第二章 黄昏と夜明け

第7話 襲撃


 深夜、鋭く剣の打ち交わす音が、中庭の一画に響いた。



 今日コーヘイと巡回のペアを組んだのは、黒煙の蛇の異名を持つ、警備隊一の技巧派剣士、レオン。


 光が当たると緑がかってっているが、この男も黒髪だった。少しくせ毛で波打つ髪は、常に濡れているようにも見える艶がある。


 黒目黒髪の両方がそろう者は珍しいが、黒髪だけ、黒目だけ、というのであれば、この国でもそれほど珍しくはない。

 瞳は深く暗い赤で、黒髪とこの瞳の色の組み合わせは悪魔的であり、城内の女性には危険な香りがたまらないと人気が高い。細身の長身と、鞭のようにしなるしなやかな腕から繰り出される剣戟は、さながら蛇の動きに似て、鋭く強い。


 コーヘイは壁の警報の石を剣の柄でたたき潰し、彼を追って来ていた賊に振り向きざまに牽制の一閃を加える。


 賊は間一髪でその攻撃を避けたが、にわかにバランスを崩した。それを見てすぐさま追撃するが、相手は転がりながらその攻撃も避けた。もう一人の賊が仲間を助けるため剣をふるったため、それ以上の追撃はできなかった。お互い、ふたたび一定の距離を空け、じりじりと隙を伺う。


 賊は六人。


 巡回していた二人が異変に気付いた瞬間、先手必勝とばかりに暗闇の茂みから飛びかかってきたのだ。


 レオンは感心していた。

 賊にではなく、コーヘイに、である。


 息をひそめた何者かの気配を茂みに感じ、レオンが抜刀した時には、コーヘイも抜刀していた。もしレオンの抜刀を見てから剣を抜いていたら、賊の最初の斬撃で斬られていただろう。


 状況判断も優秀で、レオンに対して四名の賊、己に二名が殺到してるのを見るや踵を返し、警報の石を潰す役目を担った。

 セリオンの教育の成果もあるだろうが、本能的に備わってる危機対応力といった雰囲気がある。頭で考える前に体が動くのは、戦う者には必須の能力。


 しかしながら剣の技術はまだ付け焼刃で、手加減をして賊を生かして捕らえる器用さや余裕はなく、体勢を整えた賊二名に対し、今は防戦一方になっていた。


 レオンの方は賊との技量差が大きく上回っていたので、コーヘイの様子を見ながらも確実に一人ずつ仕留め、三人を倒し、一人を剣の腹で殴って気絶させた。

 同時に、一番近い図書警備隊の二名が駆けつけ、コーヘイに取りついていた一人を引きはがしてくれる。


 コーヘイの腕でも、一対一になれば対応できるかに見えたのだが。


 賊はその不利を見て戦略を変えた。


 一歩後ろに距離を取り、コーヘイに持っていた剣を投げつけたのだ。武器を手放すという予想だにしない意外な行動だったが、コーヘイはなんとか反射神経でそれを目の前で辛うじて叩き落す。が、次の瞬間には賊につかみかかられ、思わず剣を手放してしまう。一方、賊の手にはすでに、新たに短剣が握られていた。


 レオンが剣を持ち直し、救援に向かうも間に合わないタイミング。凶器が振り下ろされる。 


 コーヘイは賊が短剣を持つ右手首を左手で掴むやいなや、身を一瞬屈め、右の掌で賊の顎を下から勢いよく突き上げた。その勢いのまま後方に体勢を崩した賊の足に自らの足をかけ、右手を掴んだまま投げ倒す。

 背中から地面にたたきつけられて受け身が取れず、賊はあえなく気絶した。


 中庭に静寂が戻る。

 コーヘイの背中を冷たい汗が伝うのがわかった。

 こんなところで、隊で培った徒手格闘の技術が生きるとは。


 賊の腕から手を離し、呼吸を整える。額ににじんだ汗を腕で拭っていると、落とした剣をレオンが拾い上げてコーヘイに差し出した。


「いい動きだった」

「ありがとうございます」


 礼を言いながら剣を受け取り、鞘に納める。

 バタバタと足音が響き、更に数人の隊員が駆けつけ、手分けして気絶した賊を縛り上げ、死体を片付けはじめた。


「さて、何が出るかな」


 二人は片付けられる賊を見ながら、長い夜の始まりを予感していた。



◇◆◇



 城内で捕り物が行われていた頃、シェリとフレイアは資料本と書類の束を抱え、合同庁舎の長い廊下を登録局に向かって歩いていた。古い文献の洗い直し作業は深夜まで及んでいてこの時間。

 若い二人でもこう毎日のように残業を伴う勤務が続くと、少々寝たぐらいでは体力が戻っていない気さえする。


「こんなにこき使われると、痩せちゃうわぁ~」


 のんびりした口調で、痩せるのは困ると言う。

 

