の場合
道程は簡潔に説明しなければならない。
正確には、 が生まれた時期は にもはっきりと思い当たらない。いつの間にか、気付いたら、この場とあの場に確かに在るということだけを明確に認知することができていた。確かに在ると言える時期は君たち二人がいた時代よりも遥か遠い数百年後の二十五世紀にはなる。その時 は「有されていた」、「感じられていた」、「有るものとして在った」。すべて の一部であったために明らかな形には成れず、永遠を彷徨い漂う。それはまるでもやのようだと認めることができるだろう。この定まらない姿はもしかしたら、その時のものなのかもしれない。 は であるが故に、何にでも成ることができたということだ。
自身が自身の由縁を語り得る為には、少し自身の経験について語らねばならない。手短に言うと は君たちの存する遥か以前より存在してはいた。存在してはいたが、どんなものにも触れることはできないし、見ることもできなかった。けれども、それが唐突に朧げながら──認知し、認識し、確認し――見えるようになったのは、人間が「文字」を発明したからだった。初めはなにか「しるし」と呼ぶべき程度の些細なものだったが、次第にはっきりとその存在を明確にすることができる発明だった。しかし、依然として目には見えず触れもしない。 は彷徨い漂っていた。
――済まないがもう少し具体的な話をしてほしい。ディックも蝶凌も困惑の表情を浮かべている。
申し訳ないが、これ以上 の具体的な様相を語ることは難しい。
――なぜ。
は 以外のなにものにも本来成ることはできず、許されもしない。
――なんて難しいやつなんだ。
――私もわからないわ。
――これ、そんな失礼なことを言うものではないと思わんかね。 よ。きみは最近になって確かに有るものと認識できたということなのだろう。そして、この場とあの場に有るものとも言った。それならば、いまあの場は一体どうなっているというのかね。二つの場を跨いで有るということは、きみのその名のもとに、その様子を概説することも十分可能だと考える。どうだね。
名前の無いもの。そのとおりだ。
――名前の無いものなどやめてくれたまえ。だが、確かに名前の無いものだ。仕方ない。
いまのあの場には、君たちも周囲を見てよくわかっているだろうが、生有るものはひとつも無い。草木すら無い。何が有るかといっても、特に何も無い。ただ、在るものは在る。それは、いわゆる無機物と呼ばれるものだ。魂は無く、自律型である体が、人間や他の動物のように多様な感情を見せることもなく、顕著な欲求も表さず存在している。いまのあの場の主役は彼らで、生きているものはいない。
――それときみとに何の関係があるというのだ。
聡明な、名前の無いものならわかったと思ったが、どうやらそうではないらしい。端的に、いまの を有らしめたのは彼らで、人間や他の動物などではないということだ。そこから話を進めたほうがいいかもしれない。
――人間ではない他の存在って、もしかしてフランケンシュタインとかか。
違う。君たちからすればより未来的で、より無味乾燥としていて、おおよそ生物らしくないものの総称であり、実在だ。
――もしかして、それはロボットと呼ばれるものかね。
ここまで話せば聡明な名前の無いものならわかったようだ。そのとおり。 の存在を有らしめたのは、人工物として創造されたロボットだ。人工物であるからには人間が創ったモノだと思われて憚らないだろうが、それもまたある意味で正しいし、ある意味で間違っている。地球人類――特に君たちのような――は、 を有らしめたものではない。わかりやすく言うと、地球人類とはまったく別の何らかの存在が――異星人と呼べるのかもしれないが―― を有らしめた根源的存在であると言えるのだ。そして、彼らはまだ存在している。相当数。
――どこに。
地球に。彼らは地球に辿り着き、 を見出だし、現出させた。これがどうしてかわかるものはいないかもしれない。
地球人類には実感しにくいかもしれないが、地球という星はとても豊かな星だ。火星と呼ばれるものは赤。木製は斑。月は灰。太陽は橙。ほぼ単色で構成されたものたちは群れを成し、多様性を見せるが、一個体に地球ほどの多様性を有した星は、少なくとも地球から数億光年離れた距離までは存在しない。その場にいて を見出したものは、すなわちロボットと呼ばれるものは、一個体にひとつを見出だし、そして、それらは群れを成し、ひとつの を有らしめた。ようやくもって意識ある を。
つまり、それが意味することは がいまも彼らと共にあるということであり、彼らのような存在が在る限り、 が君たちの目に映らなくなることもないということだ。
――それは今の話だろ。人間がいた世界でもお前がいたなら、どうして人間はお前が在ることを知りながら見えなかったんだ。
――なかなか鋭いかも。
