黒猫とチェスを指す

山岡咲美

本編「黒猫とチェスを指す」

「もう、扉がない……」


「チェックメイト、君の人生が終わったって事だニャ」


 何もない真っ黒な空間のなかで俺と同じほど背丈のある冗談みたいな黒猫が俺の人生が詰んだ言っている。


「俺は何処で間違った?」


「さあね~~君の人生だからニャ~♪」


 黒猫は楽しそうにそう言った。


『かわいそうに』


『本当に惜しい人を亡くした』


『立派な方だった』


『小さいお子さんもいるのに……』


 暗闇からから俺の死を惜しむ声がする、まだゲーム中だやめてくれ。


『パパ♪』


健介けんすけ君?……』


 まだ言葉を話し始めたばかりの娘、春花はるかの無邪気な声と現実を受け止められない妻、奏多かなたの声が聞こえた。


「盤面を戻すかニャ?」


「当然だ」


 俺は気づくと2つの扉の前に居た、1つは延命治療をする、1つは延命治療をしない。


「この段階ではどうしようもない……」


「当然だニャ、既に選べる道がニャいもんニャ」


「手を戻すぞ黒猫」


「何処まで戻すニャ?」


「煙草だ煙草を吸う前にだ」


「煙草は吸って無いのニャ」


「春花が産まれてからはな!」


「春花ニャンが産まれ前にまで戻すのかニャン?」


「そうだ煙草を吸い始めた大学まで戻してくれ」



 黒猫は時を巻き戻す、まるでチェスアプリのアンドゥ(やり直し)機能の様だった。



◇◆◇◆



 俺は大学の頃まで戻っていた、そして俺は最新の注意を払い健康的な生活をした、将来起こる危機に対し事前準備をしたのだ。


「健介君また人間ドックに行くの?」


「ああ、俺、健康には気を遣って居るんだ、食事だってオーガニックの物を栄養バランス考えてたべてるし睡眠も沢山とって軽めだけど運動もするよ」


 俺は大学で付き合っていた奏多にそう言った、そう、このあと結婚する奏多だ。


「へーすごいね、でも健介君お金とか大丈夫?」


「まあ俺は煙草やめ……イヤ吸わないし、お酒も飲まないから……」


 確かにウチは裕福な家庭では無かったがバイトもしてる、健康的な生活もこまめな健康診断も高くついたが命の方が大切だ、奏多とのデート資金もなんとかしていた。



「おかしいな? 確かこの時期は卒業旅行の話があった筈だけど……」



 俺はバイトを少し増やしその資金を貯めていた。


「ごめん健介君、生活大変そうだったから誘えなくって……」


「…………そう」


 盤面が不協和音を奏で出す、それは徐々に俺と奏多との距離を広げていった。


 俺の人生にが刺さっていたのだ、チェス用語で2つの駒に相手の駒の攻撃が当たって居る場面の事だ、クイーン(健康)を助けるかビショップ(経済)を助けるか?


 俺は迷わずクイーン(健康)を選んだがその結果としてビショップ(経済)が悪化して交遊関係が疎遠になり、ひいてはそれが恋愛関係にまで繋がっていたんだ。



◇◆◇◆



 暗闇から声がする。


『やっぱりお金って大事だよね』


『自分の事ばかりで人の事を考え無いから』


『経済と健康のバランスとか考え無いと』


『オーガニックって本当に効果あるの?』



 無責任な外野の声。



『健介君? なんかあまり私に興味がない感じがした、そう……なんか寂しかったんだ』


「奏多……」


 心にナイフが刺さる。


「そうか……バタフライエフェクト(風が吹けば桶屋が儲かる)で2人の価値基準がずれたんだ」


 経済的状況は恋愛行動に影響するって統計があったな……


「どうするニャ、また盤面を戻すかニャ」


 黒猫が聞いてくる、俺の人生の扉はまだ沢山残っていた、奏多の事を忘れ別の人生を歩む道もあった。



 その場合、春花は産まれて来ない……



「黒猫、高校までは戻してくれ」


「OKニャ♪」



 黒猫は簡単に時を戻す、本来なら起こり得ないチェス(人生)の無制限アンドゥ(やり直し)……俺はもっとその事について考えるべきだった。



◇◆◇◆



 俺は高校生に戻りバイトを詰め込んだ、大学で奏多に気を使わせてはいけない、そう思ったからだ。


 両親は学費は心配いらないと言ってくれたが問題が学費ではない事を考えるとそうも言っていられない、高校の先生は高校生は勉強が本分だと言うが今は正しく聞こえても先の先まで行くと手筋が行き詰まると未来を知る俺には解っているのだ。



