第5話 隣で星空を見上げて

 淡く青い光の植物たち。中空を無数に舞う光の粒。

 合成鬼竜から聞いた、月影の森に似た雰囲気というのを、フィーネもその地に降り立って実感する。

 心がふわりと軽くなるような、懐かしさを覚えるような、そんな感覚。


「なんだか 最近よく会うね。 アルドくん。」


 景色に見惚れて本来の目的を失念しかけていたフィーネは、不意に聞こえた女性の声に耳を傾ける。

 声のした方へ慎重な歩みで近寄りながら、フィーネの胸中に今更な疑問が降って湧く。


(いろんな時代と場所を移動してきたけど どうして会うのは 女の人ばかりなんだろう……?)


 毎度、アルドがフラッと立ち寄った場所に女性が声をかけてくる。

 偶然といえば偶然だろうが、何かしらの意図があるようにも思えてしまう。

 だが、明確な答えなど出るはずもないので、疑問は疑問のまま一旦置いて青白く発光する人並みに大きい茸の陰からアルドたちの様子を窺うことにする。

 アルドに声をかけたのは、ふわりとした長い金色の髪と旅慣れていそうな服装と夜空の星々を映したような剣を持つ、大人びた雰囲気の女性だった。


「シェイネ……。 本当によく会うな。」


 大人な雰囲気の女性はシェイネという名らしい。


「また 何か 考え事? お姉さんがまた聞いてあげようか?」

「ん…… いや 今日は違うんだ。」

「そうなの?」

「ああ。 ……なんていうのかな。 本当は 家でゆっくり休もうと思ってたんだけど どうにも落ち着かないっていうか うまく気持ちが切り替えられないっていうか。」

「……なるほど。 目的のために旅してる自分と 家族の前でいつも通り過ごす自分で 頭の中 ごちゃごちゃになってるんだ。」


 アルドがうまく言葉にできない気持ちをシェイネが代弁する。

 戦いに次ぐ戦い。異なる3つの時代を股に掛けた大冒険。

 元々の警備隊としての仕事とは比べ物にならない重責を負いつつも必死に前へと進むアルドの背を、フィーネも幾度となく見てはいた。

 だからこそ、心休まる場所としてバルオキーでゆっくり休息をとってほしいと思っていたのだが、『いつも通り』を忘れてしまうほど苛烈な旅に身を投じていることにシェイネの言葉で気付かされる。


(お兄ちゃん……。 だから 気分転換で いろんな時代を巡ってたんだ……)


 ひとたび気付いてしまえば、今日一日で自分がしてきたことは身勝手なものだったのではという思いに苛まれる。


(わたしじゃ お兄ちゃんの力になれないのかな……)


 シェイネの近くで自然な表情を見せるアルド。

 フィーネはその光景を遠目から見て、肩を落とす。


「それなら 思い切って 新しい自分を作ってみるっていうのは どうかな?」

「え?」

「今 アルドくんが 悩んでるのって 気持ちの切り替え方でしょ?」

「ああ。 そんな感じだ。」

「私が思うに どっちかしかないから 悩んじゃうのかなって。」

「そう…… なのかな。」

「だから どっちでもない 新しいアルドくんになれば いいんじゃない?」

「新しい オレか……」


 アルドは腕を組んで、シェイネの案を考慮する。


(新しい お兄ちゃんか……)