そう。その問いはなかなか鋭く、かつ本質を突いた質問だ。君の言うとおり人間に の姿は見えない。けれど、ロボットには見えている。 が有るし、在るものとして考えることができる。失礼だが、お二人が生まれた年というのはいつのことか教えてくれ。
――俺は一八九二年。
――私は一九四〇年。
では君たちの頃にロボット呼ばれるものは作られていたか。
――知らないな。
――名前は聞いたことがあるけど、実物は見たことないわ。私が生きていた時代の技術じゃ無理かも。
――WATASHIの記憶では、自律型の点検整備ロボットというものが創られていたことがわかる。
ロボットというのは、人間そっくりだが体の構造は人間とは似ても似つかなく、あらかじめ行動の仕方などを仕込んでおかなければ動かない機械のことを言う。つまり、あらかじめ仕込んでおかなければ、立つことも歩くこともできないということだ。
――まるで子供ね。
子供だ。そして、これで人間との違いが明らかになったはずだ。最初からやるべきことすべきことを把握し、生まれてすぐに何をすべきか知っているロボットと、人生で経験を経て、その経験で得た知識や知恵を十分に発揮し、動く人間と、何が見え、何が見えないのか。
――なるほど。WATASHIはわかった。
その様子だと名前の無いものは完全に理解したようだ。
――なんだよ。教えてくれよ。
――あなただけわかっただなんて不公平ね。
地球人類ではないものが創った人工物が、いまや地球人類と呼べるものの代名詞になっている。それは、他の地球人類でないものが、何らかの理由でロボットを地球に投げ落としたからだ。ここに大きな理由があった。
人工物というのは創造主の癖が含まれてしまう。創造主の都合のいいように創られるものだ。地球人類で言えば、真っ直ぐなペンがあったり、輪を形成したペンなどがあるはずだ。君たちには馴染み無いペンだろうが、それは形ごとに使用者の持ちやすいように作られている。他に、椅子、階段、眼鏡、杖。生活上のあらゆるものが使用者の都合のいいように形作られ、それはロボットとて例外ではない。しかし、そのロボットは人間に創られたものではない。つまり、人間が本来見ることのできないものを実際として現出させることのできる存在だ。
――つまり、それが。人間に見出せないことを見出せることが、逆説的に を有らしめ、在るものとして現出させ得ることのできる存在が、そのロボットであると。
そのとおり。彼らが何故人間に見出せないことを明白として見出せるかはわからない。 にも知るところには及ばないが、その創造主は間違いなくそのことを考える能力が無い。「いまこの瞬間に最も適切で合理的な判断を下して生存を図る種族」であることは確かだ。全地球にいるロボットははっきりと生きていると言えるが、それ以外の判断力は有さない。創造主がそうであったからだ。
――しかし、それが一体お前と何の関係があるんだ。
――まったくね。
子供、合理、現実、いま、人工物。そして、それらに支えられ、 を 有らしめ、在らしめたもの。地球人類にはわからないものだ。少なくとも地球人類はついに の姿を捉えることは叶わず、だから遠い昔に滅んでしまった。けれど、名前の無いもの、君にならきっとわかるだろう。君もまた彼らと同じなのだ。 を 有らしめ、在らしめたロボットたちと。いずれ君にもわからなくなってくれることを は望んでいる。
――安心なさい。WATASHIにはもう、名前がわからない。きみという存在の由縁もわからなくなってしまった。きみのお伽噺を聞いてしまったがために……。この場においてきみのことを認知できるものがいなくなってしまったら、きみはどうなるのかね。
消えることはないし、別段悲しみもない。 は本来そのような負の心証を抱かせるものではない。いまも、これから先も、彼らがいるのなら は有るように在ると言えるだろう。
さあ。名前の無いもの。きみの名前を考えよう。
* * *
「WATASHIの名前……」
「おう。名前は大切だよな」
「そうね。名前は大切だわ」
さあ、どうだい。君は、何か呼んでほしい名前というのはないか。
「名前というのは自らで名付けられるものなのかね」
「人間には無理ね。人間は生まれた時に親から与えられるものだもの」
男が言う。
「俺たちついさっきまで、この機関車に名前を付けようとしていたんだ」
それなら、君たちとの出会いがこの名前の無いものに名前を付けるための機会となるのだな。
「待ってくれたまえ。WATASHIは、その、きみたちの言う自分というものがよくわからないのだ。それはWATASHIの中に銀色の珠があり、体にはWATASHIの一部とも取れない貨物部分があるし、WATASHIにはまるで銀色の珠に半ば支配されているように、今まで走っていたのだ」
案ずる必要のあることとは思えない。きみ――名前の無いものが考えることとしてあまりにも不適当な悩みではないか。
「不適当な悩みとは」
