はぁ、だからやめておけと言ったのに」

「悪い、金を代わりに払ってくれ……」


 彼女はどこまでも優しい。

 できれば健太と仲良くしてあげてほしい。

 あいつは弟みたいなものだからな、誰かと仲良くやってほしかった。それが美吹みたいな理想みたいな存在だと、安心できていいからな


「千葉さんは上手くやれているかしら」

「どうだろうな、少なくともあたしよりはいいだろけどな」

「もう……」

「本当のことだろ。ありがとな、代わりに払ってくれて」

「あなたのお金を受け取っただけじゃない」


 はっ、世話になったんだからあたしが払うべきだったっ。

 ああ、結局美吹にはなにもしてやれてない。

 世話になるだけなってなにもしないということはできない!


「美吹に礼がしたい、あたしにできることならなんでもするつもりだ」

「それなら目を閉じて」

「ん? おう――ん!?」


 指というオチを期待したが、目の前には彼女の顔があった。

 困惑しているこちらを他所に、彼女は柔らかい笑みを浮かべながら「初めてしたわ」と呟く。


「なんでもしてくれる、のだったわよね?」

「まあ……それで満足してくれるなら問題ない」

「ふふ、あなたの初めてを貰ってしまったわ」


 同性とキスできたぐらいでなんだその顔は。

 よく分からないな、これが所謂百合、というやつなのだろうか?


「あら、残念」

「どうした?」

「あなたの王子様が来てしまったわ」


 誰やねんとツッコもうとしたらやって来たのは健太だった。

 家に帰っていたはずの健太がここにいると違和感しかないな、私服だから尚更。


「さようなら、また明日会いましょう」

「おう、ありがとな」


 別行動をしなくたっていいと思うが。

 健太は王子様なんかじゃない、あたしの弟みたいなものだ。


「こんなところでどうしたんだ?」

「最近、ゆっくりと高子と話せてなかったからさ」

「それなら健太の家に行くわ、美吹のおかげで気分が良くなったからな」


 当然だと言われるかもしれないが、こいつも本当に頑張ったと思う。


「お疲れさん」

「もう……頭を撫でないでよ」

「しょうがない、あたしより背が低いからな」


 ちょうどいいところに頭があるから抑えるのが難しい。

 一応学校でやらないのは恥ずかしいだろうからだ、あとはあたしが恥ずかしいだけ。


「上がって」

「お邪魔します」


 今日はリビングにではなく部屋に直行した。

 遠慮なく扉を開け放ち、中に入ったら床に寝転ぶ。


「布団貸して」

「えぇ、話してくれるんじゃないの?」

「風邪を引きたくないから早く」

「分かったよ……」


 ほらな、こうして呆れたような感じでいてくれればいい。

 無理してあたしに頼られようとしなくたって十分。


「高子ぉ」

「健太、いつもいてくれてありがとね」


 いまならなにも恥ずかしくない、コミュニケーションを怠って清水に赤点を取らせてしまったことよりも全然。


「え……あれ?」

「健太がいてくれて凄く嬉しいよ」

「ちょちょ、話し方が違くない?」

「やっぱりおかしい? 私の判断は間違っていなかったんだね」


 甘えるときにこの話し方にしたら効果的にできそう。

 ただまあ、少なくともそれは千葉みたいな可愛さがあればだ、逆に美吹みたいなタイプの女がしたらやばいだろうが。


「ねえ健太」

「な、なに?」

「こんな姿を見せるのは健太にだけなんだからね?」

「ぶふぅっ!? な、なに言ってっ」


 はぁ、弟がちょろそうすぎて姉みたいな立場としては困ってしまう。


「冗談だよ。テスト、上手くいって良かったな」

「う、うん、それは今田さんのおかげだけど」

「お前が頑張ったからだろ?」

「頑張ったけどさ、今田さんが優しく分かりやすく教えてくれたからだし」


 清水も無理やり美吹塾に入れておけば良かった。

 すまない清水っ、次があったら絶対に交渉してやるからなっ。

 なーに、あれだけ教えておきながら学年3位を取ってしまうぐらいだから大丈夫だっ。


「いいよね、美人で人当たりも良くてさ、上手く正解にたどり着くと笑ってくれてさ」


 なるほど、男としては綺麗な女の笑顔はモチベーションアップに繋がるのか。


「だからちょっといいなって思っちゃった」

「ほう、その話詳しく」

「いやほら、話しかけると必ず柔らかい表情を浮かべて相手をしてくれるから……」

「そうか、それなら仲良くしてみたらどうだ?」


 ああ、理想通りの展開のはずなのに寂しさが……。

 弟と仲良くしていたら弟に特別ができた、ってときに姉という生き物はこうなるんだろうな。

 待て、あたしは美吹とキスをした仲なんだからこいつらの仲が深まれば義理の関係になれるのでは?


「出しゃばるのはやめろっ」

「や、やっぱりそうだよね……」 

「違う、健太はそのままでいいんだ」


 素直に応援してやろう、姉とはそういう風でいなければならないのだから。


「帰るわ」

「え、来たばっかりじゃん」

「ベッドの下に帰るわ」

「え、どういう……」


 なんだかんだ言って見てやらなければならないんじゃなくて見ておきたかったんだろうな。

 この寂しさはそういうものだ、だから帰ろうとしたのにできなかった。

 こっちが気を遣って帰ってやろうとしたのによ。


「高子は気になる人とかいないの?」

「いないなー」

「僕……とか」

「違う意味では気になるな、お前は小さいから見ておかなければならないし」

「もうっ、子ども扱いしないでよ!」


 そんなこと言ってもしょうがない、あたしの中ではそういうイメージが固まっているから。


「そういえばさっき、今田さんとき、キ……スをしてたよね……?」

「悪いな、これから仲良くしようとしているところにさ」

「え、本当にしたんだ……」

「なんでもするって言ったのは自分だからな」


 別に嫌だとも思っていない。

 意外と女もいける人間なのかもしれなかった。

 あ、いや、美吹が素晴らしいからというだけかもな。


「安心しろ、次はもうしねえから」

「うん……」

「つか気が早え、まだキスとかって考えている場合じゃないだろ?」


 なにも答えないあたりが子どもらしい。

 つまりもう健太の中ではそういう風になっているわけなんだからな。


「いまはとにかく仲良くすることだけに集中しろ」


 それでも姉として言えるのはこれだけだった。

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