第10話 方位の魔法
翌日、時間通りに出勤したマンセルに、エリセは思わず空を見た。雨の予報はないはずだが……。
「ちょっとコーヘイに聞きたい事があるので、城の方に行ってきます」
局長の許可はおろか返事すら待たず、さっさと行ってしまった。まさかケンカをしに行った訳ではないと思うが。
コーヘイは詰め所で日誌を書いていた。
マンセルが以前来た時より、詰め所が整理整頓されている気がする。かつては男所帯にありがちな、大雑把な荒れっぷりだったはず。
「なんか随分、片付いてない?」
キョロキョロと周囲を見渡す。そういえばフレイアが来るまでは局の方も、もう少し雑然としていたような気がしてきた。
「コーヘイが片付けちゃうんだよな」
セリオンが面倒くさそうに報告書を書きながら答える。書類仕事がとにかく大嫌いという噂だが、その通りのようだ。
「片付けも訓練の一環ですから」
反してこちらはピシっと爽やかな笑顔で言う。
――訓練で片付けって、なんだそれ。
思いっきり顔に出てしまったようで、コーヘイが訓練生時代だった時のエピソードを語りはじめた。
訓練を終え自室に戻ったら、部屋が泥棒に入られた時のようにグシャグシャに荒らされていたという。荒らしたのは教官で、時間内にすべて片付けろというものである。マンセルにしてもセリオンにしても、それが訓練と言われて鼻白む。
「教官は悪意の塊なの?」
マンセルは素直に感想を言う。
「穴をひたすら掘って、埋める、を繰り返す訓練もありますよ」
理不尽に耐える訓練だろうか……。訓練内容が奇抜過ぎて、うっかり目的を忘れそうになった。
「そうだ、こんな話を聞きに来たんじゃないんだ」
懐から、夕べ使用人が仕入れてきた透明のコイン状の小物を取り出し、コーヘイの前にパチリと置いた。
「これが何かわかるか?」
「……方位磁石ですね」
日誌を棚に立て、軽く周辺を片付けてから針先を指さす。
「この赤い方が指し示すのが北です」
マンセルは、なるほどそういう事なのか、という顔をする。方位磁石に興味津々で、セリオンも席を立って見に来る。
まさかこの世界に方位磁石すらないとは思わなかった。
「こちらでは方角をどうやって調べてるんですか」
「魔法」
シンプルな答えが返って来た。一瞬、コーヘイとマンセルは見つめ合ってしまう。
マンセルは咳払いをして気を取り直すと、周囲を見渡して机の上にあった鉛筆を手に取った。
隊商では、方角を知るのは重要だ。当然マンセルも、子供の頃にマスターしている。
鉛筆のとがった方を下にして机の上に立て、指先で垂直を維持する。
目を閉じ、口の中でもごもごと何か唱え、目を開けると同時に指をそっと離した。
パタリと鉛筆は方位磁石が指し示す北に倒れた。
コーヘイは、感心しきったように見ている。
「魔法の方が自差や偏差もなく、真北を向きそうですね」
地磁気の測量データがないので偏差は確認できなさそうだったが、腰の剣を鞘ごとはずし、方位磁石に近づけてみた。
針が若干だが、剣の方に揺れ動いた。
「あれ、動いた」
マンセルがびっくりしたように声を上げる。
「鉄製品とか、他に強い磁力を発するものが近くにあると、そっちを向いてしまうんですよ。もう一回、鉛筆を倒してもらえますか?」
マンセルは再び鉛筆を立て、魔法を使って倒す。
先ほどと同じ向きに倒れた。
「やはり、魔法の方が他の影響を受けずに方位がわかりますね」
異世界人の技術の方が優れているのではないかと思っていたが、魔法の方が優れている事もあるのかと、こちらの世界の二人は顎に手をやって考え込んだ。
案外、異世界人の技術や知識に躍起になる必要はないのかもしれない。うまく適材適所で拾って行く方が効率的に思えた。
「この魔法は棒状のものがあれば何でもいいんですか?」
「ああ、通常はその辺に落ちてる木枝でやる事も多いかな」
「いいですね、その魔法、自分も使えませんか」
興味津々といった感じだ。そもそも魔力がないと魔法は使えないが、コーヘイに魔力があるかどうかはわからない。
「一応聞くけど、なんで?」
