絨毯に見えたのは全部蜘蛛の糸だった
水正さんと特訓を始めてから半年が経った。僕の絵は上達していき、少しずつではあるがやりたかった仕事も貰えるようになっていった。
しかし、その分「女の子を描く」仕事がいかにレッドオーシャンなのかも思い知らされた。僕と似た絵柄でもっと上手くて早い人がいればその人で事足りてしまうのだ。一方でメカなどに関してはそもそも描き手が足りないようで、不思議と仕事量が大きく変わることはなかった。いや、むしろ増えて安定した。
ある日、僕は水正さんとクロッキー会に参加したあとサシで飲みに行った。と言っても僕は飲めないからほぼ食事会だ。今回はカジュアルな居酒屋だった。
カウンターに隣り合わせに座って、僕はジンジャーエール、水正さんは地ビールで乾杯した。
あとから知ったのだが、水正さんは飲めないどころか酒豪のようだった。ワインパーティの日は飲む雰囲気にならなかっただけらしい。
「水正さんのお陰で仕事が増えましたよ」
「いえいえ、佐土原さんが頑張ったからですよ」
水正さんは目を細めて笑った。
「この前、佐土原さんの絵がテレビCMに使われていたのを見ましたよ」
「ああ、あのスマホゲーですね。デザインは難産でしたが、先方にとても気に入っていただけました」
少し前にとある人気スマホゲーの追加メインキャラを担当した。元からあるゲームの雰囲気を壊さないようにしつつ僕らしさを出すのはとても難しかったが、エゴサしたところ今のところとても評判はいい。
「ウケを意識してるのに、不思議ととても素直な絵でしたね」
「ありがとうございます」
僕は照れて頭をぽりぽりとかいた。アルコールを入れてもないのに顔が熱くなる気がした。軟骨入りつくねを食べてごまかすことにした。口の中でコリコリと音が響く。
水正さんはまるで自分のことのように喜んでいるような様子だった。僕と水正さんは年が親子ほど離れているので、もしかしたら子供を見守る気持ちだったのかもしれない。
「ちなみに今日ってこのあとお時間ありますか?」
水正さんは冷奴をつまみながら言った。
「今は納期が近い仕事はないんで大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
「よかったら私の家に来ませんか」
僕は唐突な提案を聞いたあまり、掴んでいたつくねを落としてしまった。つくねは運良く取皿の上に落ちたが、その時に跳ねたタレが僕のTシャツについてしまった。
「大丈夫ですか?」
水正さんはおしぼりを持って僕のTシャツをポンポンと叩いてくれた。すぐに処置したからかシミになって残りそうには見えなかった。
「全然大丈夫ですよ。これも着古したやつですし」
「でもお気に入りの服ですよね?」
ワインパーティの時も着てましたし、と水正さんはおしぼりで汚れを落としながら言った。そういえばあの日もこれを着ていたっけ。
「家についたら洗濯しましょう。代わりの服はお渡しします」
水正さんは両膝に手をついて頭を下げた。
「そんな、そこまでしなくても全然大丈夫ですよ」
「いいえ、ここから家も近いのでそれぐらいはさせてください」
僕がどんなに大丈夫と言っても水正さんの気がすまなさそうだった。なので飲みを予定よりも早く切り上げて水正さんの家に向かうことを提案した。水正さんはホッとした顔になった。
水正さんの家に行くこと自体は全然嫌じゃなかった。むしろとても楽しみだった。だって憧れの人だったのだから。
*
予想通りではあったが、水正さんの家は駅に近いとても高そうなタワーマンションの一室、しかも上の方だった。僕の稼ぎでは絶対に手が届かないだろう。窓からは都会の夜景がよく見えた。
家具はレイアウト例のように部屋の形に心地よく収まっていた。過不足一切なしという感じだ。色は木目調と白で統一されていてとても優しい印象だった。
「よかったらシャワーも浴びてください。その間に代わりの服を準備しておきます」
広々とした部屋と窓から見える風景に呆気にとられていた僕に水正さんが言った。いいのかなあと思いつつも、流されるままに僕は風呂場でぬくぬくとシャワーを浴び始めた。もちろん脱衣所も風呂場も広くてきれいだった。そしてカビ一つない白さだった。