「局に戻ったら、総務からの差し入れのお菓子、開けちゃいましょうか」


 フレイアがいたずらっぽく言うと、シェリの表情がパッと明るくなる。

 わずかに足早にもなった様子だった。


 庁舎は各出入口に警備隊が配置されているのみで、長い廊下には巡回もなく、夜には人影もない。盗まれると困るものは、就業時間が終わる時に城内の書庫に保管されるから、賊が入り込む理由も特になく、あまり直接的に警備する意味もなかったからだ。



 しかしこの日、二人は危機に陥った。


 

 この時間は無人であるはずの部屋から、足音なく人影が現れる。前に二人、後ろに二人。

 フードを深くかぶり、完全に顔を隠しているが危険な気配は隠していない。

 僅かな金属音と共に、それぞれの手元に刃物がきらめく。全員が子供のように小柄だが、その分素早そうなのが不安を煽る。


 シェリとフレイアは緊張の面持ちで立ち尽くした。両手に本や書類を抱えているのみで、武器にも防御にも使えるようなものは何も持っていない。

 じりじりと前後から距離を詰められる。


「なんなの~あなたたち~」


 こんな時でもおっとりとした喋り方をするが、声は緊張の色で染まっていた。

 フレイアは目線だけを動かし、相手との距離を測る。

 胸元に抱えた書類を思わずぐっと抱きしめた。

 

 距離はどんどん詰められている。

 二人はお互いの背中を預け合うように、前後の敵に相対する。


「丸腰の女相手に~、卑怯だと思わないの~?」


 賊は一言も発しない。何が目的なのかもわからず不気味だ。平の一般職員を待ち伏せしてまで殺す意味があるだろうか? しかもこんな場所で。


 あと数歩か、という距離で、前後から同時に賊が女二人に飛びかかってきた。

 フレイアは持っていた書類を宙に投げた。書類が一瞬、賊の視界を奪う。

 その隙に斜め方向に身を投げ出して斬撃をかわすと賊の剣は床の石畳で硬い音と火花を立てた。フレイアはその勢いのまま身を転がして壁にたどり着き、手元に残した本の角で、一番近い警報の魔石を叩き潰す事ができた。


 警報音が廊下全体に響き渡る。


 シェリは前方左にいた賊の懐に飛び込んで、そのまま担ぎ上げて、右の賊に向かって投げ飛ばしていた。見た目にに似合わない機敏な動きと怪力。賊はシェリが想像していたより軽かったので、投げ飛ばされた賊は失神したようだが、ぶつけられた側は、わずかなうめき声を上げただけで無言だ。残りの二人は連携の取れた動きで、再度シェリとフレイアを包囲する。

 無言のまま統制が取れているというところに、フレイアはより危険を感じた。


 遠くからいくつもの足音が聞こえ、警備隊が駆けつけて来る気配に賊の一人が舌打ちをし襲い掛かった時と同様、素早く次の行動を決めた。


 投げ飛ばされて伸びてる仲間を肩に担ぎあげ、近くの窓に体当たりをして、外に飛び出すとガラスの割れる音が廊下に響く。フレイアは散る破片から腕を上げて身を守るが、賊からは目を離さずにいた。

 舌打ちをしたあの賊が一瞬振り返ったため、目が合った。深い緑の瞳に見え、暗くてはっきりしないがまだ少年のようにも見える。しかしその目には憎悪が滲み苛立ちの色が見て取れ、フレイアは恐怖を感じた。

 

「大丈夫ですか!」

 

 駆け寄ってきた警備の隊員はシェリとフレイアの姿を確認し、破られた窓に目を向け外を見渡す。数人が指示を受け、窓から賊の後を追う。


「シェリーー! フレイア!!」


 マンセルが駆けつけて来た。


「大丈夫? 怪我はない?」


 走りながら叫ぶマンセルの声に、フレイアは我に返った。


「私は大丈夫です」

「私は大丈夫じゃないよ~」


 シェリは手の甲を少し切られたようで出血していた。しかし痛がる素振りも見せず、煩わしそうにハンカチを取り出して血を拭った。薄皮一枚のかすり傷だったようで、出血はもう止まっているようだった。

 フレイアとマンセルはほっとした。


「何なのよあいつら~」


 窓の外を睨みつける。おっとりした顔だから、ふてくされているようにしか見えないがかなり立腹している様子だった。

 マンセルは散らばった書類を拾いながら、フレイアの様子を見る。少し青ざめて震えて見えたが、気丈に一緒に書類を集めはじめる。


 その後、城内で捕らえらた賊が、何もしゃべらないまま自決し、局員を襲った賊はまんまと逃げおおせてしまったようだった。



 この夜の襲撃は、謎だけを残した。

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