 フィーネもフィーネで、兄のためにと考えを巡らせる。




 アルドは、家族の前にいる自分と仲間の前にいる自分の狭間で揺れている。

 フィーネや村長の前で笑っていても、心はどこか落ち着かず頭は違うことを考えてしまっている。


『お姉さんが 新しいアルドくん探し 手伝ってあげる。』


 そんなアルドにシェイネは寄り添ってくれる。


『旅をしてる時のアルドくんは よく知ってるから お家のこと聞かせて。 家族のこととか 故郷でどんなことしてたか とか。』

『そうだな……。 爺ちゃんはバルオキーの村長で 村の人たちによく頼られてたのを小さい頃から見てきたから オレもいつかそんな風になりたくて警備隊に入ったんだ。』

『へぇ アルドくんの頼りがいのある感じって そのお爺さん譲りなんだね。』

『そうかもな……。 妹のフィーネは 料理が得意で 家のことは大抵任せてるけど たまに 警備隊の仕事を見に付いてきたり 年相応の子供っぽいところもあるんだよな。』

『妹さん アルドくんのこと 大好きなんだね。』


 目を瞑って家族との思い出を語っていくアルド。

 シェイネもそれに相槌を打ちながら幸せな風景を想像して小さく微笑む。が、同時にアルドの抱える悩みの根幹が見えた気がして、それを指摘する。


『もしかして それなんじゃないかな?』

『それって?』

『お爺さんは村の人に頼られることが多くて 妹さんもアルドくんを頼りにしてる。 だから アルドくんは頼れる先がないんじゃないかなって。』

『オレの 頼れる先 か…… 今まで考えたことなかったな。』


 盲点だったと言うようにアルドは小さく笑って見せる。だが、どこかぎこちなくて弱弱しいもののようにシェイネの目には映った。


『アルドくんは 誰かに甘えたいんじゃない?』

『……甘えたい?』

『お姉さんでよければ 目いっぱい 甘えてくれていいよ。』

『いやいや それは何か違くないか?』


 シェイネの誘いに、流石のアルドも苦笑しながら首を横に振る。


『そう? 頼りになる兄でいたい。 村を守る強い自分でいたい。 無意識にそう考えちゃってない?』

『それはそうかもしれないけど 甘えたいって 結論はおかしくないか?』

『じゃあ アルドくんは普段 誰かに甘えられてる?』

『そりゃあ 甘えたりする歳でもないし……』


 猫キロスとしてクロノス博士の下で飼われていた頃なら、甘えるような声で鳴いて擦り寄ったりしたかもしれないが、アルドとしてそれをやろうと思ったらどうしたって恥ずかしさが勝る。おそらく圧勝だろう。

