第16話 魔導士団長


 局内は重苦しい空気に満ちていた。


 シェリはずっと泣いている。泣きすぎて、しゃっくりが止まらない。


「痩せちゃうわ、絶対、痩せちゃうわ」


 涙だけで体中の水分が抜けてしまいそうだ。


 フレイアが見聞きした情報は聴取され、すべて報告という形で共有されていた。どうもその情報を総合すると、すでに”エステリアの夜明け”は形骸化していたように思える。

 教団を利用して、人手を集めていたようだ。かつての英雄の名前を使って集められた子供や若者は、暗殺術を叩きこまれ、呪術師の手足として動くよう操られている感じであろうか。

 異世界人と呪術師の関係の理由はまだわからないが、呪術師は積極的に異世界人の命を奪う姿勢はこれからもありそうだった。その過程で手に入れた物品を売りさばき、資金源にしているというところか。


 局長のエリセは机の上に肘をつき、手を組んで額に当てて無言でいる。


 異世界人の惨殺事件と登録局に関わりがあったという悪評は、なかなか覆すのが困難なものであった。フレイアへの刑罰はそれほど重くなるとは思えないが、局に籍を残すのは難しいかもしれない。


「変な所でバカなんだよ、他に手段、あっただろ」


 フレイアは本当に無力な女の子だ。権力もなければ、魔力も大したことない。お人よしで優しくて、健気で、しっかり者で。でも時々無茶して、無理して。そういう子だと知っていた。もっと自分に甘えてくれたら。今回だって、相談してくれたら何かと手を貸せただろう。

 まあ、マンセルに相談していたら、さっさとグリードは逮捕されて終わりだったろうが。


「タイミングも悪かった」


 ローウィンは言う。

 王子とその周辺は異世界人に関する事、”エステリアの夜明け”に間する事件に対して、とてつもなく過敏だ。もし、王子の帰城がなければ、もう少し穏便に事は運んだかもしれない。


 フレイアの身柄は、警ら隊の留置所から城の地下牢に移送されていた。


「くそ、なんで魔導士団がしゃしゃり出て来るんだよ」


 フレイアはこの後、この国の最高位魔導士である魔導士団長自ら直接の尋問を受ける事になっている。

 魔導士団は言葉の真贋を判定する魔方陣を持ち、強制的に自白させるような魔法も扱える。あまり人道的ではない方法もある。


 しかしエリセはそれに、光明ともとれる利点も見出していた。


「異世界人を嫌う魔導士の最高位が、尋問の魔法を駆使し、それでフレイアに罪がないと判断したとしたら、フレイアの名誉の回復は、随分楽にはなるな」


「その逆の可能性が高いから困るのにぃい~」


 マンセルはじたばたしている。


「また尋問だなんて、大丈夫かなあ。警ら隊にも相当やられてるだろ」


 せめてコーヘイが警備で傍についていれば、少しは気が楽だろうが、コーヘイは城内警備の職務放棄と越権行為をしたという事で、現在自室謹慎中である。セリオンが辛うじて、声をかけられる場所にいるだろうか。


 エリセとセリオンも、この後責任者として何らかの処分を受ける事になるだろう。


 魔導士団が出て来たのは、呪術師が絡んだ事件だというのも理由になっているのかもしれない。

 呪術師は呪いの言葉を吐きながら逃げたというし、これからも気は抜けない。事件は終わっていないのだ。




 フレイアの入れられた場所は、それほど牢獄らしくはなかった。床は板張りで、ベッドと机、二脚の椅子がある、一見シンプルな普通の宿屋の部屋のようである。流石に窓には鉄格子があり、扉には頑丈な鍵が取り付けられているが。


 血まみれになった制服は着替えさせられ、素朴な飾り気のないロングスカートのワンピース姿で、フレイアは椅子に静かに座っていた。

 疲れ切っている姿が痛々しい。


 ペンダントは取り上げられてはいなかった。わずかでも私物があれば、心の支えになるだろうと、ローウィンが警ら隊に連れて行かれるフレイアのために交渉したのだ。親の形見だとか、随分と適当な事を言ってしまったが。




 セリオンは尋問前の最後の面会チャンスに、かける事が出来る短い言葉を慎重に選んでいた。人目があるから、知り合いとはいえ優しい言葉を選ぶ事は残念ながらできない。


 ここに来る前、局に立ち寄ったが、ローウィンが思いがけない懸念をセリオンに伝えて来た。


「絶対、自殺させるな!」


 いきなり言われて面食らった。この中年男性は、普段はそれほど感情を表に出さない。淡々と職務をこなす、堅物だ。会話も硬く、理論的すぎて面白くない。実際、楽しく会話が弾んだことなどただの一度もない。

