第2話 霧中
その夜、私は家に帰ると、実家に電話を入れた。
「お母さん、私、英子さんに会って来たわよ」
「ありがとう。それで? 英子さんは元気だったの?」
「元気…、じゃないと思う」
「え??」
「いや、、お身体はね。お年のわりにはお元気でね、帰りも階段をシャキシャキと降りて下まで来て手をふって送ってくれたの。だけど、なんだか、話しが…」
「やっぱりね。秋田のおじさんが心配してね、オレは行けないから私に見てきてくれないかって言うのよ。なんでも、まだ薄暗い朝方に電話をかけてきて、もう随分前に亡くなった英子さんのお姉さんの旦那さんね、豊さんて言うんだけど、、その方は今どこにいるのかと聞いて来るんだって。貸してる物があるから返してもらいたいって、何度も電話が来るから、参ったって。豊さんだって、とっくの昔に、亡くなっているのに…」
「そうだったの…。 英子さんね、多分、完全にボケちゃってるわ」
「ぇ…、どうしてそう思ったの?」
「…。いろいろ。一言では言えない」
「えぇ〜・・・、」
「どうしよっか。多分、あの状態で一人暮らしはもう厳しいと思うけど」
「…。」
「とにかく、もう一度、行ってみるよ。早めに行って、1日の様子を見てみる」
「悪いわね。また教えて。もう姉妹の中でも英子さんしか残ってないし、英子さんも、結婚しなかったから…」
「ぇ? 英子さんって、結婚してなかったっけ?」
「そうよ」
「じゃあ、あの仏壇は…」
「仏壇があった?」
「そう。小さい仏壇があって、横に写真もあったわよ。私てっきりご主人がいたんだと思ったけど」
「ぇ〜、、、ホント? おばあちゃん、「英子姉さんは結婚しなかった」って言ってたから、そう思ってたけど、してたのかしら…。あらやだ。ちょっとそれ聞いて来て」
「うん、わかった。そしたらまた連絡するから」
電話を切った後で、思い返してみたら、そうだ。英子おばさんはいつもひとりだった。
私の結婚式にも一人で来ていたじゃない。
そうよね。
じゃああの人は…。
私は久しぶりに自分の結婚式の時の集合写真を出して来て見た。
もう15年も前になるのか。皆、若いな。
あの頃はコンプレックスだらけだったけど。今こうやって見ると、それなりに可愛かったじゃないの私。若いって素晴らしい…。
逆に、15年後か…。
息子がお嫁さんもらってたりして。
そして私もあっという間におばあちゃんだ。
3日後、私はまた英子さんに会いに行った。
朝、8時に電話を鳴らす。英子さんはすぐに出た。「朝早くにごめんなさい。起きていらっしゃいました?」「起きてるわよ。もう買い物にも行ってきたから」…コンビニかしら…。「朝ごはんは?」「食べましたよ」「今日、これから伺おうと思いますが、ご都合は?」「良いですよ」「では、9時半から10時ぐらいにうかがいます」
と電話を切り、すぐに出発した。
家から英子おばさんのところまではなんだかんだで1時間半はかかる。
今日は途中で食料や飲み物を買って行こう。
ビニール袋を下げて英子おばさんの家のチャイムを押すと、エプロンをした女の人が出てきた。「ぇっとぉ…」と言うと「あ、私は、ヘルパーです」と言う。そして部屋の奥にいる英子さんに「お客様ですよー」と声をかけた。「こんにちはー」と英子さんに近づくと「はい?ぁ、集金ね」と言う。
「違う違う、私よ。この間来たでしょう、カヨコの孫の純子です」
「あー、カヨコちゃんの? カヨコちゃんは元気?」
「…はい。」この間と一緒だ。朝の電話は覚えていない。
ヘルパーさんが買い物に行って戻って来た。
「英子さん、りんご。ここに置きますね、あさひさんのところに」そう言って、あの男性の写真の前に置いた。
「あの、あさひさんとは…」と私がつい言葉にすると、「あら、英子さん。あさひのさんってご主人じゃないんですか?」とヘルパーさんが英子さんを振り返った。
「ぇ? 私はね、結婚はしなかったの」
私とヘルパーさんが顔を合わせる。
私は恐る恐る「あさひさんというのは、苗字ですか? 下のお名前のほう?」と聞くと、
英子さんはすぐに「あだ名よ」と言った。
私は何故か不気味に思い戸惑ったが、ヘルパーさんが「英子さんっておもしろい。そういうところが英子さんらしいですね」と明るく笑って答えていた。
ヘルパーさんはちょうど時間になったと言って帰る挨拶をして玄関にむかう。私は後を追って声をかけた。
「すみません、私はあの、英子おばさんの妹の孫なんです。とても久しぶりに訪ねて随分変わってしまった事に驚いているんですが…」と申し出ると「私は、英子さんには身寄りがないと聞いていました。ヘルパーが関わっているのは週に2度の買い物と、もう1日、洗濯と掃除です。掃除と言っても、英子さんはお部屋の物を触られる事を極端に拒まれますので…。床を掃いて拭くだけですけど…。少し、難しい方ですよね。まあ、認知症だからかもしれませんけど」と話してくれた。
また、「ヘルパーが関わっているのはここ1年ぐらいなんですけどね。この1年で、どんどん老化が進んだような気がします。以前はできていた近所への外出もされなくなって、買い物はほとんどヘルパーが、、でも冷蔵庫を開けられないこともあって…ちゃんと食べられているんだか…、ちょうど、ケアマネさんもこれからは独り暮らしが厳しいかもねと言っていたところです」と続いた。
そしてケアマネさんの連絡先を教えてくれた。
思ったより深刻かもしれない。
脳内に霧がかかったような英子さんの記憶を紐解く事ができるのだろうか…。
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