第20話 月夜の晩に
月の美しい宵だった。
城内がにわかに騒がしくなり、多くの騎士団員が走り回る音に、フレイアは目を覚ました。
夜着に薄いストールを羽織り、ドアを開ける。夜間でもいるはずの監視の騎士団員の姿がなく、何かあったのは間違いない。
しかし監視者がいない中、様子を見に出歩くわけにもいかず、ドアを開けて様子をうかがう程度の事しかできなかった。甲冑の音や、靴音が響く様子から、侵入者を追っているようだ。
フレイアにあてがわれているこの部屋は城でも外れの方にあるため、王の居室付近に比べると警備は随分手薄。自分が出ても足手まといにしかならない。
余計な事をすれば事態が悪化するのは、骨の髄まで痛感済み。
ドアを閉めて部屋の奥に戻るが少しでも何かできればと、外の様子がうかがえないかと窓際に近づいた時、子供の泣き声が聞こえた気がした。
窓を開けて耳を澄ます。知覚上昇の魔法を使い、少しでも多く知覚できるようにする。
フレイアの目に、一人のフードの男が六歳ぐらいの子供を担ぎ上げ走り寄って来る姿が見えた。
この城の中で小さな子供は……第二王子であるキース王子しかいない。
最初の王妃はアリステア王子を産んですぐ亡くなり、王子が十五歳で立太子された時に王は再婚し、その後生まれた大きく年の離れた弟である。金髪碧眼の、国王陛下に良く似た姿をしていた。
騎士団の騒ぐ音は近くなったり遠くなったりで、こちらに気付いているようには思えなかった。声を張り上げて気づいてもらえるだろうか。
このままでは王子が連れ去られてしまう!
それほど距離はなく、迷っている暇はなかった。
靴も履かず、裸足で窓から外に飛び出した。二階ではあったが、うまく伝い下りれば、壁添いの植木で身を隠せる中間の高さ程度までは降りられる。月明かりで見えるけど見えにくいというのもありがたかった。普通に見えていたら、高さに怯んでしまったかもしれない。賊が真下に来ると同時に手近の窓際に並べられていた植木鉢を投げ落とし、自身も間髪入れずに飛び降りた。
植木鉢は侵入者をかすっただけで、直接は当たらず。
しかし侵入者は不意をつかれて転倒しかけ、抱えていた子供を取り落とした。
フレイアは子供をすくい上げるように抱き上げて、侵入者から距離を取る。フレイアの細腕ではさすがに、六歳の子供を抱えて走る事はできず、侵入者から五歩ほどの距離を取るのが精いっぱいだった。
「誰か! 誰か来て!」
泣いている王子を背後にかばい、声を振り絞って叫ぶ。後はもう時間を稼ぐしかない。王城の外の警報の石の場所がわからない。ちゃんと見ておけばよかったと、後悔する。
少し離れた所で部下を指揮していたコーヘイの耳に、聞き覚えある声が届いた。
気のせいかと思ったが、自分があの声を聞き間違えるはずがない。
「レオンさん、こっちです!」
侵入者は剣を構え、殺到してきた。王子誘拐の成功を目前に、子供のような女に邪魔されたのだ、目には怒りがたぎっている。
仲間が別の場所で陽動を行っている隙の誘拐だったようだ。
ここにいるのは賊は一人のようだが、こちらは丸腰である。武器があっても扱えないが。何とか王子だけでも逃がさなければと。
バカの一つ覚えみたいだが、賊に向かって手近の砂利を掴んで投げつけた。
視界を妨害すれば隙が生まれる。
相手と自分の間に障害物がなければ、話にならないというのはよくわかっていたので、その隙をついてキース王子の手を取って茂みに飛び込んだ。
賊との距離は開かず、縮まらない。茂みと植木を利用した微妙な時間稼ぎが続く中、なんとか王子だけでも逃がしたいが、泣きじゃくって離れそうにない。
腰にしがみつかれて、動きにくくもある。
お願い、誰か早く来て。
「いた!!」
コーヘイの声だ。
警備隊は侵入者の姿を認め、次いでフレイアと王子の姿を認めた。
侵入者はレオンの華麗な斬撃の敵ではなく、絡めとるように、あっという間に賊の剣は弾き飛ばされた。
次々と警備隊員が駆けつけ、その中にはコーヘイの姿も見て取れた。
見慣れた男性の存在にほっと少女の気が緩む。
しかしコーヘイはフレイアの姿を見るや、厳しい険しい表情を見せた。今まで見たことがないような強い怒りの表情だ。
自分がまた、やらかしてしまった事にフレイアは気付いてしまった。
王子は一度レオンに抱きあげられ、他の兵士に受け渡されるとフレイアに向かって手を振りながら他の騎士団員に保護されていった。
コーヘイはフレイアの真正面に立ち無言で睨みつけていて、彼女はどうしたらいいかわからなくなっていた。
レオンも何か言いたそうにしている。
ふーーーと、ありったけの息を吐いて、無言のままコーヘイは周辺の隊員に指示を出しながらフレイアの前から立ち去ってしまった。レオンもそれに従って、何も言わずに踵を返してしまう。コーヘイが何も言わないなら自分も出しゃばらない、という態度で。
