優しい岩肌は本当に優しいのか
カウンターで水の入ったペットボトルを貰ってソファのある方へ向かう。そこには見た顔があった。
「疲れたんですか?」
さっき優しくしてくれた大柄な男だった。彼の第一印象は全体的に四角くてゴツゴツとした岩のような人、というものだった。身体も手も顔も骨太な形をしていた。肩甲骨まである黒々とした髪の毛はオールバックにして首のところで結ばれていた。雑な髪型に見えるのに、不思議と黒色のカッチリとしたジャケットと似合っていた。
「ええ、人が多いのに慣れてなくて」
僕は苦笑いしながら言った。コミュニケーション能力のない僕は、人とゼロから交流を始める、それに大人数とのやり取りとなると精神的に疲れ果ててしまうのだ。それにあの言葉たち。思い出して胃の中でアルコールがぐるぐる回るような気持ちになる。
「顔色が悪くなってきてますよ。まずは座りましょう」
男は自身が座ってる三人がけのソファをポンポンと叩いた。僕はふらつきながらソファに沈み込んだ。
「水、飲めますか?」
「たぶん……」
僕はペットボトルの蓋を開けようとしたが、手に力が入らなくなっていた。何度も試すが、蓋のギザギザが手を痛めつけるだけだった。
「貸してください」
見かねたのか男がペットボトルを開けてくれた。僕はそれを受けとり、ちびちびと飲む。そしてゆっくりと呼吸。またちびちびと飲む。それを何度か繰り返していると、苦痛が和らいだ気がした。男はその様子を心配そうに眺めていた。申し訳ないことをしてしまった。
楽になったことを男に伝え、世間話でもすることにした。
「ここに来てるってことは異業種交流会の参加者さんですよね?」
「そうですよ。でも何度来てもこの雰囲気には慣れないんです」
男は照れくさそうに頭を掻いた。
「どんなお仕事を? あっ、僕はゲーム系イラストレーターなんですが」
「奇遇ですね。私もイラストレーターをやってますよ」
同業者と知り、僕は男に親近感を抱いた。
「なんだか嬉しいです。えっと……」
「
「ありがとうございます、水正さん。僕は
「私は何でも屋なんで色々ですね。ポートフォリオ持ってきてるんで差し上げますよ」
水正さんはトートバッグから小さな冊子を取り出し、私に渡してくれた。大柄な水正さんが持つと文庫本のように小さく感じたが、自分の手でいざ持ってみるとA5サイズぐらいの大きさはあった。
「装丁もたまにするので、そのサンプルがてら実物の本にしてるんですよ」
冊子はとても手触りが良かった。そして本屋で売られている本とは違う、何かセンスを感じるデザインの表紙だった。語彙力がなさすぎるせいで、この凄みを言葉にできないのがもどかしかった。そして初めての感覚につい表紙をまじまじと眺めてしまう。
「表紙には自作のグラフィックデザインを使ってるんです。昔のロシアのポスターや横尾忠則のデザインが好きなので、パッキリとした色合いにしてます」
水正さんは僕の知りたいことを分かりやすく説明してくれた。言われてみればそんな雰囲気だ。大胆な構図で色が強い。しかしそれに合うようにに文字もデザイン的に表紙に組み込まれており、これが水正さんのポートフォリオということはしっかり伝わるように作られていた。
「よかったら中身もどうぞ」
僕は促されるまま表紙をめくった。そして目に入った水正さんの作品や参加作の凄さのあまり、ページをめくるだけで手から汗が滲み始め、鼓動が早くなっていった。イラスト、キャラデザイン、3Dモデリング、UIデザイン、パッケージデザイン、装丁、ロゴデザインなど……本当に様々な種類の作品を手掛けていた。しかも大半は僕も見たことのあるものだった。
そしてとあるページで僕はショックを受けた。
「あの、水正さん。このページのキャラ原案って……」
「私がやりました。スタッフロールには載ってないんですけどね」
水正さんは僕の一番好きなゲームのキャラ原案を担当していた。学生の頃、全アイテムを収集したりゲーム内の所持金がカンストしたりするほど遊びこんだタイトルだった。就職して一人暮らしをし始めた時にも、引っ越しの荷物としてゲームハードと一緒にそのゲームのソフトを持ってきていた。今でもたまに起動して遊ぶこともある。それぐらい大好きで思い入れがある作品だった。
「僕、このゲームの大ファンなんです! 関わった方にお会いできるなんて……嬉しすぎます……」
僕は今日で一番感情的になって話してしまった。感謝や感動の気持ちを一切隠さずに水正さんに伝えた。
「そんな、大したことはしてませんよ。でもありがとうございます」
あまりにも熱のこもった僕の言葉に、水正さんはどこか引いてしまっているようにも見えた。やってしまったか。
「そうそう、ところで佐土原さんのポートフォリオってありますか? ぜひ拝見したいです」
水正さんはニコリと笑って言った。こんな凄い人にポートフォリオを見せるなんていいのだろうか。
「ぼ、僕のでよかったら!」
慌てて僕は水正さんに名刺を渡し、裏面のQRコードからポートフォリオサイトに飛べることを伝えた。水正さんはすぐにスマホを取り出し、僕のポートフォリオを見てくれた。
大きな指で僕のポートフォリオがスライドされ、代わる代わる絵が表示されていく。気になるものがあると拡大して見てくれていた。絵から僕を覗かれているようで、なんだか急に恥ずかしくなった。
水正さんは最新モデルのスマホを使っていた。今まで発表されたモデルの中で一番大きいはずのスマホは水正さんの手のひらの中にすっぽりと収まっていた。僕の名刺も紙吹雪の一枚みたいだった。
「なかなかお上手ですね」
「ありがとうございます!」
水正さんの手元ばかり見ている中で急に感想を言われ、どもりそうになりながら感謝を伝える。あのゲームのキャラをデザインした水正さんに褒められた事実に、僕は思わず口元がニヤけてしまう。
「でも、佐土原さんならもっとできるはずです」
そんな、僕なんて……と言おうとした瞬間、水正さんはかき消すように強く言い放つ。
「それに本当に描きたいものは別にあるんでしょう?」
水正さんは僕の描いた少女の絵を見ながら言っていた。森の中でたそがれている金髪の少女。それは個人的に一番気に入っている作品だった。
「……え?」
僕の顔に一筋の汗がつたった。絵から本当のことを見抜かれてしまっていた事実に困惑した。
いつの間にか、水正さんは僕の目をジッと見ていた。腫れぼったいまぶたの下にある真っ黒な目からは凄みと恐怖を感じた。
「ここで会ったのも何かの縁。明日から私が指南しますよ」
「え?」
「じゃあLINE のID交換しましょう」
「は、はい……」
混乱しているまま、僕は水正さんとプライベート用の連絡先を交換した。そしてビデオチャットのIDも。
「よろしくお願いしますね。早速明日から取り組んでいきましょう」
「よ、よろしくお願いします……」
そうして本当に次の日から水正さんとの特訓が始まってしまった。
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