第8話 一夜明けて


 賊の話題が冷めやらぬ、翌日。



「今まですみませんでしたっ!!」


 巡回中のコーヘイの前に駆けつけるやいなや、土下座する数人の騎士達がいたのだが、何の事かさっぱりわからず困惑して立ち尽くしてしまった。

 隣にいた親しい男の顔を見て、助けて欲しいというという圧をかけてみると、セリオンはこのままでも面白そうと思っていた様子だったが、ポリポリと頭をかいて、一人ずつ手を引いて立ち上がらせていく。


「こいつは、欠片もお前らのやったことは気にかけていない。こんな些事で煩わせてやるな。持ち場に戻れ」

「はっ! 申し訳ありません」


 来た時と同じようにバタバタと走り去って行った。


「何だったんですか今のは」


 茫然としているコーヘイの頭を、ポンポンと叩いてみる。拳ひとつ分ほどセリオンの方が背は高いが、子供扱いできるほどの差はないのだが。


「お前はいろいろ鈍いな。まあそれが良いところなんだが」


 歩きながら、セリオンは今の出来事を解説してくれた。

 要約するとぽっと現れた異世界人が、騎士団の各部隊の中でも人気で誰もが所属を憧れる部署である遊撃警備隊に配属された事を妬み、色々と嫌がらせの数々をしてきたが、夕べの活躍を聞き及び実力があっての抜擢だったと、今までの事の謝罪に訪れたというわけだった。


「はあ……」


 説明を聞いても、なんとも納得しがたい。配属自体が、自分が護衛されるため、という理由だったので妬まれるなどと思っていなかったし、そもそも嫌がらせをされたという記憶が全くないのだ。

 納得できていなさそうな顔でいると、セリオンは黒髪の彼が何をされていたのか笑いながら教えてくれた。


 下っ端中の下っ端がやる雑用を押し付けられたり、訓練メニューをより厳しいものに差し替えられたり、一対一が普通の剣技鍛錬試合を一対多数にしてみたり。程度の低い虐め行為が毎日のように行われていた。

 ただセリオンをはじめ、事情を知る者はあえてそれを嗜める事なく放置した。


 コーヘイがそれらに全く抵抗なく、今の自分がやる事であると受け止め、なおかつそつなくこなしていたからだ。


「雑用は新人の仕事では?」


 心底不思議そうに聞いてくるあたり、心からそう思っているようだ。この世界は実力主義で、年少が年長を立てるとか、後輩が先輩に従うという風潮はない。優秀な者が上に立つのだ。

 なので実力さえ示せば、今回のように相手の方から下出に出てくれる。


 一対一の通常訓練しかやっていなければ、昨日のような複数の賊を相手の立ち回りも出来なかっただろうから、あの短絡的な騎士達の行動も役に立っていたと言える。


「一見、虐めがいがあって軟弱そうに見えるんだけどなあ」


 本人を前にして失礼な事を言っているが、コーヘイはそれに気を留める事なく、昨日の襲撃を思い出していた。あれが自分の人生初の実戦経験と言える。

 結構危なかった気がする。


 平和ボケと言われても仕方ないけど、そもそも死体すら見たことがなかった。それでもやらなければこちらがやられるという自然界の本能が、昨夜、自分の中にある事も知った。

 人を傷つけたくない、殺したくない等と悠長な事を考える余裕はない。相手は殺す気で来ているのだから。


 立ち止まって、手のひらをじっと見る。


 自分はいざという時、人をも殺す覚悟をもって、入隊していたのだろうか?

 信念として、誰かを護るため、という想いは強く持っていたと思う。だが、力に力で対抗する限り、どちらかは倒れる事になる。自分が死ぬ側になる事もある。生き残るなら相手は死ぬのだ。それが戦争である。

 話し合いでなんとかなるものではないというのは、歴史を見ればわかる。それぞれの正義がぶつかり合うのは当然だ。一方が全滅するまで、という事はないだろうが、どちらかが相手に逆らう力を失うまでは続くだろう。