裸足だったから、他の警備隊員が抱きかかえ部屋に連れ帰ってくれ、あちこちのすり傷の手当をしてくれた。砂利の上を裸足で動いたから、しばらくは床に立つのも辛そうだったが、自業自得だと唇をかんだ。
◇◆◇
「本当、なんで、あんな無茶をするんでしょうかね!」
コーヘイが珍しく荒れていた。
一歩間違えば、誘拐犯の一味の一人に数えかねない行動でもあった。王子が「おねえちゃんが助けてくれた」と証言していなかったら、また状況だけでひと悶着あってもおかしくない。
何もできなくても、出来る何かを探して限界までそれをしようとする、無鉄砲な行動がコーヘイを苛立たせていた。
壁を力いっぱい殴ってしまい拳が傷むが、それ以上に怒りで体が熱い。
声が聞こえた時は耳を疑った。つい先日、やっとの思いで奪還した友人の、助けを求める悲鳴である。平常心でいられるはずがない。あんな辛い思いをしたばかりなのに。
レオンにしてみればあの騒音の中、フレイアの声を聞き取ったのは本当に大したものだと思った。コーヘイにとって、彼女は何らかの特別な存在になっているのではないかとも思う。レオンには聞こえなかったのだから。
だからこその怒りだろう。怒りのぶつける先が見つからず、青年は葛藤していた。
優しい言葉をかけてやりたかった。一人で頑張ったねって労わってやりたかった。でもそれ以上に、それ以上に……。
立ち尽くしていた姿が忘れられない。目が合った時は嬉しそうな顔をしたのに自分が感情を隠せなかったから、途端に心細そうな顔をさせてしまった。
それでも優しい言葉をかける事はできなかったのだ。
褒めてしまったら、またやるんじゃないのかって。
こうやって厳しくすれば、少しは彼女は反省を深めてくれるのではないか。無茶をしなくなるのではないかと思った。
いろんな考えが頭をめぐり続けて、辛い。息が苦しい。
詰め所に戻って来た各部署の隊員の報告を聞き終えたセリオンは、部屋の隅の椅子に頭を抱えて座り込んでいる相棒に、冷たい水を勧める。
「だからと言って、子供を見殺しにするフレイアちゃんも見たくはないな」
あの子はもうそういう子だと思うしかない。どんな時でも限界まで自己犠牲を厭わないのが彼女だ。我々にできるのは彼女を真綿でぐるぐる巻きにして箱に詰めてしまい込むのではなく、危険が彼女に近づかないようにする事だ、と続ける。
「俺達にはそれができる、そうだろ? 相棒」
自分は鍛えればまだまだ強くなれる手ごたえがあった。もっともっと強くなって、この国がずっと平和になるぐらい力を尽くして、彼女が何もしなくてもいられる場所にするしかない。
「明日の訓練には、より力が入りそうだな。部下をあんまりいじめるなよ」
セリオンはポンポンと、コーヘイの背中を叩いて慰めた。
◇◆◇
禍々しい、というべき装飾の玉座に、不適な笑みを浮かべる男の姿がある。
高い階段の上にある椅子に座る王者は足元で平伏する者たちを、楽し気に見下していた。
赤黒い髪は闇に燃える炎のようで、その目は滾るマグマのように輝きを持った赤。
「子供を使えば色々と面白い事ができたんだがな」
平伏していた男たちは益々頭を低くする。
「ゆくゆくは兄弟で刃を交わさせるのも楽しみだったのだが」
王者は立ち上がると続けて階段を降り、平伏する男のうちの一人を頭を足で踏みつける。
ぎりぎりと力を籠める。
「お許しください、もう一度チャンスを」
必死の懇願の声は震えている。
「まぁ、良いものが見つかったから」
グシャッと、まるで果物が踏みつけられて砕けるような音がして、簡単に男の頭は爆ぜた。他の男どもは、額をこれ以上ないぐらい床に擦り付ける。
「今回の失敗は、こいつの処分だけで勘弁してやろう」
靴の汚れを死んだ男のフードを踏んで拭うと、マントを翻して椅子に戻り、ドカリと座る。
「力なき瑕物の漆黒の花嫁か。なかなか私に相応しい」
独り言のように言う。必要な材料は揃いつつある。
数年前に滅ぼした国の書庫にあった禁書に、帝王が欲してやまない情報の記された巻物があった。条件を整えるのは骨が折れたが、それが完成すれば自分はもう何も恐れるものがない。多少の手間をかける価値はありそうだ。
「器集めも、滞りなく進めろ。これ以上の計画の遅延は許さん」
何人かが承知の返事をし退出した。
一人、右手に怪我を負った呪術師が残ってる。
「花嫁を目覚めさせたい、お前は個人的な恨みもあるようだから、とっておきの奴を贈るといい。死ぬ事を許す」
死ね、と言われたのに、仕返しがでるきことのほうが嬉しそうに呪術師は退出していった。
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