花束を君に

Levi

第1話 菊雄とハナ

 時は明治の終わりか大正の初め。


 江戸時代より花き産業が急速に発展し、私の生まれた家は明治に入ると切り花に力を入れる大きな花問屋であった。


 毎日たくさんの花を育て、花売りにそれを渡し、私たちが指定する場所を回って売り歩いてもらうのだ。故にこの付近で私の家は一番大きな花畑を所有していた。


 男子たるもの、がまだまかり通っていた時代だったが父も母も穏やかで優しく、その性質を受け継いだ私は時代にそぐわない気弱な少年であった。


「男のクセにいつも花ばかりいじって」


 と多少からかわれもしたが、家の花畑は私の宝物でありそんなからかいは気にも留めなかった。とは言え言い返すことなど出来ない私はただ困ったように笑うだけであったが。


 そんな少年時代を過ごし青年へと成長した頃、そろそろ嫁をめとらねば……という話が出てきた。そうは言っても青年となっても私は気弱なままで、同世代の女性とは上手く話すことが出来なかったのだ。両親も私のことを分かってくれていたので「見合いをしても上手くいかないだろう……」と諦め気味であった。


 ある日、新しい花売りの女がうちで働き始めた。その女性は私と同じ歳のようで、幸薄そうな、もの静かでそれでいて凛とした、まるで月下美人のような女性であった。


 最初の頃こそどぎまぎとしてしまったが、毎日同じような業務連絡だけは数をこなしたおかげか難なく話せた。そのうちその女性がハナという名前だと知る。ただそれ以上のことは気弱な自分には聞くことが出来なかった。


 ハナさんが働き始めてしばらく経った頃、いつもと様子の違う彼女に気が付きドキドキとしながら初めて業務連絡以外のことを話した。


「……ハナさん、どうしましたか?」


 緊張しつつも彼女に話しかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。そしてハナさんはこれまで口に出したことのないことを言った。


「……若旦那様……三日ほど、暇を頂戴したいのです……」


 ポツリポツリと言葉を選びながらようやく聞こえるようなか細い声でハナさんは話した。休みたい等と言ったことのなかった彼女に驚きつつも、理由も聞けない私は「分かった」としか言えなかった。そんな自分を腹立たしく思うが何も出来ずに落胆する。


 そして彼女は売り物の花束を抱え、フラフラと町へと歩き出した。その後ろ姿は朝を迎える月下美人のようで今にもしおれそうで儚いものだった。私はただただハナさんの後ろ姿を見つめるだけだった。


 彼女はこのまま消えてしまうんじゃないかと不安に思っていたが、三日経つとハナさんは約束通り花売りの仕事に戻ってきた。だが顔色は悪く、目は虚ろで、何かがあったのは明らかだった。それでも気弱な私は声をかけることが出来なかった。その時、今度は彼女から業務連絡以外のことを話かけられた。


「……売れ残った花を、一輪だけ買いたいのです……賃金より差し引いて頂きたいのですが……」


 私はまた分かったとしか言えず、勇気を出して理由を聞くことも出来ずに倒れそうなその背中をただ情けなく見送った。


 毎日続く一輪だけの花の買い取りが気になるも本人にはもちろん聞けず、何となく母に聞いてみようと思い至った。


「お母さん。ハナさんは何故一輪だけ花を買うのだろうね……?」


「知らなかったのかい?ハナさんは御母君を亡くされたのだよ。御父君も御病気でね……ハナさんがほとんど寝ずに働いているんだよ」


 衝撃だった。気弱な性格のせいで、ハナさんがそんな大変な思いをしていることに全く気付けなかった。そして情けない自分に本気で腹を立てていることに気付き、ようやく自分がハナさんに惹かれていたことを自覚した。


