第24話 魔王
フレイアは自分を気遣う魔導士に、見られる事を嫌がった。
穢れた自分を、その美しい瞳に写さないで欲しいという。その瞳まで穢れてしまうからと。
こんな時であっても、彼女は人の心配をするのか。
コーヘイは呆れたような気持ちになったが、記憶を取り戻しても性格が変わっていない事を知り、肩の力が抜けた。
そしてベッドに横たわる長い黒髪の少女改めて見やる。
――美しい。
今の彼女の中は、憎悪や嫌悪が満ち溢れているだろう。
だが、闇もまた人を魅了する。
闇は蠱惑的に怪しげな、狂おしい美の象徴。
彼女自身の輝きに相対的に生まれた深い影。
光と闇のコントラストが、フレイアを大人っぽく、魅惑的な大人の女性に見せていた。潤んだ瞳の醸し出す雰囲気は、誘惑的で危険な挑発。そこにいるだけで罪のような、今までにない魔性の美しさ。
可愛らしいだけの、平凡な女の子はもういない。
夢魔を倒して、少女が無事で、安堵していた全員の全ての細胞が総毛立つような危険な気配がした。
セリオンに叩き込まれた訓練の成果か、コーヘイは反射的に、剣を構え直し、魔導士を守るように立つ。
この世界では戦いにおいて、まず魔導士を守らなければ話にならない。
騎士団はよく仕込んでると、カイルは感心する。
しかしいつまでも感心しているわけにはいかない。
何かが近づいてくるのがわかった。
治癒術の専門家であるが、カイルも防御の魔法陣を無詠唱で敷く事ができる。副団長の名は伊達ではない。
空間がゆがみ、割け、邪悪な気配が部屋に吹き込んできた。
相手は本体ではないようだ。
だが。
「帝王ヴィルヘルムの花嫁を迎えに来た、我が妃を渡していただこう」
圧倒的な魔力の圧を感じる。これが”人”の力だろうか?
そこに現れたのは、いわゆる分身のようなものだが、その発する魔力量は、セトルヴィードとカイルを足しても余りあるように思われた。何人もの魔導士の集団のようだ。
カイルの敷いた陣は一瞬で消し飛ばされる。
コーヘイは剣を構えたまま動けない。全く隙が見つけられない。全方位に放たれる殺気には、わずかな隙間も揺らぎもなく。
だがそんなコーヘイでもわずかながら牽制にはなったようで、相手はそれ以上位置を変えなかった。どんなに強い魔導士であっても、物理攻撃を受ければ死ぬ。影であっても本体はダメージを負う。
そのわずかな時間稼ぎの間に、セトルヴィードは詠唱を終えた。
最上級の退魔陣。悪しき意思の侵入者を防ぎ、相手の魔法をはじく。戦場において王族のそばにいなければお目にかかれない、上位中の上位魔法だ。
しかも少女を護りたいという気持ちが乗って、かつてないほど強固な陣になっている。さすがはこの国の最高位だ! カイルは感心しつつ、サポートのための陣を次々と展開する。
しかしこの状態でも、相手をそこに押しとどめるのが精いっぱい。セトルヴィードですら攻撃魔法に移行できる余裕は全くない。
――何だ、この魔力の多さと強さは。
――伝説級の魔王でも、これほどの力を有するだろうか?
敵も退魔陣の強さが予想外だったようで、少し苛立ったようだった。
短い詠唱の仕草を見せた。
「まずい」
セトルヴィードは退魔陣に高位の防御陣を重ねがけした。二つの高位魔法を同時に支える力はある。しかし無詠唱で敷ける陣には強度に限度があった。
次の瞬間には一瞬ですべての陣も、コーヘイも、魔導士も、全て弾き飛ばされていた。防御の魔法陣がなければ原型を留めぬ肉片になっていてもおかしくないほどの威力。
肉片にはならなかったがダメージは深刻で、すぐに動く事ができなかった。
帝王の影は歩みより、フレイアを抱き上げた。少女は抗うように身をよじったが、完全に腕に包み込まれていては小柄で衰弱した体ではどうしようもない。
「想像以上に、美しく闇に染まったものだ」
闇は心底美しい。光は明るさを変えて、強くなったり弱くなったりと常に揺らぐが、重い闇は一切のゆらぎを持たないのだ。完璧な美は闇にこそあると、この王は信じている。
「彼女を、どうする、つもりだ」
魔導士と比べてコーヘイは物理的なダメージには強い。なんとか声を出す。
これから面白いショーが始まるとでも言いたげに、闇の似合う王は興を覚えたように答える。
「憎しみは、導火線に火をつける。閉じ込められ、圧縮された濃厚な憎悪の炎は、何もかも焼き尽くすだろう」
唇の端に笑みをたたえ、フレイアの髪を指で漉く。怯えて震える黒い瞳に、僅かに魔法の痕跡が認められ魔王のような男は少し違和感を感じた。夢魔によって廃人のようになっていると思っていたが、予想外に自我が残ってる事にも驚いた。
まぁいい、些細な事だ。頭の中でつぶやき、ヴィルヘルムはフレイアを連れて、空間のゆがみに消えていった。