シャワーノズルは東急ハンズとかで見る高級なミストタイプのものだった。身体に当たる雫が普通のものよりサラサラとしていて不思議な感じだった。これを使うと肌にいいらしいけど、僕の肌もきれいになるなら欲しいな。そんなことを思いつつ身体を流していった。
すりガラスのドア越しに洗濯機を回したり代わりの服やタオルを置いてくれていたりする水正さんの姿が見えた。しかし、さっきまでの私服姿と比べるとやたらと肌色が多く見えた。もしかして全裸?なんて言葉が脳裏を過ぎったけど、水正さんだからそんなことはないだろう。きっとベージュの部屋着とかだ。
「タオルと替えの服はここに置いておきますね」
ドアの向こうから水正さんが声をかけてくれた。ありがとうございます、と僕は返した。
シャワーの心地よさのあまり、普段より風呂場に長居してしまった。今度あのシャワーノズルはAmazonとかで買おうと決意した。ほかほかになった身体でタオルを取ろうと風呂場のドアを開けた。
僕は思わず手を止めてしまった。
脱衣所のカゴにはタオルとは別に、その場にそぐわないものが入っていた。真っ黒くて、テカテカして……多分レザー素材の物だ。手をタオルで拭いてから広げてみると、それが上下に分かれた服だとわかった。
しかしデザインが問題だった。
上はノーカラーのタンクトップ。首元からお腹までジッパーがついている。脇腹の部分は何故かメッシュ素材になっていた。
下は一見普通のレザーパンツなのだが、股間が見えるか見えないのギリギリのところにスリットが入っていた。そして股間からお尻にかけて全部開くようにジッパーがついていた。
何だこれは。いくら水正さんでも冗談が過ぎる。それに僕の来ていた服が下着を含めて全てなくなっていた。
「水正さん! 何ですかこの服は!」
僕は脱衣所の向こうにいるであろう水正さんに声をかける。しかし返事はない。
仕方がないのでタオルで全身を拭き、そのままタオルを腰に巻いて向かうことにした。
脱衣場にある洗濯機はまだ回っている最中だった。その中では無情にも僕の服一式がぐるぐる回っていた。
脱衣所のドアを開けるとリビングに水正さんがいた。しかし明らかに様子がおかしかった。
「やっと来てくれたんですね」
そこにいたのは金色のマイクロビキニ、しかも女性物に身を包んだ水正さんだった。腕は黒いサテンのロンググローブに覆われていた。そして足元は真っ黒なピンヒールのロングブーツだった。股間は布からはみ出さんばかりに大きくなっていた。
水正さんの身体はどこもゴツゴツしているので着ているものの何もかもミスマッチだった。そのはずなのに、僕は奇妙な色気を感じた。僕よりも大きくて、筋肉もあって、骨太で……僕のストライクゾーンには何も掠ってないはずなのに。性別すらも。
「でも着てくれなかったんですね」
水正さんはその姿のまま僕に近寄ってくる。いつもの大股な歩き方。いつもの優しい喋り方。違うのは姿だけ。いや、性格も違うかもしれない。
どこからか甘ったるい香りが漂ってきた。水正さんがアロマでも焚いたのだろうか。
「佐土原さんにぴったりだと思って用意したんですよ」
水正さんの太い人差し指で僕の鎖骨が撫でられた。サテン越しの感触がくすぐったくて思わず小さく声を出してしまう。
「今までの特訓の受講料と思って着てください」
水正さんはいやらしい笑みを浮かべて僕を見下ろし、自分の股間を僕のお腹に押し付けてきた。ピンヒールを履いているせいで普段よりも水正さんの頭の位置は高くなっていた。
「受講料なら必要なだけ払います……だからこういうのは……」
僕は恐怖、そして何故か興奮でいっぱいだった。パニックになりすぎていたのかもしれない。
「じゃあ、夜明けまでに一億円用意してください」
優しい笑みで水正さんは言い放った。そんな、一億円なんて用意できない。それに期限が夜明けまでだったらATMすら使えない。
「そんなの無理ですよね」
苦虫を潰したような顔の僕を見て、水正さんは嬉しそうな表情をした。
「できないなら、それを着てください」
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