 今、正しく聞こえてもダメなんだ。



「またバイトか? 健介?」


 小学校からの友達、友哉ともやが声をかけてきた、友哉は入院先の病院まで来てくれた本当の友達だ。


「ああ、俺はアリとキリギリスのアリの方なんだ」


「大丈夫か? 顔色悪いぞ」


「まあ、金が無いと選択肢が減るしな……」


「そうかもしれんけど、健康あっての人生だぞ、ちゃんと休みも取れよ」


「ああ、そうだな……」


 結局のところ俺は大事な友達の言葉を無視して倒れた、高校帰りのバイトと大学入試の勉強で睡眠不足が祟ったらしい……。



 寝るのって大切だよね(笑)……



◇◆◇◆



 闇の声が聞こえる。



『健康の事考えなきゃ』


『金より命が大切だ!』


『バイトと勉強で倒れるって本末転倒(笑)』


『回りの声聞けよ!』



 奏多の声がない、春花の声も……



「次は何処まで戻すニャ?」


 俺は何時からこの黒猫とこのチェスを……人生を選択するゲームを指して居るんだろう?


 俺は何をしてるんだ?


 俺にとって大切ってなんだ?


 仕事からの帰ってくるとパタパタと走ってくる小さい春花、俺が仕事柄夜遅くなるからと先に春花を保育園に迎えに行ってくれて、ご飯まで作ってくれていた奏多。



「2人の顔が見たいな……」



 黒猫が俺の選択を興味津々に覗き込む。



「春花が産まれたあとだ」


「ニャンと?」


「春花も奏多もいない人生に意味なんて無いんだ!」


「でもそれだとまた病気になるニャ?」


「良いんだ、俺の人生の選択は間違って無い」


「煙草で肺が真っ黒でもかニャ?」


「煙草は後悔しかないけど春花が産まれない可能性は全て排除の方向だ、論外だ、話にならない!」


「本当にそこからで良いのかニャ?」


「くどい! 病気とは闘う! 諦めない! 春花と奏多がいれば頑張れる!!」


「まあまた気が変わったらやり直しすれば良いのニャ♪」


『自暴自棄か?』


『命を無駄にしてるんだ』


『病気で苦しめばいい』


『こっちの言うことを聞けよ!』



 黙れ外野!!



◇◆◇◆



「ねえ見て、健介君可愛いでしょ❤️」


「なんかサルみたいだな、赤ちゃんって」


「ひどい! こんなに可愛いのに!!」


「いや、ごめん! ほら、あれだよあれ、サルって可愛いじゃん……」


 病院のベッドで奏多が春花を抱いていた、春花は小さなあくびをしてかすかに微笑ほほえむ。



「パパ2人の為なら頑張っちゃうぜ!」


「何言ってるの健介君、恥ずかしいな……」



 ここがスタートラインだ、俺の肺はもうすぐ病に落ちるが2人がいれば頑張れる、いや2人が居なければ頑張れないんだ。



「やれること全部やってなにがなんでも少しでも長く生きてやる!」



 俺の選択が間違って無いって教えてやるぜ黒猫!



◇◆◇◆



「精密検査をしましょう」


 俺は春花の誕生を確認すると健康診断へと向かった「精密検査をしましょう」は既に病気がそこにあると言う事を意味していた。


「ツイてる」


 まだ末期ではない筈だ……


 俺は意外と素直にそう思えた、闘う余地がある筈だと思ったのだ。



◇◆◇◆



「戻すかニャ?」


「まさかだよ黒猫」


 俺は暗闇のなか1つの扉を開ける、まだそこには病気と向き合い闘うと言う選択肢が残っていたからだ。


『つらいですよ』


「知ってる!」


『苦しいですよ』


「でもやる!」


『必死ですか?』


「必死だよ!」


『なぜそんなに頑張るんですか?』


「…………愛、じゃダメか?」



 俺はそう言って扉を閉めた。



 黒猫は楽しいチェスの時間が終わってしまうと悲しい顔を俺に見せた。



「ありがとな黒猫」

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