 それを考えると、アルドはどうしても人に甘えられる気がしない。


『じゃあ やってみよう!』


 しかし、シェイネは甘えることを強く推す。


『新しい自分のため 気持ちをリセットするためにさ。 時には甘えることも必要だよ。』

『……そうかなぁ?』


 懐疑的なアルドを気に留める様子もなく、シェイネは髪を整える仕草と共に咳払いを一つして仕切り直しとばかりにアルドを真っ直ぐ見つめる。


『じゃあ まずは 私のことを「お姉ちゃん」って呼ぶところから 始めようか。』

『お姉……ちゃん!?』

『そうそう。 次はもっと自然な感じで。』

『呼べるわけないだろ! 恥ずかしいって!』


 ブンブンと音が鳴りそうなほど顔を横に振って拒否するアルド。


『もう! アルドくん! この程度で日和ってちゃ ずっと悩みっぱなしだよ? 誰に見られてるわけでもないんだから 存分に甘える練習しなきゃ!』

『わ わかったよ。 頑張ってみる。』


 こうして、アルドの甘える特訓が始まる。


『アルドくんは 今から私の弟として 甘える。 最初は難しいかもしれないけど いつものフィーネちゃんの気持ちを考えながらやってみて。』

『……わかった。』


 いつものフィーネ。

 警備隊の仕事を見学したいと言ってきた時のことを思い返す。


『お お姉ちゃん。』


 自分でもぎこちなさを感じる言い方に顔が引き攣りそうになる。


『なあに? アルドくん。』


 シェイネはというと、姉という役割に徹しており、優し気な微笑みをアルドに向け次の言葉を待ってくれている。

 自分のためにそうしてくれているシェイネに、アルドも自然と弟として振る舞えるように気を引き締める。


『隣に行ってもいいかな? お姉ちゃん。』

『うん いいよ。 おいで。』


 許可を得て、アルドはシェイネとの距離を詰める。

 躊躇してしまいそうな心を押し殺しながら、互いの呼吸が聞こえてしまいそうな距離まで近付く。

 顔を見ることはできない。かといって視線を落とすと、女性的な曲線を描く胸が視界に入ってしまい、思わず体ごと顔を逸らしてしまう。


『どうしたの?』

『な なんでもない。』

『嘘ばっかり。 さてはアルドくん お姉ちゃんにお願いがあるんでしょ?』

『お願い!?』


 恥ずかしさで顔から火が出そうなアルドを他所に、シェイネは甘える口実を与えるため会話の流れを途切れさせないようにしている。


『お姉ちゃんに 言ってごらん。』

『えっと……』

『あ! もしかして 膝枕? 小さい頃から 遊んだ後はいっつも お姉ちゃんの膝の上で寝てたもんね。』

『は!? いやいやいやいや……』


 捏造される幼少期のエピソードに思わず素の声が出てしまう。

 その反応にどうやらシェイネの方も集中を切らしてしまったらしい。


『あっ しまった……』

『もう! ……もうちょっと アルドくんのお姉ちゃんでいたかったな。』

『頑張るって言ったのに 悪い。』

『いいよ。 アルドくんなりに 頑張ってるのはわかったから。』


 シェイネの言葉に励まされ、アルドは少しだけ気持ちが軽くなる。


『弟は無理だけど もう少しだけシェイネと一緒にいてもいいかな?』

『……うん。 私ももう少し アルドくんと一緒にいたいかも。』




(う~ん さすがにそんなことありえないよね。 解決してないし。 いろんな小説を読んだせいで 私の頭の中も ごちゃごちゃになってるのかも?)


 荒唐無稽な妄想から抜け出して、再びアルドとシェイネの会話に耳を傾ける。


「例えば…… 目を閉じて 息を大きく吸って 空を見上げてみる とかさ。」

「……空?」


 シェイネの言葉にアルドの視線は自然と上を向く。

 舞い踊る青白い光の粒子の向こうには、視界いっぱいの星空が広がっていた。


「……綺麗だな。」


 アルドは思わず感嘆の声を漏らした。


「うん。 綺麗だよね。」


 シェイネもそれに同意する。

 目まぐるしく時空を超えて戦いを続けてきたのが嘘のように、ゆっくりと流れる時間がその場を包む。


「綺麗なものってさ 心をからっぽにしてくれると思うんだ。」

「心を…… からっぽに?」

「うん。 私も 旅をして長いから 心が疲れちゃう時ってあるんだ。」


 時の流れに逆らわず、ゆっくりと空を見上げたまま語り始めるシェイネ。


「そういう時って どうしても前を向けなかったり 気持ちとおんなじで下向いちゃったりするでしょ?」

「うん。 そうだな。」

「でも 綺麗なものとか おいしいものとか…… 感動した時って 全部 溶けて消えていくんだよね。 自分の 心の奥の方に。」

「……そうかもな。」

「だから 無理して 目を逸らしたり 忘れようって頑張る必要ないと思う。」

「……」

「こうやって空を見て からっぽの 真っ新まっさらなアルドくんで お家に帰ってあげたら 家族の人たちも きっと喜んでくれると お姉さんは思うな。」

「うん。 そうだよな!」


 シェイネの言葉のひとつひとつで、憑き物が落ちたように表情が明るく柔らかくなるアルド。

 その様子を離れた場所から窺うフィーネも感動して瞳を潤ませる。


(よかった……。 お兄ちゃんがいつもみたいに笑ってくれて。)


 フィーネは安堵し、アルドより先に帰って出迎えようとシェイネたちに背を向けるよう身を翻す。

 そのまま立ち去ろうとしたフィーネは何かに激突してしまう。

 妄想に没頭していたせいで気付かなかったが、アルドたちの様子を窺っていたフィーネの背後には魔物が羽ばたきながら接近していた。


「え?」


 素っ頓狂な声が口から飛び出す。

 完全に抜け落ちていた警戒心。コリンダの原が魔物の出るエリアであることを失念していたことへの動揺でフィーネはパニックに陥る。

 魔物がフィーネを獲物として見据え、威嚇するように一鳴きするのを聞き、フィーネもたまらず悲鳴を上げる。


「キャー!!!」


 その悲鳴にいち早く反応するのは、近くにいたアルドとシェイネだ。


「悲鳴!?」

「アルドくん あそこ!」


 シェイネの指し示す方向。青白く発光している茸の傍でフィーネが魔物に襲われているのが目についた。

 危険を察知したアルドたちは放たれた矢の如く駆け出した。

 倒れたフィーネと魔物の間に滑り込み、剣を振るって魔物を引き剥がすアルド。


「フィーネがどうしてここに!?」

「アルドくん まずは魔物を!」


 アルドの攻撃に怒りを露わにする魔物は大きな鳴き声を上げて仲間を呼ぶ。


 3匹のヨルザヴェルグと戦闘。

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