関係は健全にどんどん深まっていく

「今日もよろしくお願いしますね」


「こちらこそよろしくお願いします」


 先日のワインパーティでの出会い以来、ビデオチャットソフトで僕と水正さんは特訓会を行い続けていた。基本的には週に一回。ビデオチャット上のやり取りだけでなく、実際にクロッキー会やデッサン会、野外スケッチなどに赴くこともあった。

 仕事と水正さんからの課題に追われていると、気がつけば特訓会を始めてからもう数カ月が経っていた。


「今回の課題作はこれでしたね」


 ディスプレイに僕の絵が映る。リボンのついた肩出しブラウスに黒いスカートを合わせたツインテールの女の子だ。

 今日提出した課題は「流行の服を着た女の子」の絵だった。もちろん水正さんが決めたお題だ。今までの課題の中では比較的、いやとても好きな題材だったので普段に比べるとあっという間に描けた。それに我ながらとても可愛く描けたと思う。


「どう、でしょうか」


 それでも僕の手には緊張で汗が滲んでいた。


「うーん」


 水正さんは言葉を選んでいるようだった。何度か特訓会を続けて分かったことだが、水正さんが言葉を選ぶ時はあまり良い評価がもらえないサインだった。僕は握っていた拳をより強く握り覚悟を決める。


「流行の服はどうやって調べましたか?」


 低く、優しい声で水正さんは言った。僕はそこを聞かれるとは思わなかったので、少しどもりながら答えを返した。


「えっと、オシャレな絵を描くイラストレーターさんの絵から調べました」


「絵だけですか?」


「はい……」


 ああ、マズい。水正さんはいつも「まずは資料を集めなさい」と言っていたのに。好みの題材だから気を抜いたのが伝わってしまった。


「絵のみを参考にしてるのがハッキリ見えますね。例えばここのシワ。参考にした絵では効果的だったんでしょうが、この絵だとメリハリが弱くなってしまってます。シルエットにするとよく分かりますね」


 水正さんは僕の絵に赤ペンで描き込んだり、シルエットにした画像を表示させたりした。水正さんが言ったことは全部大当たりだったし、シルエットにした僕の絵は何だか薄っぺらかった。


「さて、今回の作品は……服のジャンルとしては『地雷系』ファッションですね」


 地雷系。初めて聞く言葉だった。僕は慌てて検索エンジンで画像を検索した。するとまさに僕が描きたかったような服が山のように表示された。


「そう、そうです! こういう服です!」


「でも佐土原さんは『地雷系』という言葉を知らなかったから、資料にたどり着けなかったんでしょうね」


 そうなのだ。僕は感覚だけで絵を描いていたから、資料の探し方が上手くない。


「資料集めのためにインスタグラムを始めてみてはどうでしょうか?」


「でも……インスタグラムってキラキラした写真を載せるやつですよね?」


 ツイッター以外のSNSをほとんどやらない自分にはインスタグラムなんて別世界の存在だった。偏見と興味のなさのせいでほとんど見たことがない。


「その写真を載せるときに『ハッシュタグ』を使うんですよ。ファッションの画像だとジャンルやブランドが大抵ハッシュタグに混ざってます」


 それにキラキラした写真じゃないと載せちゃいけないってわけじゃないですよ、と水正さんは笑った。


「あ、つまりそこから服のジャンルやブランドを知っていけってことですね!」


「そうです」


「それじゃあ、資料集めに十五分、描くのは一時間で改めて一枚描いてみましょうか。お題は同じ『流行の服を着た女の子』でいきましょう」


「はい!」


 私はアラームをセットし、液晶タブレットのペンを持った。そして気合を入れ直した。


 水正さんとの特訓は、課題提出、添削、それを踏まえて制作、という流れだった。時間がある時は今日のように添削後に即制作に入ることが多かった。添削の時には毎回何かしら使える技術、情報などを教えてくれるのでとても助かっていた。

 こんなやり方があるならみんなツイッターでもっと共有してくれてもいいのに……と思うことすらあった。しかし愚痴ってても先には進めない。


 さて今回の制作だ。水正さんから「地雷系」「インスタグラム」というヒントをもらったから効率的に資料が探せるだろう。

 ひとまずインスタグラムで地雷系を検索してみると、どんなに時間があっても見きれないだろう数の画像がヒットした。ここから更に描きたい絵に近いものを探すのかと思うと少し気が重くなった。


「真面目に全部見なくても、好きな着こなしや雰囲気の画像を投稿しているアカウントだけ見てもいいんですよ」


 ディスプレイを共有のままにしていた。画面の挙動で僕の気持ちがそのまま水正さんに届いてしまったようだった。しかしごもっともな指摘だ。僕は流すように大量の画像を見ながらピンとくるものを探していった。


 そんなこんなしていると無事に資料は見つかり、資料集めの時間も終わった。十五分なんてあっという間だ。さて次は制作。画面共有をしたままドローイングソフトで描き始める。


 ちなみにこの時間は水正さんも僕と同じように資料集めと制作を行っている。同じ時間でどれぐらいのものができるかの比較のためだ。水正さんが完成させたものを見るたびに僕の心は折れかける。

 だが水正さんの愛の鞭だと思い今日まで強い気持ちで頑張ってきた。そう、僕は頑張っているんだ。


 クロッキーやスケッチ、デッサンを始めてからは構図決めや人体デッサンに掛ける時間がだいぶ減った。その分絵の完成度を上げるのに時間を回せるようになった。以前のことを考えると「やっとスタート地点に立てた程度なのかもしれない」と思うこともあった。


 画面の中では僕の手で地雷系ファッションの女の子が描かれていく。短時間の制作なのに課題として出したものよりもよりらしく、より可愛く描けていく気がする。いや、実際に可愛い。資料をしっかり用意したことで服の正しいディティールもよくわかる。


 アラームが制作時間の終了を告げた。


「さて、できましたか?」


「はい」


 僕は描いたものを画面いっぱいに表示する。教えてもらったテクニックや身につけた技術などを使った絵。今回は「地雷系ファッションの女の子がベンチでたそがれている絵」に仕上げた。


「いいシチュエーションですね」


 褒められた。嬉しい。


「それに服の質感も良くなってますね。短時間なのによくできています」


 よし、また褒められた。


「パースはまだ甘いですね。次回の課題にしましょうか」


 それは……自分でもわかっていた。人物とベンチがなんとなく噛み合ってないような違和感を感じていた。


「ベンチに合わせるならもう少し俯瞰気味になります」


 水正さんは僕の絵にスラスラと赤を入れていく。なるほど、こうすればいいのか。


「じゃあ最後に私の絵も表示しますね」


 僕の画面に一時間で描いたとは思えない厚塗りの絵が表示された。人物メインだが背景もしっかり描かれている。シチュエーションは違っているとはいえ、僕の画力では絶対に勝てない。今日も心が折れそうになった。


「いつもながらすごい絵ですね」


 僕は挫けそうになりつつも言葉をひねり出した。


「こんなのまだまだですよ。私より上手い人は星の数ほどいます」


 水正さんより上手い人。本当に存在するのだろうかと僕は思ってしまった。


「それに佐土原さんにしか描けないものもあると思いますよ。きっと私は近いものは描けるかもしれないけど本質が違う、そんなものが」


 意外な言葉だった。


「えっ、それってどういう意味ですか」


「そのままの意味です。佐土原さんにしか描けなくて、私には描けないものがあるんですよ」


 水正さんはきっと画面の向こうで笑っていることだろう。声色からにじみ出ていた。


 そうして今日の特訓会は終わった。次の課題は「好きな町並み」だった。

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