第三章 少女と銀髪の魔導士
第11話 古傷と魔導士
フレイアは数度の深呼吸してから魔導士団の区画に足を踏み入れる。
受付の女性は美女だが、とてもつもなく冷ややかで不愛想。
赤紫の髪をひっつめて後ろにまとめ、やや派手で、濃いめの化粧のせいか年齢は不詳である。
「どのようなご用件ですか」
口調は丁寧だが書類を書きながら、目線すら上げずに言う。下っ端の、それも異世界人の局員への対応はこんなものであった。
「高位の魔導士様のお時間と力を、拝借したき要件がありまして」
返事がないので続ける。
「お名前は存じ上げないのですが、銀髪で紫の瞳をお持ちの方なのですが」
書類を書いている手が、ピタリと止まる。
と同時に、ジロリとフレイアをキツイ目線で睨みつけてきた。
「お約束はございますか?」
「いえ……。異世界人登録局のフレイアからの要件であると、ご伝言いただきたいのですが」
しばしの沈黙。
若干のため息が聞こえたが、小さなメモに何か書きつけ、後ろに控えていた下働きの少女に渡すと、心得たように少女はそれを持って奥に消えて行った。
数分の後、その少女が別の方向から戻って来る。
「お待たせしました、ご案内します」
会ってもらえるようでほっとした。
フレイアは受付嬢に軽く会釈をし、前を歩く少女について行くと、大きく立派な扉の前まで案内された。案内の少女は軽くお辞儀をして、戻って行った。
フレイアは緊張したが再度息を大きく吸ってから、息を止めて扉をノックを軽く数回。
「入れ」
聞き覚えのある声がして、目的の人の元に案内された事を知り、安堵すると、そっと扉に手をかけた。
「失礼します」
部屋は広く、書籍が積みあがっている。研究所のようではあったが、入ってすぐ右側にベッドもあり、どうやらここで寝泊まりしているようだ。魔導士の部屋に入ったのは初めてだったが、おどろおどろしい雰囲気はなく、本は山積みで珍しいものがぶら下がっているけど、なんとなく落ち着く空間だった。
前方の机に、銀髪の美しい顔立ちの男性が分厚い本を片手に座っていた。
「いつまで扉に張り付いているつもりだ」
彼女は無意識に、いつでも逃げられるようにとでも言わんばかりに、扉から離れられずにいたが、いつまでもこうしている訳にもいかず、なんとか正面まで歩を進めた。右手と右足が同時に出てしまった気がするが。
「お忙しい中、突然すみません、お時間を割いていただきありがとうございます」
「まさか、お前の方から来るとは思わなかった」
持っていた本に栞をはさみ、脇に押しやる。
「で、何用だ」
フレイアは、普段ならもっとハキハキと喋る方なのだが、先日の事もあり、しどろもどろになってしまう。それでもなんとか、コーヘイの魔力の有無の確認に助力を得られないかという用件は伝える事が出来た。
銀髪の男は立ち上がると、フレイアのそばまでやって来た。一瞬身を固くし身構えてしまったが、用があるのはフレイアの隣にある本棚だったようだ。
一冊取り出し、数ページの内容を確認すると、本を戻し、手近なメモ用紙の一枚を取り出すしてフレイアの目前の卓上に置いた。
中央に指を置くと目を閉じ、集中をする素振りを見せる。
一瞬で指先を中心にし、複雑な円形の魔方陣が紙の上に焼き付く。
「とりあえず試してみるか」
フレイアを見ると、緊張したままの様子だった。これは前回、相当怖がらせてしまったと見える。
「フレイア」
なるべく優し目に名前を呼んでみる。
「は、はい」
緊張しすぎて、やさしく呼ばれた事に気付いていない様子だった。手を握りしめすぎて、関節が白く見える。
この手の女は面倒くさいなと思ったが、緊張されているとうまくいかないかもしれない。
「頼むからもう少し、リラックスしてくれ。こちらも緊張する」
「はい」
深呼吸をして、硬く握っていた手を緩める。
――しっかりしなければ。
フレイアはなんとか気持ちを立て直す。
「この陣の中央に指を置いてみろ」
言われた通り、恐る恐る指を置いてみる。
紙に焼き付けられた魔方陣が、青白く輝く。
「成功だな。もう離していいぞ」
指を離すと、光は消えた。
卓上に散らばるいくつかの書類を手で払い、空っぽの封筒を見つけ出すと、魔方陣が描かれたメモ用紙を入れた。
「魔力があれば光る、なければ光らない。単純なものだがこれで事は足りるはずだ」
粗雑に差し出された封筒をフレイアは受け取ると、すぐに腰にぶら下げたポシェットに封筒を収める。
「ありがとうございました」
わざわざこのような物を作ってくれたことに優しさを感じたのと、用が済んで緊張が解けた事もあってフレイアはいつもの自然な笑顔を見せられた。
思いがけない不意打ちの表情に、笑顔を向けられた側の思考が停止する。
「お忙しい中ありがとうございました」
お辞儀もそこそこに、くるりと背を向けて、さっさと立ち去ろうとする少女の姿に、魔導士はハッと我に返ると再び会う事があればと思っていた用事を思い出す。
「そうだ、ちょっと待て」
呼び止めるつもりで、少女の右肩にぐっと手をかけた。
「……ッ!!」
それほど力を入れたつもりはなかったが、少女は苦悶の声にならない悲鳴をあげた。
魔法研究にかかりきりになりすぎて、女性の扱いを長らく忘れてはいたけど、それほど乱暴な事をしたつもりはなかった。
しかしその表情は、かなりの痛みを感じた時のものだった。
「大丈夫か? すまない」
気遣う声に焦りが宿る。
「いえ、ごめんなさい、大丈夫です」
「大丈夫という顔色ではないが」