「荷物が減るじゃないですか、正直なところ、一グラムでも軽くなると嬉しいですね」
爽やかすぎる笑顔をキラキラとさせて
「装備一式を背負って、百km行軍とかありますしね」
異世界の軍隊の訓練プランは、地獄の悪魔が計画しているのだろうか……。
コーヘイが、新人いびりの虐めに全く動じなかった理由が分かった気がする。
どんな理不尽な命令でも普通に訓練として受け止め、こなしそうだ。
「この方位磁石というものは、軍隊で使うものなのか?」
先ほどから見ているだけだったセリオンが口を開く。
「軍隊でも使いますが、これはもっと簡易な安物ですね。子供が理科の学習で使ったり、ハイキングレベルの登山初心者が持ってる程度のものでしょうか」
斜めから見ると伏角があり、少し針がお辞儀している状態。これは重心が一定で作られている事を意味しており、百円程度で手に入る安物の証拠といえる。良いものはこうならないよう、S極側を重く作っている。
マンセルはこれが商売に使えないと知り、残念に思った。
そしてコーヘイが机の上に置いていた剣を、腰に下げなおしている仕草を見て、すごく様になってきているのが悔しかった。
◇◆◇
数日後、フレイアは久々に庁舎の登録局に来ていた。
目の前にはコーヘイが座っている。
コーヘイが魔法に興味があるようだから説明してやって欲しいと、マンセルに呼ばれたからだ。セリオンの許可もあり、コーヘイが生活魔法程度でも使えるようになるなら、そちらの方が望ましいという判断もある。
ただ、いきなり魔導士団の手を借りるのは異世界人であることから抵抗があり、とりあえずはこちらの世界で魔法が使えるようになったフレイアから、手ほどきを受けるのが良いだろうという事になったのだ。
「まず、魔法には魔力が必要で、異世界人にはない事が多いです」
「有無は確認できるんでしょうか」
先日フレイアの会った高位魔導士は、少し触れた程度でわかった様子だったが、あれは高位だからこその技だろう。フレイアには有無を調べる方法がない。
「ものすごく簡易な魔法を試して、発動したら魔力がある、しなければ無い、という風にとりあえず今は判断するしかないですね」
フレイアは紙を一枚取り出すと鉛筆で一本の短い線を引き、そこからさらに枝分かれの四本の線を引いた。一見するとフォークのようである。
「自分の中に電池があると思ってください。この図は回路図で、下から上に向けて、自分の中の電池から電流が流れるようにイメージします」
まわりにで聞いているシェリやマンセルには、この説明はさっぱりだったか、コーヘイはすんなり理解したようだ。
目を閉じて、言われた通りにイメージし、フォークの先端まで電気を流し終わったところで目を開けた。
特に何も起こっている感じではなかった。
「何か見え方は変わりました?」
フレイアが抽象的な事を聞いてくる。
「何が何だかさっぱりです」
「うーん、一番簡単だけど、主観系の魔法は傍から見ても発動しているかどうかわからないからなあ」
マンセルはこの図を見て、何の魔法かわかっているようだ。
「火種の魔法が、わかりやすくていいんじゃないのか?」
わかりやすい魔法を提案する。
「でも火種の魔法は、こんなのですからね。コーヘイさん、いけます?」
フレイアが本をめくり、コーヘイに見せた。
さながら進化の流れを書き記した系統樹のような複雑なラインが描かれていた。フォークとは段違いの複雑さである。
首を振って拒否する。
「ちなみに方角を指し示す魔法はこれだ」
マンセルがページを繰って、見せる。
こちらは枝分かれは少ないが、放射状である。
「魔導士の詠唱は、この力を流す経路をイメージするときに、力を流す順序を思い出すためのゴロ合わせみたいなものなんですよ。右四十度に三本・その右二本から更に三本とか、そういう感じの事を短く組み合わせて言ってると思うとわかりやすいかもしれません。この経路が魔方陣です。魔方陣と聞くと丸い物を想像しますが、先ほどのもののように形はいろいろですね」
フレイアが言葉を選びながら説明をしてくれる。
