第10話
朝起きてカーテンを開けると雲一つない青空が広がっていた。
まさにピクニック日和だ。
結菜さんは朝の八時から起きてお弁当を作っているようだった。
隣の恭は布団を跳ね飛ばして寝ている。
私は服に着替えて静かにドアを開けた。
七月も上旬になり、これから暑い夏が始まる時期となった。
エアコンをつけていた涼しい部屋とは裏腹に廊下は蒸し暑かった。
逃げるようにリビングへと続くドアを開けると色々な香りが混合して私の鼻腔をくすぐった。
「あら?結月ちゃん。おはよう」
結菜さんは色々な具材を炒めたり、煮たりしていた。
「おはようございます。何か手伝うことはありますか?」
私がそう問うと結菜さんの顔がぱあ、と輝いた。
「いいの!?人手があると助かるわぁ」
結菜さんはそう言いながらレタスを丸ごと私の手に渡してきた。
「じゃあ、これを洗ってそれからむしって」
結菜さんはそう指示すると自分の作業に戻ってしまった。
こう見えても家事全般はやったことがあるのでそれなりのことはできる。
私は結菜さんのそばに立ってレタスを水洗いした。
「あの、レタスは何に使うんですか?」
私がそう聞くと結菜さんは俎板に置かれているパンを指差した。
「サンドイッチに入れるの。その他にも卵、ハム、チーズも入れるの。もうちょっと具材を多くしたいんだけど、何かアイディアある?」
「うーん……。特には……あ!」
そこまで言ったところで私はあることを思い出した。
「ん?何かいいもの、あった?」
結菜さんは野菜を切る手を休めてそう聞く。
「私たちがいた時代にソーシャルメディアですごく流行ったものがあって」
「へぇ。どんなの?」
私はソファに置かれていたスマホを手に取り、ある写真投稿アプリを開く。
フォローしておいたユーザーの投稿欄からその写真を探した。
その写真は案外早く見つかり、私はその写真をスマホの画面に映して結菜さんに手渡した。
「何これぇ?すごぉい!おいしそぉう〜!」
結菜さんはスマホを食い入るように見つめてそう言った。
「材料は何が必要なの?」
そう結菜さんが事務的に問う。
私はその写真の横にある説明欄を見ながら結菜さんに材料の説明をした。
結菜さんは冷蔵庫から沢山の具材を取り出してキッチンの上に並べていく。
とある写真とは「わんぱくサンド」の萌え断こと。
わんぱくサンドはとにかく“わんぱく”なくらい、たくさんの具材をはさんだサンドイッチを指し、萌え断とは、"断"面がカラフルで美しい食べ物に"萌え"ることを指す。
「それじゃ、具を思い切って変えちゃおうかなぁ!」
結菜さんが突然大声で宣言するように言う。
「え?だってレタスも卵ももう……」
キッチンの上にはたくさんの具が切られたり、炒められたりしている。
「いいの。もう作っちゃったやつは冷凍しておこう!さぁて、萌え断、作るぞぉ!」
結菜さんは手際良くキッチンの上の具材を撤去し、写真通りの具材を並べていく。
「あ!いちごがない!!」
結菜さんがそう悲痛な声を上げる。
「いちごがなくても大丈夫ですよ。他のフルーツで代用しましょう」
私がそう幼稚園児を宥めるように言うと結菜さんはキッチンの上を大きな音をさせて手で叩いた。
「そんなわけにはいかないの!だっていちごは結月ちゃんが一番好きな食べ物なんでしょ!」
「え……」
一番最初に自己紹介した時のことを覚えててくれたのだろうか。
「恭くんが言ってたの!結月ちゃんはいちごが大好物だって。どうしても結月ちゃんにいちごを食べてもらいたい!」
「はぁ……」
私はその熱意の籠った言葉に間の抜けた声しか返せないでいた。
「とにかく!近くのスーパーまで買いに行ってくる!」
結菜さんは手早くエプロンを外すとリビングを飛び出そうとした。
「あの、私、行きましょうか?」
「だめよ。だってここは2035年。結月ちゃんが知らない街。だからスーパーもどこにあるか分からないでしょ」
私はそう言われて黙ってしまう。
それに、と結菜さんが言葉を紡ぐ。
「結月ちゃんがまた事故に遭ったら、と思うと簡単には外に出せないし」
「大丈夫です。買い物に行かせてください」
私が頑なに主張すると結菜さんは半分折れた形になって短くため息を吐きながらこう告げた。
「じゃあ……。行ってもらおうかな。何かあったらすぐ私のスマホまで連絡して」
結菜さんは自分のスマホを手で持ちひらひらさせながらそう言った。
そういえば、2035年にワープした時に連絡先を交換したんだっけ。
「分かりました」
私がそう返事をすると結菜さんは満足気に頷きながらテーブルに置いてあった地図を私に向かって差し出した。
「これがここの周辺の地図よ。この地図を見ながら行けばスーパーなんてすぐ着くから」
そう言って結菜さんが差し出した地図はただの白紙だった。
「あの……。これ、白紙ですけど……」
私がおずおずと尋ねると結菜さんは苦笑しながらも丁寧に教えてくれた。
「白紙じゃなくて地図よ。2035年では日本中が使用しているの。今じゃスマホのアプリでなんとかなっちゃうから使わない人も増えてきて生産終了も間近って騒がれてるんだけど」
結菜さんはそこで一旦言葉を切ってまた続ける。
「この紙を指で触ると紙の上に地図が表示されるの。デジタル……みたいになってるのよ。いわゆるスマホの地図アプリの紙バージョン……的な感じ」
「へぇ……」
私が結菜さんが開いている白紙を人差し指で触ると上に大きな地図が現れた。
「すごい……」
「使い方も簡単だからすぐ覚えられると思うわ。気をつけて行ってきてね。くれぐれも事故に遭わないように気をつけて。それと最近この辺で強盗とかひったくりとか出ているらしいから気をつけなきゃだめよ。それに誘拐だって危ないんだから」
地図を私に渡しながら結菜さんは小言を並べ立てる。
なんだか恭のお母さんみたいだな、と思いながら私は静かにリビングを出て玄関を開けた。
「行ってきます」
蝉の声が初夏の到来を祝福していた。
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