 その男が、必死な顔で訴えてくるのだ。


「何もない部屋だぞ」

「何もなくても、フレイアなら十通りは方法を見つける。あれはそういう娘だ」


 ローウィンはフレイアが自ら命を絶ちかねない、というのをものすごく心配していた。責任感ある娘だ、今回の事はかなり責任を感じているだろう。我々にどのような迷惑がかかったかも、賢い彼女はすべて把握している。子供を救えなかった無力感にも苛まれている。死んで、責任を取ろう、詫びようとしかねない、というのだ。


 確かに、フレイアにはそういう刹那的な部分が見え隠れしていた。かわいい笑顔と、朴訥な平凡さに似合わない、いつ命を終えてもいいという、全てを諦めたような危うい気配。




 魔導士団長の準備が整ったという事で、セリオンは深呼吸をし、鍵を開け、フレイアに最後の声がけに行く。かわいそうだが、選んだ言葉を言うしかない。

 フレイアはセリオンの方を見る事なく、うつむきがちに前だけを見ている。


「これより尋問を開始する。なおこの区画は遊撃警備隊が管轄しており、囚人が逃亡、または自死した場合、全ての責任を当警備隊が負う事になる事は留意されたし」


 お前が逃げたり死んだりしたら、我々が責を問われるんだぞ、という脅しである。頼むから自殺なんてしないでくれ、というのを伝えるにはこの言葉を選ぶしかなかった。死なれるのも迷惑になると言えば、フレイアの性格なら、これだけで自死は選択肢から外れる。黒い瞳にわずかな揺らぎが見て取れ、ローウィンの懸念が的を射ていたのは明らかであった。


 セリオンは牢から出て、魔導士団の団長を中に誘う。セリオンも直接会うのは初めてだったが、高位の魔導士というのはこうも、風格を有するものだろうか。本能的に感じる大きな力に対する恐怖、そういう圧力を感じた。

 セリオンは相手が魔導士であろうと、強い者は強いと判断できる。さすが魔導士団の頂点に立つだけあった。これほどの大物であれば、異世界人に対しても、偏見なくフレイア自身を見てくれるのではないかという感想を持つ。


 団長の入室を確認し、ドアを閉め、鍵をかける。あとはもう、扉の前に立って、尋問の終わりの合図を待つしかない。




 魔導士団の団長の手には、いくつもの魔方陣の羊皮紙があった。尋問のための陣である。苦痛を伴うものも多く存在する。


 しかしその魔方陣は、卓上に投げ捨てられた。


 長い指がフレイアのペンダントに触れると、ペンダントのメダルはぐずぐずになって崩壊する。


「呪術師相手には荷が重かったな」


 聞き覚えのある声にフレイアが顔を上げると、見知った紫の瞳と目が合った。


「セトルヴィード様……」


 尋問のために、向かい合うように置かれていた椅子を、フレイアの隣に並べ直して、銀髪の魔導士は肩を並べて座った。お互いの体温が伝わる程度に、魔導士の腕と少女の肩が触れあっている。


「尋問の魔法がなくても、ちゃんと罪の告白はできるね?」


 フレイアは頷く。


「ひとつひとつ言ってごらん」


 フレイアは警ら隊に告白したすべてを言い終えた。

 セトルヴィードはなお、言葉を待っているようだった。


「無力なくせに、何か出来ると過信し、状況を悪化させました」

「それから?」


 強い口調ではない。ただ、何か言って欲しい事があるようだ。


「皆に、たくさん迷惑をかけました」

「まだあるだろう?」


 フレイアは泣きだしそうになった。声が詰まる。


「皆に、とても、心配を、かけて、しまいました」


 魔導士は、やさしく笑ったようだ。


 セトルヴィードは椅子から立ち上がり、フレイアの正面に立ち、片膝をついて冷え切ったその手を取った。


「私にまで心配をかけるとは、とんでもない大罪だな」


 フレイアは返事に戸惑った。何度か会った事があるとはいえ、しかも高位の魔導士が、異世界人の自分の事を気に掛けるなど、想像したこともなかった。


「残念ながら私は自由に動ける身分じゃないから。何かあったと聞いても、待つしかできないというのは、苦しいものだ」


「申し訳、ございません」


 泣くまいと耐えていた表情が、崩れそうになる。


 泣き顔が見たいわけじゃないといわんばかりに、魔導士はそっと手を、フレイアの額に添える。詠唱は何も聞こえなかったが、次の瞬間にはフレイアは深い眠りに落ちて行った。


 椅子から崩れ落ちる少女を受け止め、抱き上げてベッドに運ぶ。小柄な娘は、想像以上に軽い。

 毛布をかけようとして、腕に切り傷を見つける。


「もうこれ以上、傷を増やすな」


 呆れたように言いながら魔導士は軽い詠唱をしてその傷を完全に癒し終えると、乱雑に散った魔方陣を机から拾い集め、尋問終了の合図をした。


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