最終章 愛はきらめきの中に

第26話 漆黒の花嫁

 普通、奥に進むごとに、敵の大将に近づくのだから、敵は増えるのが常だが、逆にどんどん減っているような気がした。

 たどりついてもらっても構わないという、余裕の表れのようだ。侵入部隊があるだろうことは予測の範囲のはず。


「大きい力を手に入れてそれがあるから大丈夫、という慢心をし油断していて欲しいですね」


 口数がずっと少なかったコーヘイが、久々に口を開く。


 緊張状態が続いて、全員に疲労の色が出始めていた。

 たどり着いた王座の間には誰もおらず、今五人はとにかく上を目指して移動している感じだ。


 城壁の屋上に出ると、風に乗って戦闘の音がより聞こえて来る。ついに魔法戦に突入しているように見えた。戦況を見ようと、城壁の端に五人が寄った瞬間、後ろから声がした。


 屋上から二階分ぐらい高い見張り塔の上に、探し求めた二人の姿があった。


「これから素晴らしいショーがあるというのに、観客がいなくて寂しいと思っていたところだ」


 帝王のその腕には、フレイアがしなだれかかっている。真っ黒な花嫁衣裳を着せられて。


「芝居がかってる。相当、自分に酔ってるな」


 セリオンが軽蔑の思いを込めて呟く。

 高さの差がある。下段の自分たちは不利だ。さてどうする……。


 魔法を使うしかないと全員が同時に判断し、合図もなく同時に動いた。それぞれが自分の仕事をする、それに徹すればバランスの良いチームだ、とにかく高さの不利をなんとかしたい。


 ディルクは帝王のいる塔に向かって走る。攻撃のためではない、自分に注意を引き付ける陽動のためだ。

 すかさず防御の魔法陣をローウィンが敷き、二人の騎士はアルタセルタをかばうように前に立って構える。この距離はお互い無詠唱では無理だ。

 最短詠唱のスキルで、風の魔法を使って塔から引きずり下ろすつもりだった。


 が、しかし。


 床全体に隠されていた魔方陣が浮かび上がる。ローウィンの魔法陣は消し飛んでしまい、全員が、仕込まれた陣の効力に取り込まれた。体の動きのすべてが縛られる。瞬きはおろか呼吸すら、全力で抗わないとできないほどの縛りだ。


「精鋭はなまじ功をあげているだけに、敵に名が知れ渡りやすいというのが残念だったな」


 名前をもって、魂から体を縛る緊縛の魔法。

 侵入部隊に誰が来るか、すでに帝王は把握済みだったのだ。ローウィンだけは意外すぎる選出で、ぎりぎりになってしまったが。



 ヴィルヘルムは人を見下すのが大好きだ。すべての人間は我の足元にいればいい。帝王は気持ちよさそうに戦場と、五人を見やる。すべてがちっぽけで、他愛ないものに見えていた。

 自分の腕に手を添え、人形のように微動だにしない、花嫁を見下ろす。


――この女もただの道具にしか過ぎない。ただの憎悪の炎の器だ。


 誰もが闇の感情を持つ。


 嫉妬、憎悪、憤怒。すべて人を傷つける強い感情。

 そのすべてを、解き放つことなく、自分の中に抱え続けた人間が手に入るとは思っていなかった。この世界では見つからなかったが、まさか異世界にいたとは。


 耐える事は美徳ではない。辛ければ辛いと言い、苦しければ苦しいというべきだ。憎ければ憎めばいい。普通、人は、そうやって闇の心を昇華していく。


 しかしそれらを一切せず、閉じ込めた感情に自らを傷つけられながら、それを甘受して耐え続けた人間がいたのだ。憎悪の炎が燃え盛っても、自分だけが焼かれ、他者を焼く事はないまま生きて来たこの娘!

 

 なんという強さだろう。誰も持ちえぬ、圧縮された負の感情を、閉じ込め続ける強靭な心。ついにこの負の感情の塊すべてを、自分が思うままに使えるのだ。


「フレイア・シエナ・フォン・ガイナフォリックス、我が妃よ」


 帝王は花嫁の名を、全て読み上げる。

 フレイアも、名をもって縛られているのだ。

 自らの意思ではもはや動く事はできない。


 五人はこの時、はじめてフレイアのフルネームを知った。この世界で与えられた名前だが、それが今の彼女の名前だった。


 少女の左手の薬指には、契約の指輪がはめられてる。


「これで儀式は終わる。おまえの物はすべて我のものだ」


 相手の意思などすべて無視した、契約のためだけの口づけ。乱暴で、何の労わりもない、強引なだけの荒々しい接吻。


 体はなすがままになる自分だったが、フレイアの心はずっと抗い続けていた。体の自由は奪われても心の自由は奪われていない。フレイアはすべての知識を総動員し、今自分ができる事を必死に探す。



