第2話 ご主人様と呼ばれて

 港町リンデ。

 東方ガルレア大陸との交易の要所、玄関口でありながら、度重なる魔獣の襲撃で発展の機会を失してきたこの町も、魔獣王を退けたアルドたちの活躍で以前よりも活気を取り戻しつつあった。

 バルオキーを出てユニガンを通りセレナ海岸を抜けてリンデに入ったフィーネは、穏やかな波音と潮風を浴びながらどこまでも続く水平線を眺めているアルドの背をよ見つける。


「あ いた!」


 思ったよりも大きな声を出してしまったフィーネは慌ててその身を隠す。

 声を聞かれたり、姿を見られて尾行していることがアルドにバレたりしたら元も子もない。

 しかし、アルドの反応はなく波音しか耳に入っていないようで身じろぎ一つしない。周囲を気にしていないところを見ると、誰かと待ち合わせをしている、ということもなさそうだ。


(わたしの気にしすぎだったのかなぁ。)


 物陰からアルドを見つめるフィーネは少し残念そうに肩を落とす。

 すると、そこに。


「ご主人様~!」


 どこからともなく聞こえてきた天真爛漫な声に視線を上げると、薄紫の髪を二つに結び、鮮やかな黄色を基調とした東方の衣装に身を包んだ女性がアルドの元へ駆け寄ってきた。


「その呼び方 やっぱり慣れないな。」

「ご主人様は わたしのご主人様ですから この呼び方は そうそう変わりませんよ。」


 親しげに話す二人。

 聞きなれない言葉を耳にしてフィーネはまごつく。


「お お兄ちゃんが ご主人様!?」


 驚きと戸惑いで混乱しつつも、自分を落ち着かせようとフィーネは一呼吸おいて二人の関係性を整理しようと努める。


(確か この間 読んだ小説でも 貴族でもない男の人が ご主人様って呼ばれる お話があったかも…… お兄ちゃん もしかして……)


 フィーネは以前読んだ恋愛小説の内容を重ねながら思いふける。




『へっへっへっ 東方から密航してきたのがどんな奴かと思えば なかなかに上玉じゃねぇか。』


 屈強な船乗りが数人、リンデの港で薄紫の髪の女性を取り囲む。

 品定めするような視線を向けては邪な笑みを浮かべる男たちに、東方から密航したらしい薄紫髪の女性はこれからの自分の処遇を想像して恐怖に震える。


『ゆ 許してください! 故郷の弟を救うために どうしても中央大陸の薬が必要で……』

『んなこたぁ 知ったこっちゃねぇなぁ!』

『どんな理由があるにしろ密航は罪だ 罪は裁かなきゃならねぇ。』

『そういうこった。 恨むなら 密航なんて馬鹿なことをした自分を恨みな。 ハハハハハ。』


 船乗りたちは女性の恐怖を助長させるように厭らしい笑みを浮かべながらにじり寄る。


『待て!』


 そこに颯爽と現れたのは、腰に仰々しい大剣をいた一人の青年・アルドだった。


『誰だ兄ちゃん 冒険者か何かか?』


 アルドの静止にも屈強な船乗りたちは態度を変える様子はなく、船乗りのルールを知らない部外者とばかりにあしらおうとする。が、船乗りの一人が何かに気付いたようにアルドを指差す。


『アンタ まさか ミグランス城を襲撃した 魔獣王を退けたって 噂の英雄アルドか? 腰にいた大剣で逆らう奴は容赦なく斬り捨てるっていう……』

『う 嘘だろ? じゃあ魔獣に攫われた妹を救うために 少数の仲間と暗黒大陸に乗り込んで 魔獣城の魔獣を一匹残らず討伐したっていう あの……』

『まじかよ…… てことは あの腰の大剣は 抜いたが最後 その刀身を見て生き残った者はいないといわれる 魔剣オーガベイン!?』


 一人が発した噂を発端に、屈強な船乗りたちはアルドに対する見方を変え始める。

 ある者はガタガタと音が聞こえそうなほど恐怖に震え、ある者は目を合わせたら殺されるとばかりに視線を泳がせ、ある者は蛇に睨まれた蛙の如く身を強張こわばらせる。


『どんな噂が広まってるかは知らないが オレがアルドなのは間違いない。』

『『『ひ ひえ~ 殺さないでくれ~!』』』


 他ならぬ本人の名乗りを受けて、屈強な船乗りたちは蜘蛛の子を散らすように情けない悲鳴を上げて逃げ去った。

 アルドは船乗りたちに向けていた険しい表情を解くようにかぶりを振ると、呆気にとられた薄紫髪の女性の元へ寄り微笑みを向けながらひざまずく。


『大丈夫か?』


 優しい問いかけにどう答えていいものか迷って視線を彷徨わせる。

 密航者である自分を助けたアルドという青年の行動、船乗りたちが口にしていた噂の数々。何を信じ、何を疑えばいいのか整理がつかず薄紫髪の女性は答えを出せないまま不安げな表情でゆっくりと立ち上がる。

 アルドもそれに合わせるように立ち上がり尚も優し気に微笑む。

 

『あ ありがとうございました。』


 とりあえずお礼だけでも、と口にした感謝の言葉は女性の動揺と不安でどこかぎこちない形になってしまう。


『でも どうして?』

『弟を救うために はるばる東方から来たんだろう? 密航自体はいけないことだけど 家族を救けたいって気持ちは オレもわかるからさ。』

『さっきの船乗りが言っていた 攫われた妹を救うために魔獣の根城に攻め込んだ っていうのが?』

『ああ。 魔獣を一匹残らず っていうのは大袈裟だけどな。 ははは』


 噂を一蹴するように屈託ない笑顔を見せるアルドに、薄紫髪の女性もつい口元を綻ばせてしまう。


『……で だ。 オレに 君の弟を救ける手伝いをさせてくれないかな?』

『え?』


 アルドからの提案に虚を突かれたように目を丸くする女性。

 女性にとってミグレイナ大陸は異国であり未知の土地。宛てもなく一人で彷徨うよりも土地勘のある人間に案内を頼めればそれに越したことはない。しかし、自分は東方のガルレア大陸から密航してきて危険度を考慮すれば投獄されても文句は言えない身の上だ。

