僕と瑠璃子の物語

如月 安

僕と瑠璃子の物語

「レン、ほんとのほんとに、気を付けてよ。」


「大丈夫だってば。そんなに心配するなよ。今日も無事に帰って来るからさ。」


 僕は、瑠璃子をそっと抱き締めた。


「だけど、あいつら・・・。あたしたちを目のかたきにしてるから・・・」


 ってのは、もちろん、のことだ。


 見た目はこれ以上ない程、醜悪。気色の悪い全身から毛を生やし、驚いたことに、二足歩行までして見せやがる。

 天を衝くくらい巨大な体にものを言わせ、僕たちの命を弄ぶ。


 ついこの間、地上に現れたかと思うと、恐るべき繁殖力を見せ、あっという間にこの辺りを制圧してしまった。


「心配するなって。そろそろ、食い物も底をついてきただろう?」


 僕たちは奴らに見つからぬよう、身を潜めて生活する他、生きるすべを失くした。


「だけど・・・」


「大丈夫。今日もすぐに戻ってくる。僕が陸上のエースだったってこと、君もよく知ってるだろ?」


 おどけた風に足を上げて見せたが、瑠璃子は心配そうに顔を曇らせたまま、笑ってはくれなかった。


「だって・・だけど・・・タケルくんだって・・・」


 瑠璃子は、先週、に遭遇してしまった、僕の親友の名を挙げた。


「タケルが得意だったのは、高跳びだろう?短距離では、僕の右にでるやつはいない。つまり、逃げ足は一番ってこと。頼むから、何も心配しないで、どーんと大船に乗ったつもりで、待っててくれよ。」


 できるだけ明るく言うと、ようやく、瑠璃子はふっと微笑んだ。


 瑠璃子は、僕の恋人だ。

 優しくて、しかも、めちゃくちゃ可愛い。

 だけど、ちょっと心配症過ぎるところが、玉にきずなのだ。そこがまた、可愛いんだけど。


「レン・・・、本当に、くれぐれも、気を付けてね。」


 わかったよ、と言いながら、僕は彼女の瑠璃の玉みたいに煌めく、つぶらな眼に見惚みとれた。


 瑠璃子に会った瞬間、僕は一目で恋に落ちた。

 瑠璃子は、いわゆる美少女ってやつだ。

 はっきり言って、そこらへんのアイドルなんか目じゃないくらい、可愛い。

 告白してOKしてもらえた時、周りの男どもから、めっちゃ羨ましがられた。


 今は、のせいで、こんな風に日陰に身を潜める生活を強いられてるけど、僕はこの先、何があっても瑠璃子を守ってやる、と心に決めている。

 照れるから、口に出しては言わないけどね。


「じゃあ、行ってくる。」


 瑠璃子にしばしの別れを告げ、僕は出掛けた。


 の、領域テリトリーに。



§



 暗闇に目を凝らし、用心しながら、先へ進む。


 どれほど用心していても、僅かな物音でも立てると、奴らは気付くことがある。


 正直、奴らの生態は理解しづらい。

 

 はっきりしてるのは、とにかく、狂暴で残忍ってことだ。




―――なにはなくとも、まずは、水だ。


 命を繋ぐ水。

 誰にとっても、水は何よりも貴重なものだ。雨でも降れば、それで凌ぐこともできるが、生憎あいにく、ここ数日は晴天が続いていた。

 瑠璃子も、少ない水を遣り繰りし、我慢していた。腹いっぱい、飲ませてやりたい。自分の不甲斐なさがやるせなく、気持ちが沈む。


 障害物の後ろに身を潜めるようにしながら一歩ずつ進み、奴らに独占された水場にたどり着く。


 緊張でカラカラになった体を潤すべく、ごくごくと水を流し込む。


 (くう――っ!美味い)


 乾いた全身に水分が行き渡ると、元気が百倍になった気がした。


 体が十分に潤ったら、次は、食事だ。


 瑠璃子の為にも、食い物を持ち帰りたかった。


 周りを見回し、神経を研ぎ澄ます。

 落ち着け、心を平らにして、探すんだ。必ず、ここら辺に、ある筈だ。

 その時、あるものが目に留まる。


 ―――あった!