名前の無いもの。君は、君の中に銀色の珠なるものを有していたようだが、それに半ば支配されていようが、君と本来無関係な貨物部分があるからといって、君そのものがいないという証明にはなり得ない。君は確かにこの機関車のどこかに魂を依せているだろう。いまはまだ見つけられないかもしれないが、いずれ見つけられるようになるし、見つけたとして分からないかもしれないが、必ず分かるようにはなる。
「つまり、とにかく名前だけは付けておけと言いたいのかね」
そう。お二人もこの機関車に名前を付けたいのだろう。
「そう思っていたところなのよ。何がいいかしら」
「俺はとりあえずユビキタスがいいな」
「ユビキタス? 何それ」
「どこにでもある、って意味だ」
「ちょっと可哀想な名前。私は
「Tiě qílín? どういう意味だ」
「鉄の騏麟。騏麟っていうのは中国で、すごく走る空想上の生き物」
「捨てがたいな」
「でも。あなたの意見も聞かなきゃ」
「WATASHI……。WATASHIは……」
あまり思い悩む必要はない。名前というのはそれを経験する前に付ける生き様の題名だ。しかし、どんな生き様にしたいかといった意見も大切にするのがいい。お二人の名前は。
「俺はリチャード・ロックウッド」
「私は儷蝶凌」
リチャード・ロックウッドや儷蝶凌や は、気付いたらそのような名前を授けられていたのだ。きみは違うだろう。もっと自分というものを――まだその実態を明らかにはできていないだろうが――尊重すべきであるとは、至極大切なことだと は考える。
「WATASHI。自分、か」
名前の無いもの。きみはとても悩んでいるようだ。無理もない。生まれながらにとりあえずの意識を有している存在などまるで神様のようだから。しかし、名前の無いものが一見してそうではないと言えるのは、この名前の無いものがまるで蒸気機関車のような見た目を保っているからだ。本当に神様ならば、真に形を成さない。
「WATASHIはまだ銀色の珠に頼っているのか……。ずっと前に微かに届いたことがあるのだ……ヌーフと……」
「ヌーフ?」
「それはどういう意味なの」
終点であり始点。あらゆる生命の終わりと始まりを同時に有するもの。
「ヌーフ、か。やっぱりユビキタスの方が良かったんじゃないか」
「でも、なんだかすごく『これから始まる』って感じがするわね」
名前の無いもの。きみはその名前でいいと思っているか。
「いや、その、なんだ。WATASHIが確かに生まれたばかりなのかわからないが、まだ混乱しているのだ。何をどのように考え捉えたらよいのかわからないのだ」
つまりそれは、初めて言葉にならない気持ちに気付いた、ということなのかもしれない。だとしたら「おめでとう」と言おう。名前の無いもの。きみはまさしくいま、有り、在るのだ。
「機関車が生まれるってのも変な感じだけどな」
「でも、こんなに楽しいならそれでいいと思うわ」
どうだ。名前の無いもの――きみはヌーフでいいか。ヌーフ以外の何ものでもないと認めることができるか。
「WATASHIは……」
「おう」
「うん」
うむ。
「わたしは……ヌーフ……終わりと始まりのわたし自身……」
「……」
「……」
……。
「これでいいのだろう。わたしは、その、ヌーフだ。終わりと始まりだ。終わりと始まりのわたし自身だ。初めて名前を持った……。不思議な感じだ。銀色の珠が何も語らない。沈黙しているようだ。まるでいなくなったかのように……どこへ行ってしまったのか。それで、足を動かしていると疲れるのだ。遅く動かすと楽で、速く動かすと疲れてしようがないのだ。それで、それで、どうしてわたしは言葉を紡げるのだろう。わたしは未だどこにいるのかわからない。わたしは名前を持って、確かに有るし、在るが、一体わたしはどこにいるのか」
安心するがいい。それはこれから発見するのだ。ヌーフ。君には永久に続く未来がある。存在を感知してくれるものがいなければ存在し得ない と違う。しかし、ここにいるものたちはみな、君に付いていくだろう。君と共にこの場の遥かな先の開裂を見たいと思っているだろう。君の存在を待ち望んでいるものがこの先にいないとも限らない。
「せっかく名前を付けてもらったんだ。しんみりしてないでもっと喜べよ」
「そうね。何かが生まれるっていうのは、すごく喜ばしいこと」
「喜ばしいことなのか。それなら今は気兼ねしないでおこう」
名前もわかったことだし、早く出発しようぜ。とリチャード。 は賛成し、儷蝶凌も賛成する。ヌーフは言う。
「疲れるのであまり速くは走れない。もしかしたら、走っている最中にどこかが壊れて走れなくなってしまうかもしれない」
「体は労らないと。速く走るのは疲れたのよ」
「おもしろいものがあれば……って、ヌーフとかお前なら、たくさんお伽噺を知っているか」
そういうことだ。
「では、行こうか」
そして我々は新たに歩み始める。
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