「古傷がありまして……」
古傷の痛み方ではなさそうだったが。
自分が呼び止めた要件より、そちらの方が重要に思えた。
「その傷、見せてみろ」
思いがけない申し出に、フレイアは全力で首を左右に振る。
「いえ、大した事はありませんから、二年以上前の傷ですし」
「大した事がないかは、私が決める」
負ってから二年超える傷で、今なおこれだけ痛がるのは尋常ではない。
「見せられる範囲でいい」
手を引いて、ベッドの端に座らせる。
顔を覗き込むと痛みのせいか羞恥のせいか、若干涙目になっている。
「恥ずかしがっても埒が明かないぞ」
高位魔導士は治癒術士でもある。つまりは医者の診察のようなものだ。フレイアはおずおずと上着の留め金をすべて外し、右側の袖から腕を抜いた。肌着のボタンを二つほど外したところで、銀髪の魔導士はなるべく優しく声をかける。
「そこまででいい」
背中側にまわり、胸元は見ないように、肌着の肩布を横にずらす。
予想よりひどい傷だった。仕事柄、怪我は多く見てきたが、女性でこのような傷跡では、痛み以外でも苦労が多いだろう。気が弱い者なら、目を背けるかもしれない程の残酷な傷だ。
皮膚の表面がごっそり削り取られた上に、小さな欠片がいくつも刺さったような痕跡。部分的に火傷のように皮膚がひきつれて、腕を動かすにも困難がありそうだった。直接命を落とすような致命傷になる怪我でないだけに余計に酷い。生殺しの拷問のようなものと言える。
異世界人がこの世界に来た時、負傷している事は稀にあると聞く。これもその類だろうか。
傷に指を這わせ、治療術の痕跡を辿る。
痛むのかくすぐったいのかフレイアは目を閉じて、少し身じろぎをした。
この傷を治療した魔導士は腕は悪くない。むしろ中々、感心するレベル。異世界人が相手だからと、手を抜いた訳でもなさそうだ。
だが、取り急ぎという感じがある。
「もしかして、他にも傷があるのか」
彼女は無言で小さく頷くと、左手で、ぎこちなく左の腰から腿、膝に向けてを指し示す。
足の傷の方がより致命的で、そちらの治療を優先したのだろうか。肩の傷を見せるだけで羞恥で身もだえてる娘に、足まで見せろとは流石に言えなかった。
これだけの傷になると、完治は難しい。しかも古傷として体に馴染みはじめているので、傷跡を薄くするにも、かなり大がかりな準備と術が必要になりそうだ。
異世界人の事などどうでもいいと思っていたが、一人の年頃の女性である事を思うと気の毒ではある。異世界人であることは、この娘自体に責任もないわけだし。怪我も、おそらくこの娘にはどうにもならない理由で負ったのだろう。
予想より長く、傷の様子を見て考え込んでしまっていたようだ。
フレイアはおずおずと、声を発する。
「申し訳ございません。こんなお目汚しをしてしまい」
この言葉に、魔導士は驚愕した。
見られるのが恥ずかしいのかと思ったら、傷を見るこちらの不快感の方を気にしていたとは。
「詫びるのはこちらだ。強引だった。不躾だったね」
肌着をそっと戻す。
「もう服を着ていい、状態は確認はできた」
フレイアは脱ぐ時と同じペースで着衣を整えた。動きがぎこちなく、やはり腕が上げにくいのかもしれない。
「そのまま座って待て」
魔導士は机の引き出しと棚を何か所か開け、数個の小瓶を取り出した。
小瓶の中身を小さじで丁寧に軽量し、油紙の上に一度まとめ、新しい小瓶にサラサラと入れた。その手際と所作が美しく、フレイアは思わず見とれた。
最後に、小瓶を両手で包み込み、長めの詠唱をする。光が空気中に舞い散り、虹色の光の粒が生じては消える。
シャボン玉が舞っているようで、幻想的で美しい光景だった。魔法というものは、こんなに美しかったのかと、呼吸すら忘れそうなほどに魅入られてしまう。
手を離すと、小瓶の中に、星型の結晶がいくつも出来ていた。
その小瓶をもって、フレイアのそばに戻ってきた。
「口を開けろ」
夢心地で素直に従う。口の中に、星型の結晶が一粒放り込まれた。甘い。
「子供には丁度いいだろう。痛み止めだ。この傷では、何もなくても痛む日があったのではないか」
残りの結晶の入った小瓶を、フレイアのポシェットに入れてやった。
「痛みが辛い時は、口の中で溶かすようにするといい。楽になる」
そのまま両手を引いて、紳士的に立ち上がらせる。色々ありすぎてフレイアは放心状態になっていた。夢を見ているような気分が抜けない。
「今更の自己紹介だが、私の名はセトルヴィード。次に来る時は、この名を告げるといい」
次、なんてあるだろうか? 魔導士が自ら名乗る、というのもあまり聞かない話だ。ぐるぐると色々な考えが駆け巡るがまとまらない。
頷くのが精いっぱいだった。痛み止めの薬のせいか、ふわふわする。
「あと、これを渡そうと思っていたのだった」
ポケットから出した小さなメダルのついたペンダントを、フレイアの首にまわしつけてやる。
「気休めだが、なるべく付けておけ。先日怖がらせた詫びだ」
フレイアを魔導士団の区画の外まで見送った後、セトルヴィードは自室に戻り、椅子に深く座ると、読みかけの本を再び手に取り、栞の箇所を開いた。
しばらくそのページを眺めていたが、栞をはさみなおし、机の上に投げ置いた。
そのまま腕を組んで考え込んでいたが、勢いを付けて立ち上がり、本棚から別の本を取り出す。
古い傷の治療に関する書籍だった。
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