 一刻も早く瑠璃子の元に戻りたかった僕は、気がはやり、夢中でそれに駆け寄った。


 食えそうな物を、持てるだけ持つ。


 これだけあれば、しばらく凌げる。


 きっと、嬉しそうに、花が綻ぶみたいに笑ってくれるだろう。


 僕は、瑠璃子の笑顔を見るのが、何よりも好きだった。


 食い物さえ手に入れば、こんな見通しの良い場所に長居するのは、愚の骨頂だ。


 早く帰ろう、瑠璃子の元へ―――


 ザッザッザッザッ・・・


 その時、不吉な音が響いた。


 パチンと、何かがぜるような音。


(しまった!だ。)


 頭を殴られたみたいに、視界が真っ白に染まった。


が現れた。しまった、しまった、しまった!)


 ぴたり、と動きを止め、気配を消す。


(ここら辺に生息してる奴は、昼行性タイプだと油断していた。夜行性タイプが紛れ込んでいたのか!?)


―――どうか、どうか、見つかりませんように。


 鼓動が早まる。


 緊張のあまり、ひやりと体が冷たくなり、息を殺す。


『・・・タケルくんだって・・・』


 さっき聞いた、瑠璃子の声が耳の奥で響いた。


 タケルは、僕の幼なじみだった。

 性格は豪放磊落ごうほうらいらくで、誰からも好かれた。面倒見が良くて、年下の奴らからも慕われ、いつも冗談ばっかり言って、場を和ませてくれるムードメーカーだった。

 ガタイも良ければ、頭も良かった。


 高跳びで、全身をばねみたいにしならせて跳ぶと、誰もあいつには敵わなかった。


 空に向かって思い切り跳ぶあいつは、褐色の肌に陽の光を浴びて、きらきら輝いていた。

 あの眩しい姿は、今も胸に焼き付いている。


 タケルは、ミスを犯すようなやつじゃない。


 きっと、の方が一枚、上手うわてだったのだ。


 (くそっ)


 悔しくて、視界がぼやけた。


 奴らに、命乞いなど、通用しない。


 おそらく、タケルを見つけるなり、冷然と、容赦なく、とどめを刺したに違いない。


 奴らに見つかったら、全速力で逃げる。


 それしか、生きる道はなかった。


 どういう訳か、奴らは僕たちを、目のかたきにしているのだ。


 奴らは、僕らを食うために殺す訳じゃない。


 そして、僕らは奴らに対し、何の害も及ぼさない。


 なのに、奴らは僕らを殺す。


 ただ、殺戮を楽しむように。


 男だろうと、女だろうと、老いていようと、本当に胸が痛むことに、いたいけな幼な子であろうとも、容赦などしてはくれなかった。


 視界に入ったら、殺す。


 ただ、それだけ。


 まったく、狂気の沙汰としか思えない。


 少なくとも、今のところ、見つかった僕たちには、勝ち目は無いと言って良かった。


 転生した勇者か魔法使いか聖女かなんかが、都合よく降臨でもしてくれない限り、十中八句、見つかったら殺される。


 

 本当に、酷いことをしやがる。


 僕たちに、一体、何の恨みがあるっていうんだ!




「ぎいやあああああああああ!!!!」



 その時、空気を震わし、辺り一帯に響き渡る、地響きの如き叫び声が轟いた。


 おそらく、半径百メートル以内にいる、全ての生き物が何事なにごとか、と動きを止めたに違いない。


 が僕らを見つけた時に発する音だった。


 殺戮が、始まる合図。


 僕は、命を守るための選択を迫られていた。


「逃げる」もしくは、「戦う」


 退路を探したが、ここはあまりにも、見晴らしが良すぎた。


 もっと用心して、物陰に身を潜ませておくべきだった、と悔やもうとも、最早もはや、後の祭りだ。


 洞穴ほらあなみたいに暗い双眸そうぼうは、しっかりと僕の姿を捉えていた。



 僕は、「戦う」を選んだ。


 敵の方を向き、体中のバネを使い、持てる力のすべてをこめて、飛び掛かる。


 ―――必ず、生きて帰って見せる!!・・瑠璃子!!!



「ぎいやあああああああああああ!!!!」



 先程よりも、もっとデカい音が、辺りに響いた。


 僕の渾身の一撃は、すんでのところで、かわされた。


 もう一度!と振り返ろうとした僕の上に、しゅう――っと不吉な音を立てて、奴は何かを噴射した。


 しまった!!