 この世界はその風潮が、元の世界よりもより強いと感じた。


 手をぐっと握りしめ、もっと強くならなければと思う。

 自分が生まれた意味、この世界に来た意味を見つける前に終わるのは嫌だった。せっかく生を受けたなら、この命を価値あるものにしたい。


 目を上げると急に立ち止まった自分を、セリオンが怪訝そうな顔で待っていた。


 そういえば、この人と別室になるという目標すら未だ達成できていなかった。


 あの騎士達にされた事は騎士団のルールではないようだが、あれぐらいの鍛錬はこれからも続けるべきだとも思った。雑用はそろそろ断ってもいいのかな? とも思ったが。



◇◆◇



 登録局に、全員が揃っているのは久々だった。



 局員二人が襲われ、一人が軽傷とはいえ傷を負うというのは由々しき事態。賊の目的もわからない。


 この局員の中で、戦闘力がずば抜けているのは元騎士団員のエリセ。次いではなんと、シェリだった。シェリは元々、王族付きの護衛女官である。

 さすがに王族付きとなると、見目も重視されるが、シェリには一般的に麗しいと言われる体型維持のための摂生が辛かった。

 好きなものを好きな時に食べたいという理由で、名誉ある職を辞したという経緯がある。うっかり痩せると、また連れ戻されるとも思っているようだ。


 文官のローウィンは物理的な戦闘スキルはないものの、ある程度の防御系の魔法が扱える。

 マンセルは商人の家系で、幼い頃から隊商に付き従い、それなりに危険と隣合わせの生活をしていたから、自分の身を守る事には問題はない。



 四人の視線は、仲間外れが確定してしょげているフレイアに注がれていた。


 

 フレイアは、生活魔法レベルなら使えるようにはなっていた。ただそれは、明かりを灯す程度のスキルである。到底そんなもので身を守る事はできない。


 また、身体的な問題も抱えていた。


 この世界に来た時には重症を負っており、右肩から背中に向けてと、左足には腰から膝に向けて繋がる大きな裂傷の跡が、今も残っている。女性としては、あまり人に見られたくない醜い傷だ。制服がスカートでないのは本当にありがたかった。


 その時に治療にあたった魔導士の腕は悪くはなかったが、身体的な負傷より、精神的な部分の治療が優先された。そちらの方が命の危険があると判断されたから。


 結果、傷は塞がっているが完治とはいえず、飛んだり走ったりという事は痛みが伴って今も難しい。シェリから見ても、夕べはよくあんな動きが出来たものだと感心するレベル。


「そういうわけで、フレイアは今後しばらくは城内勤務だ」


 護衛の騎士を一般局員に付けるより、警備の厳しい城内にいる方が安全で簡単だという結論だった。

 登録局の書庫の整理と、過去の記述の洗い直しはすべてフレイアが担当し、シェリは相談業務、残り三人で登録業務を分担する事になった。


「昨日の今日だから、シェリとフレイアはもう上がっていい」


 シェリとフレイアは素直に従い、局室を出た。

 二人は無言で宿舎に向かう。


 夕べの現場が近くなると、フレイアの足が止まりそうになり、シェリは心配そうにフレイアと手をつないでくれる。手を引かれたまま歩みを進めていると、賊に割られた窓の修理に、二人の騎士が立ち会っている様子が目に入った。


「セリオン様! コーヘイさん!」


 二人の女性局員は足早に、現場に駆け寄る。

 

「二人とも、夕べはずいぶん危険な目にあったようだね。よく無事でいてくれた」

「まあねえ~、このシェリ様に剣を向けるなんて、命知らずの賊だわ~」


 わざと明るく、くだけた感じに言う。強がる女性に、セリオンは次の言葉に詰まっていた。


 コーヘイも眉を顰める。自分と相対した賊は、明らかに手練れだった。武器をもって立ち向かっても、あの後は暫く手の震えが止まらなかった。

 セリオンの見解では、城内に侵入した賊も庁舎に侵入した賊も、同じグループだという。あのような者達に囲まれどれだけの恐怖だったろうか。

 コーヘイは半ば無意識に、フレイアの頬にそっと手を添える。頬は冷え切っていた。顔色も悪い。大丈夫? と声をかけようとした瞬間、フレイアの瞳から、ボロボロと大粒の涙が零れはじめた。

 驚いて、慌てて手を引く。


 セリオンもシェリもびっくりして固まってしまった。


 わたわたとコーヘイは狼狽え、両手を所在なげにバタバタさせてしまったが、目の前で泣いている女性に何もしないわけにはいかないと、意を決して、そっと細い両肩に手を置いて、やさしく胸元に引き寄せ、不器用に軽く抱きしめた。背中を軽くポンポンと叩き、髪を優しく撫でてみた。これは泣いてる子供の慰め方だったかもと思ったけど、腕の中に納まる女性は声を立てずに、嗚咽だけもらして子供のように泣きじゃくっていた。本人の意思ではもう、涙が止められない。

 ひとしきり泣いていたがふいに力尽きたように崩れ落ち、コーヘイは慌ててその体を支えた。


「気が緩んだんだろうな」


 コーヘイの腕に身を預ける娘の青白い顔にかかる髪を、セリオンはそっと指で払ってやった。

 気を失ったフレイアは、コーヘイに抱きかかえられて自室に戻る事になった。


 後でシェリからその話を聞き、フレイアは暫くコーヘイの顔をまともに見られなくなっていた。城内勤務になると巡回中の警備隊員との遭遇率が高く、しばらくはかなりの頻度で恥ずかしい思いをする事になりそうだ。