「……お母さん……」


「ふふ……良いと思いますよ」


 母は全部を言わなくても分かってくれたようだ。父には自分から言っておくと言ってくれた。それもまた情けない話ではあるが。


 そして気弱な自分に喝を入れ、次の日からハナさんに勇気を出して話しかけた。緊張から一気に話すことは出来ないので、毎日少しずつ、まるで亀の歩みのように交流を深めた。


 ハナさんの御母君の四十九日もとうに過ぎた頃、ようやく決心がついた私はハナさんが一輪の花を手にして帰ったあと畑へと急いだ。咲き始めの花をたくさん切り集め、二つの花束にする。


 そして以前ハナさんから聞いた御母君の墓へと急いで向かう。大きな花束を二つも抱えて走る私は傍から見れば変わり者であっただろう。そんなことも気にせず墓所へと着いた。墓地内を少し探すとすぐにハナさんは見つかった。ハナさんは真新しい小さな墓に手を合わせていた。


「ハナさん……!」


 声をかけると驚いて振り向くハナさん。


「若旦那様?どうしてこのような場所に?」


 立ち上がり、驚きつつも私の手元を見ているようだ。


「ハナさんの御母君にです」


 墓石の左側に頼りなく飾られた一輪の花。そこに一つの花束を、右側にもう一つの花束を飾る。小さな墓だった為、花束は墓よりもかなり目立ってしまった。そして私はしゃがみ墓前で手を合わせる。


「仏花は奇数とされています。ハナさんが買った花と私が持って来た花を合わせて、ここに九十九本の花を用意しました。御母様、どうか花のことしか頭に無いこの私に、ハナさんというこの世で一番美しい花を頂けないでしょうか?」



 ────



「爺ちゃん、婆ちゃんに墓場でプロポーズしたって本当!?」


 新聞を読んでいると年頃の孫娘にいきなり聞かれ、私はあの日のことを思い出しモゴモゴと口ごもる。


「本当よね菊雄さん?でもね、婆ちゃんはとても嬉しかったのよ」


 ハナさんの美しさは色褪せることなく、私の隣で今も大輪の花のように咲き誇っている。


「でもね、その後がまた大変でね」


 ふふふ、と笑うハナさんと、なになにーと聞く孫娘。私は居心地が悪くそわそわとしてしまう。


 墓場でプロポーズをした私はその足で病床の御父君の所へ行き結婚の承諾を得た。そして家にハナさんを連れて行き、ことの次第を話すと両親に大目玉をくらった。


 やれ墓場で求婚をする奴がおるかだの、浪漫の欠片もないだの、御母君に花束を贈って当のハナさんに渡さないとは何を考えているだの、ご病気の御父君をそのまま放って来たのかと……ごもっとも過ぎて何も言い返せずにいた。そんな私を見てハナさんは笑いが止まらなくなってしまった。嬉しいのか可笑しいのか……そんなハナさんを見て私も笑いが止まらなくなった。


 御父君の病気が治るのと同時に私たちは祝言をあげた。祝言では私たちの出会いのきっかけとなった我が家自慢の花をふんだんに使った。


 そして毎年の結婚記念日とハナさんの誕生日には百本の花束を贈っている。


「婆ちゃん、毎年毎年、毎回毎回花束もらって嬉しい?」


 孫娘は私が気にしていることをハナさんに聞く。未だ気弱な私は素知らぬ顔をして聞き耳を立てる。


「当たり前じゃない!菊雄さんが一生懸命育てて、婆ちゃんのことを考えて選んでくれる花よ?とても嬉しいに決まってるでしょう」


 その答えを聞いてほっとする。


 月下美人のように儚げだったハナさんは、今はお日様のような笑顔を振りまきまるで向日葵のようだ。


 今年の結婚記念日には、そんな思いを込めて百本の向日葵を贈ろうか、そんなことを思っているとハナさんが口を開く。


「菊雄さん、お互い百歳まで元気でいましょうね」


 その言葉を聞き、この人のために死ねる、ではなく死ねないなと心底思った。この先もハナさんが楽しみにしている百本の花束を作り贈り続けようと密かに誓った。

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