 避けるのが、一歩遅れた。だが、大丈夫、まだ―――


 しかし、足は、凍り付いたように動かなかった。


 驚いて見やると、僕の足は、文字通りに凍り付き、固まっていた。


 動かそうとしても、足はそこにないみたいに、何の感覚もない。


 最早もはや、使い物にはならないのだと、分かった。


 僕は、誰よりも早く走れる足を失った。


 まさか、たった一撃で―――? 


 毒を放つだけでなく、足を一瞬で凍らせるほどの冷気まで撃ちやがっただと・・・!?


 そんな馬鹿な・・・、奴らは、短期間でこれほどの進化を遂げているって言うのか!?


 しゅううううう―――


 振り仰いだ僕の上に、容赦なく、猛毒の雨が、降り注いだ。




 薄れゆく、意識の中。


 僕は、瑠璃子を想った。


――『レンって、走るのが、とっても早いのね』


―― 君が褒めてくれて、嬉しかった。だけど、あの時は恥ずかしくて、すぐに『ありがとう』って言えなくて、ぷいっと横向いたりして、ごめんな。

 あれから、僕の誇りになった足は、無くしてしまったよ。


―― ああ、しまったなあ。



 美しくて、可愛い瑠璃子。

 愛してる。

 ごめんよ、あんなに、僕を心配してくれたのに。

 僕は、無事に君の元に帰れそうにない。

 だけど、僕は最期まで、勇気と希望を失わなかったよ。


 必ず、生まれ変わって、君にまた会う。


 だから、悲しまないでくれ。


 どうか、幸せに・・・・

 

 君が華麗なステップを踏みながら踊る姿が、何よりも、好きだった。


 生まれ変わっても、君を忘れたりしない。


 褐色に艶めく肌。


 瑠璃のように煌めく眼。


 三日月みたいに、しなやかで優美な曲線を描く、




――――触覚。




「ふぁあ、大丈夫か?地響きみたいな悲鳴が聞こえたけど。」


「お、お、お、お兄ちゃん!!やばい!!G!!Gが出たよ!この家、Gがいる!!」


「えー?たった一匹で大げさだなぁ。外から紛れ込んだんだろ?」


「お・・大げさって!Gよ!G!!わかってる!?さっきなんて、顔に向かって飛び掛かられて、危うく気絶するとこだったわよ!!殺虫剤、すぐそこにあって助かったぁ!」


「はいはい。明日テストだろ。一夜漬けもほどほどにして、早く寝ろよ。」


「・・・ふう、まあ、それもそうね。そのG、片しといてよぉ。マジで、見るのもムリ。袋に入れて、ぎゅってくくっといてよ。理紗が言ってたんだけど、死んだと思って、ごみ箱に捨てて、しばらくしてカサカサッて音がしたから振り向いたら、頭がもげかけたGが、這い出してきてたんだって・・・。ホラー!マジでホラー!!」


 頭上で繰り広げられる、奴らの会話を聞きながら、僕は最期の力を振り絞り、かさり、と動いた。


 その途端、奴らは繰り出した。

 これまで、多くの仲間にとどめを刺してきた、恐るべき最終兵器。


 その名は―――



 スリッパ!


 ぷち、と音を立てて、僕は絶命した。


「僕らの何が気に入らないって言うんだ!

 お前らが、大枚はたいて可愛がる、カブトやクワガタと、見た目それほど変わんねえだろうが!」


 という僕の断末魔の叫びは、スリッパが床に叩きつけられる音に、無慈悲にかき消された。



 だけど、覚えていろ・・・。

 最後に笑うのは、僕たちだ。


 僕らは、地球全土を襲った生物大量絶滅期を何度も生き延びた。

 あの恐竜すら絶滅させた隕石の衝突、地球のほぼ全土を凍り付かせた超氷河期だって、ものともしなかった。


 ごく最近、地上に蔓延はびこり始めただけのお前らなど、足元にも及ばない、実に三億年もの長い時間ときを、僕らは生きてきた。


 生まれ変わるたび、記憶を継承し、より強く、よりしぶとく、より賢く、進化しながら。


 いつか、僕らの方がずっと優れていた、と気付くことになるだろうさ。



 愚かな、人間どもめ。



 最期に、僕は、この家のいたるところに潜みうごめく、瑠璃子との間に産まれた五百二十九匹の我が子の顔を、走馬灯の中、思い浮かべた。


 夏はまだ長い。


 いっぱいいっぱい、卵を産んで、末永ぁく、幸せに暮らすんだよ・・・・

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