セトルヴィードは敗北感にさいなまれながら、敵が口にした言葉を思い返す。何か古い古い文献に、その発せられた言葉と同じ記述があったような……。
◇◆◇
フレイアが連れ去られてから二週間が経っていた。
諜報活動の結果が次々に報告され、対応には全軍の出撃が必要であると判断された。騎士団は編成に大わらわだ。
装備の手配、下級の魔導士でさえもこぞって対応のために駆け回る。
上層部は会議を重ね、情報交換、意見交換を続ける。
ただ、フレイアに刻み込まれた分解の魔法については、魔導士団は報告しなかった。魔法を完全に消し去る魔法は、魔法の世界においてあまりにも危険すぎる。
戦いには使いようがない。こちら側の魔法も使えなくなるから。
だがいつか、魔法でなくても遠距離の、矢を超える物理的に強い攻撃方法が異世界人の技術で発明されれば、話は変わってくる。
この世界の戦い方の全てが根底から覆されるのだ。今すぐどうこうという事はないだろうがフレイアを救い出せたとしても、そんな力がある事を知られれば、あの妃至上主義の王子にどのように扱われるか知れたものではない。
道具のように使われるような目に、合わせたくないという理由。つまり彼の個人的な感情で秘匿したのだ。
帝王ヴィルヘルムにも気づかれなかったようだ。災厄の後に残ったあの光は、果たして希望となるだろうか。
銀髪の魔導士は、今の地位に就く時に先代団長の話は聞いた事があった。
遠い過去の恋の約束を果たしたという、女性が好きそうな夢のあるロマンス話だ。耳にした時は一笑に付したが、今では自分も、フレイアとそんな約束が出来る関係であったなら、と思う。
こんな風に、考え事をしながら会議に参加していたが、学者の研究発表から興味深い報告があり、会議に意識が向く。
それは魔力の、魂の器理論だ。魂に器があり、魔力はそこに貯められるのではという、かつてフレイアがローウィンに語ったあの理論。それを耳にした学者も興味深く思い、長らく研究テーマとして実験研究が行われていた。
この理論の証明に成功したのだという。
そして、呪術師の魔獣使役の技は、魂をも使役する。
異世界人の閉じられた器は、魂の使役により、別の人間の器として再利用ができる可能性が高い。呪術師のいないこの国では確かめようがないが、つまりは一人の人間に、何人分もの魔力の器を備えさせる事が出来るというのだ。
異世界人が選んで殺された理由、あの帝王の破格の魔力量。
点と点が線でつながった瞬間だった。
戦いは単純な力のぶつかり合いだけではない。謀略や諜報活動による騙し合い、精鋭をお互い送り合って、指揮者である大将をピンポイントで叩くというのも戦略的によく使われる方法だ。
王と王子の周辺は特に警備が必要である。
こちら側も精鋭を直接送り込む。成功率は低いが、戦況を一気にひっくり返す大事な要素であるから外せない。
各部隊から、相応しいと思う者を選出する事になった。侵入のための転移魔法がバレないように送り込む事が出来るのは、せいぜい五人程度。
相手も警戒しているだろう。
王子の直属からは、ディルクが出る。諜報活動を業とし目立たぬよう努めた男が、自ら立候補した事は、騎士団長ヘルを驚かせた。物議をかもしたが、情報収集能力に秀でていること、地理に詳しいこと、緑目は呪術耐性が強いという理由で最終的に認可された。
王城の騎士団からは遊撃警備隊のセリオンとコーヘイが出る。コーヘイは異世界人だが、騎士団全体においても急成長を遂げた納得の有望株だ。この二人でコンビを組ませれば、これ以上ない力を発揮すると判断された。空席となる警備隊の総隊長は以後レオンが担う事になる。
魔導士団からは、アルタセルタという美しい女性が選出された。魔導士団の受付に座っていたあの女性だ。驚く事はないだろう。魔導士団の区画の入り口を守るためにあの場所にいるのだ。魔導士団の受付は、ただの美しい案内用の置き物ではない。魔導士団がこの貴重な懐刀を出してくるとは誰も思っていなかったので、こちらも周囲を驚かせた。
あと一人、防御の陣と治癒術に長けた者が必要となったが、これがなかなか決まらなかった。騎士と息が合う事が求められるが、セリオンはともかく、異世界人のコーヘイと親しい魔導士は少ない。
審議の結果、まさかの文官からの選出で、ローウィンが出る事になった。魔導士団に籍を置いた事はないが、彼も優秀な魔法使いである。知識と交渉術もなかなかのものだ。このチームの頭脳となるだろう。
奇しくも、侵入部隊はフレイアの顔見知りで構成される事になった。
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