 自分を迎えに来てくれた人たちがいる気配を感じていた。今は彼らの方を、見る事すら叶わない。見たくもない帝王から目を背ける事すらできない。

 でも何となくわかる、いつも一番、助けがほしいと思ったときに来てくれるあの人が、今この時も来てくれていると。



 フレイアの心の炎が、本人の意思に関係なく吹きあがる。赤黒い炎は帝王の髪の色に似て、空に突き刺さる勢いで燃え上がって行った。


 異世界人の魂の器に溜め込んだ有り余る魔力とこの炎で、ついに念願の古代の文献から見つけ出した究極魔法が発動する。


 炎が天を貫いた刹那。


 戦場に変化が見られた。


 空高く、いつくもの魔法陣が発現する。魔方陣は溶けあい、融合して大きな陣を構成した。戦場で兵が声を上げる。


「なんだ? あの魔法は」

「こちらの軍の術か!?」

「あんなもの見た事がない!」


 ちらちらと、小さな流星が空を翔けた。


 やがて巨大な魔法陣から、燃え盛る星の欠片がじりじりと召喚されてくる。


「こいつ、敵も味方も、関係なく吹き飛ばすつもり、か」


 ローウィンが声を絞りだす。


「古代、魔法……」


 アルタセルタも、魔導書で一度は目にしたことがあったが。発動条件が厳しくて、二度と発動される事はないと言われてきた、失われたはずの太古の魔法。世界を九十日、焼き続けた最大最悪の攻撃魔法。千人を超える魔導士の全魔力といくつもの条件がそろわないと発動しない。対価も必要だ。


「これがあれば、この世の誰も我に逆らわぬ、永久に」


 帝王は動き出した魔法の想像以上の壮大さに歓喜する。



「あんなものを放ったら、この場所もただじゃ済まない」


 魔法に疎い騎士三人でも、この視界に写る範囲は、全て吹き飛ぶと予感した。


 王都からもこの空の様子は見て取れた。


「なんということだ」


 国王が苦悶の声をあげる。

 傍らに控えるセトルヴィードは声も出せない。こんなものを準備していたのか。

 


 空が鳴動する。大気が震える。

 戦場は大混乱で、どこへ行けばいいのかと、敵も味方もなく右往左往する。

 空が落ちて来るような光景に、人々は恐怖していた。

 星の欠片は未だ空の彼方にあるというのに、じわりと熱が伝わってくる。


 フレイアは考え続けていた。


――急がなければ。

――考えて、もっと考えて。

――私にできる事が絶対にある!!


 やがて、フレイアはついに答えを見つけた。




 大切な物を失うけど、それ以上に得られるものが多い、今やるべき答えを。

 これが自分の導き出した最適解。




 『おとうさん、おかあさん、


  私を娘にしてくれてありがとうございました。


  今、いただいた名前をお返しします』




 歓喜に震える帝王の腕にしがみついていた腕が、そっと離れる。

 意外すぎる花嫁の行動に、一瞬何が起こったのかわからなかった。

 なぜ、自分の意思で、動けているのだ!?



 花嫁は静かに目を閉じたまま、一歩、二歩と、帝王から距離を取る。


 五人も目を疑った。魔導士の緊縛の魔法を破るなんて。

 だが、コーヘイすぐに気づいた。


――そうだ、彼女にはもう一つ、名前がある。



 元の世界でつけられた、本来の名前が!

 それはこの世界での名前を手放したという事だが。


 彼女の本名を、この世界の誰も知らない。もはやどんな大魔導士であっても、彼女を縛る方法はない。



 少女はゆっくり瞼を上げる。

 木漏れ日色の光。

 古代魔法にも抵抗しうる、唯一の力。


 過去の大魔法に対抗しうる最新鋭の三次元魔法。

 彼女の瞳に刻まれた、彼女にしか使えない生体魔方陣。



 『私の力を帝王が使えるなら、私も、帝王の力が使えるはず』



 おぞましいが、もはや一心同体なのだ。

 帝王の蓄えた、膨大な魔力が自分の体を突き抜けていく。


 足元の魔法陣から分解され、崩壊を開始する。


 帝王は混乱した、多数の文献を紐解き続けた自分でさえ、見たことも聞いた事もない、立体的な金色の光の奔流に右往左往するしかない。

 次々と周囲の魔法陣を飲み込まれていく。

 自分の設計したすべてが破壊されていくのを帝王は目にした。


 五人を縛っていた魔方陣も解ける。


 帝王が魔法の分解を止めるには、術者をどうにかするしかない事に気付き花嫁に手を延ばした。


 アルタセルタが魔法を使おうとするが、発動しようとした瞬間にかき消されてしまって。


 帝王の腕が花嫁を捕まえた、そう思った時。




 銃声。




 コーヘイの放った狙い定めた渾身の一発は、帝王のこめかみを撃ちぬいていた。あの時倉庫から持ち出した、一丁の拳銃。彼はその引き金を引いたのだ。

 

「ば、か、な」


 口がその形に動いたが、声は出なかった。そのままの勢いで、帝王は塔から落ちていく。


 銃声がこだまを終えた時、少女はゆっくりと音の発せられた方向に顔を向け、コーヘイを見つける。

 

 ――やっぱり来てくれてた。


 自然と笑顔になってしまう。

 私を幸せにしてくれるひとたちが、そこにいる。


 自分の心が喜びに満ちていくのがわかる。



「すぐ行くから、待ってて!」


 コーヘイの叫ぶ声に、少女はゆっくりとかぶりを振った。

 来てはいけない。唇がそう言うようにゆっくり動く。


 彼女はわかってた。この魔法は自分の意思では止められないと。


 魔力の届く範囲すべての魔法を分解しつくすまで、もしくは魔力を使い切るまで止まらないのだ。


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