「この経路通りに魔力を流す事に成功すると、目的のエネルギーが発生する感じでしょうか。実際、魔法の発動について、この国でもまだ研究中なんです。私も詳しくはちょっと……重力を説明するのが難しい、というのと同じですね」
この国に生まれて育っても、わからないからな、そんなこと! とマンセルは言う。
「ついでに言うと、複雑な陣になると、とんでもなく集中している時間が長くなるから詠唱中の魔導士は結構、無防備なんだよな。途中で中断されると最初からだし」
「ああ、だから魔法だけでなく剣技も発展してるんですね」
「そういう事」
「魔法で魔法は弾けるんですよ。エネルギーとエネルギーなので。でも、エネルギーで物理的な剣の攻撃をピンポイントで弾くのはとても難しいです。剣には剣で対応するか、剣を持ってる人間を空間ごと吹っ飛ばした方が簡単です」
戦いも魔法だけで済むなら、魔法だけの世界になっていそうだ。そうなっていない事を考えて、戦術をマスターしていかないといけないのかとコーヘイは納得した。ゲームとかアニメの設定の先入観で動くと、痛い目を見そうだ。
「高位の魔導士になると、記憶に経路が焼き付いていて、複数の魔法を組み合わせても詠唱なしで発動させたりもできるようになっていますね」
魔法があたりまえの世界の魔導士とはいえ、遊んで身に着けた能力ではない。しかしマンセルがちょっと意地悪く笑う。
「まあ火種の魔法は、たいていの主婦が無詠唱で使えるけどな」
「使うのが毎日の事ですからね~覚えちゃいますよねえ」
シェリものんびりと応える。
生活魔法とはいっても、身につけるのにはそれなりの苦労があると感じた。異世界人の技術があれば、これらを覚えなくて済むというのは利点になる事も多いだろうし、必死に覚えた側からすると卑怯にさえ思えそうだ。
魔法は身近だが、誰でも自在にいろんな事が出来るというものではないというのが、やはり空想の世界とは違うなと、コーヘイは思った。
「ところで、今しがた自分がやった魔法はどういうものなんですか?」
コーヘイが疑問を口にする。
フレイアではなくマンセルが答える。
「知覚能力アップだな。真っ暗でも月明かり程度の明るさに見える。数十秒程度だが」
「夜に試しても、魔法のために集中している間に、それぐらいに見えるようには目が慣れそうですね」
全員で腕を組んで考えこんでしまった。
魔力の有無を確認するのはやはり、魔導士の手を借りなければならなさそうだ。
とにかくそれが確認できなければ鍛錬しても無意味で、時間の無駄にしかならない。
フレイアの心当たりは先日会った銀髪の男性だが、名前も階級もわからない。なんとなく高位そう、という事しか知らない。顔はもう忘れられないが。
思い返すと、高位の人間に対して、結構な無礼を働いてしまった気もする。恐怖に負けてしまったがあんな風に怯えられていい気はしないだろう。
力も弱い、体も弱い、それでいて心まで弱いとは、ほとほと自分が情けない。
高位の魔法を使いこなすには厳しい鍛錬も勉学も必要で、それを乗り越えた自負はそのままプライドにつながる。親から引き継いだ地位と、生活魔法で偉ぶる下位者とは格が違うのだ。
ただ高位魔導士は、研究や鍛錬に多くの時間を取るため、普段あまり姿を見る事はない。式典や有事の際には出て来るだろうが、フレイアが登録局に努めるようになってから、そのような事態にはなっていなかった。
下位の魔導士は邪魔なほどウロウロしているが、高位魔導士は遠目で数名、見かけた事がある程度かもしれない。
出来るなら会いたくはないが、コーヘイの件はある意味、仕事。とりあえず依頼をするだけしてみて、合わせて先日の謝罪もできれば一石二鳥にも思える。
あれだけ目立つ容姿なら、受付で聞けば一発だろう。
「魔導士団に相談してみます、数日待ってもらえますか?」
シェリとマンセルが心配そうな目を向けたが、いつまでも弱虫のままではいられない。フレイアは覚悟を決めた。
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