◇◆◇


 エリセは久々に夜、騎士団の食堂に来ていた。気の知れた仲か、ぱっと手を上げるだけの挨拶を、食堂の主に対してする。

 エイシェは心得たとばかり、エリセ好みのつまみを手際よく作り、大ジョッキのエールと共に卓上に運ぶ。

 隣にはすでにジョッキを傾けるセリオンの姿があった。


「飲むなら、こんな所じゃなく、町の酒場とかでもいいんじゃないのかあ」


 不満たらたらに言うと、エイシェが勢いよくセリオンのためのナッツの盛り合わせを目の前に置き、渾身の笑みを見せ付ける。こんな所で悪かったね、という顔だ。


 ヒェッと心からの怯えた表情をする。

 この男は本当に、相変わらずだ。こうしてると、全く最強の誉れ高い剣士とは思えない。

 演技なのか素なのかわからないが、この姿を見て相手が舐めてかかってくれれば儲けもの。そういう風に思っている男だ。


「コーヘイはあれだな、無自覚のタラシだな」


 先日、フレイアが無防備に泣きじゃくった話は、シェリによって局員に伝えられていた。その話を聞いた時、エリセはいい傾向だなと思った。マンセルは不機嫌になったが。


「まだ、賊の目的はわからないままか」

「今はまだ結論を出せるような情報はない。ただ、異世界人絡みだろうな」


 異世界人登録局が狙われたのは間違いなかった。中庭の賊も、その近くの登録局の書庫を狙った可能性がある。何を目的としているかはわからない。異世界人の知識か、情報か、その両方か。


 エステリア王国ほど、異世界人の記録を統計的に記録し、保存している国は他にない。登録情報には、その時々の異世界人がもたらした知識や技術についても記録されている。それを使って、この世界で応用して使う研究も盛んで、他の国より抜きん出ていた。他国からすれば、喉から手が出るほど欲しい情報もあるだろう。


 王国の風土は恵まれた気候をベースに、安定した経済、豊かな土壌からの生産物、公平な支配と統制で、トラブルも少なく、治安もいい。これ以上望む事はなく、他国に侵攻して国を大きくしようという野望は歴代王家にない。

 しかし他国からすると、奪いたくなるような魅力的な土地だ。


 この国では、異世界の技術は、発展と防衛のために使われているが、他国にその情報が奪われれば、他国はそれを攻撃に使うであろうというのが、不安な要素であった。


 平和的に解決しようと言えるのは、今現在平和を享受しているからこそ言える事で、明日食べるものにも苦労している国からすれば、殺してでも奪い取りたい。話し合いで済むわけがなかった。


 セリオンはつまみのナッツを一粒、指先でいじる。遊びすぎて、パキッと音を立てて砕けてしまった。何をやってるんだ、という目でエリセが冷たく見る。


「コーヘイの成長が、想像より著しいのが助かったな」


 話題が戻る。

 砂に染み込む水のように技術を吸収するから、教えていて気持ちがいい。鍛えがいがある。


「マンセルにも、その素養があればな」


 エリセは心底残念そうに言う。


 フレイアに対して色々と気持ちはあるようだけど、だからと言って相手に相応しい行動をしたり努力をしない。何もしなくても自分は優秀だ、という驕りも見え隠れする。エリセから見ればまだまだ。伸びしろがあるのに、伸ばそうとしない態度に苛立つ事も多い。

 半面、コーヘイは違った。上を見て、ずっと手を伸ばし続ける。もっと上へと、伸びやかで若木のような輝きと逞しさ。まだまだ何処までも育ちそうだ。


「フレイアが以前、元の世界の子供向けの寓話を教えてくれたことがあった」


 それは”うさぎとカメ”だった。元の世界ではだれもが知る子供向けの物語。足の速いウサギが油断して、のろまなカメに負けてしまう話で、相手を見くびっていると、自分より劣ると思った相手にも負けてしまうという教訓を含んでいる。


「この話は、油断をすると足元をすくわれるという話のようだが、もう一つの教訓もあると思う」

 

 セリオンはエリセの言葉にうなずいて答える。


「ウサギはライバルのカメしか見ていないが、カメが見ているのはゴールだけという違いだな」


 この世界の剣士としては未熟だが、コーヘイの視線はもっとずっと遠くにある。誰よりも先にゴールにたどり着けるかもしれないなと思うと、良い部下を得たと自然と笑みが浮かぶ。


「部下の出来不出来の愚痴を、今日は言いに来たのか?」


 それならまだまだネタがあるぞと言わんばかりに、セリオンは言う。

 エリセは、そっとジョッキを机に置いた。


「本題はフレイアの事についてだ」


 言いにくい事を、言いにくそうに話し始めた。


 話を聞き終えた国随一の剣士は、到底軽口をたたく気分にはなれず、ぬるくなったエールを一口で飲み干した。こんなものでは見ず知らずの輩への熱い殺意が収まらなかったが。


「すまないが、守ってやってくれ」


 エリセには姉のような気持ちで、フレイアを大事に思っている。

 できるなら、年頃の女の子らしく幸せな恋をして、この世界に来てよかったと心から思って一生を全うしてほしいと願っている。


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