 そんな自分にどうして肩入れするのか、純粋に気になって口に出てしまう。


『密航者の わたしを どうして手伝おうとしてくれるんですか?』


 薄紫髪の女性からの当然の問いに、アルドは少しだけ考え込むように腕を組み眉をひそめながら答える。


『オレは どうも困ってる人を見過ごせない性分らしくてさ。 村の警備隊をやってるせいだと自分では思ってるんだけど 仲間からはお人好しだなんだ言われることが多くて……』


 そこで区切るようにアルドは再び優し気な笑みを見せて、言葉を続ける。


『だから 君のことも放っておけないっていうのが大きいかな。 弟を救けたいって気持ちにも 嘘はないだろうし』


 密航なんて手段を選んだ時点で、中央大陸の人々にまともな扱いはされないと思っていた。しかし、このアルドという青年は真っ直ぐに何のてらいもなく想いを理解してくれた。

 その姿勢に、薄紫髪の女性も感謝の気持ちを禁じ得ない。


『ありがとうございます!』

『まずは 密航のことを謝ろう。』

『そ そうですよね……』

『大丈夫。 オレも一緒に言葉を尽くすよ。』

『そんな…… そこまでしてもらうわけには』


 アルドの手厚すぎる申し出に感謝よりも遠慮が勝ってしまう薄紫髪の女性。


『遠慮しなくていいよ。 仲間の力になりたいんだ。 新しい仲間のさ。』


 表情を曇らせる女性に対して、アルドは歯を見せて明るく言い放った。

 仲間。

 その言葉に、薄紫髪の女性は少しだけ心が軽くなるのを感じた。

 頼りのない異国で弟を救うため独り、気を張り詰めて薬を探すつもりでいたが、アルドの底なしな優しさに、気持ちも涙腺も緩んでしまいそうになる。


『何から何まで ありがとう…… ございます。』


 まだぎこちない言葉遣いで頭を下げる女性。

 

『この国のことを誰より知ってる人に 心当たりがあるんだ。 そのお方に頼れば 目当ての薬も探しやすいと思う。』

『アルドさん……』

『さん付けなんて畏まった呼び方しなくていいよ。 噂じゃ大袈裟な尾ひれがついて 英雄なんて言われてるけど オレはただ 目の前の困ってる人を救けてるだけなんだからさ。』


 底抜けに優しく底抜けに明るく接してくれるアルドに対して、薄紫髪の女性はゆっくりと首を振る。


『いいえ! それじゃあ わたしの恩を返しきれませんから…… アルド様 いえ…… ご主人様! ご主人様と呼ばせてください!』

『わ わかった。 君が納得するなら どんな呼び方でも構わないよ。 その代わり 君の名前も教えてほしい。 いつまでも 君 じゃ恰好つかないからね。』


 アルドは薄紫髪の女性の勢いに押されつつも、これが仲間として歩んで行く第一歩ならと、ご主人様と呼ばれることを許容する。

 そんなアルドの気持ちとは裏腹に、薄紫髪の女性はアルドを仲間以上に慕い、いつの日か告げたい特別な感情をそっと胸に秘めながら名乗る。


『はい! わたしの名前は――』




(――そうして 二人はいつしか 主従を越えた関係に……)


 と、以前に読んだ恋愛小説に重ね合わせながら出逢いのシーンを夢想した所で、フィーネは現実に戻ってくる。


「どうです? 願いは決まりましたか ご主人様。」

「うーん 願いって言ってもなぁ。」

「海を見渡せる別荘 なんてどうです? 波音が心地よくて 癒されること間違いナシ ですよ!」


 眉根に皺を寄せながら悩むアルド。それとは対照的に笑顔で両手を上げながら元気よく案を提示する薄紫髪の女性。


「いや リンデまでそんなに遠くもないし 自分の家の方が落ち着くよ。」

「…… ホントご主人様ときたら無欲なくせに我儘ですね。 いろいろ案を出してるこっちの身にもなってほしいもんです。」

「ご ごめん。」


 ご主人様と呼んでこそいるが、薄紫髪の女性にアルドを敬う気は見受けられず、ともすれば主従関係が逆転しているようにさえ見えて、物陰からやり取りを見つめるフィーネは困惑する。


(…… 一体どういう関係なんだろう?)


 フィーネは改めて二人の会話に耳を傾ける。


「じゃあいっそ 故郷を王都のような大都市にしたい。 なんていうのはどうです? 商売の充実に 道路の整備。 大陸のどんな街より活気に溢れ 毎日お祭りのように賑やかで」

「活気が出るのは嬉しいけど オレは 長閑のどかなバルオキーの感じが好きだな。」

「……」

「緑が溢れて ヴァルヲやランジェロが元気に走り回って 村の人や警備隊のみんなと 他愛ない世間話で笑い合えるような そんなバルオキーの方が見慣れてるし」


 願いの一例を身振り手振りで想像しやすく挙げていた薄紫髪の女性の表情は次第に曇っていく。

 その様子にフィーネはすぐに気付いたが、アルドはバルオキーに元からある良さを語ることに夢中で気付かない。


「なんなんですか!」


 案の定、薄紫髪の女性の不満は爆発する。

 不満の蓄積に気付かないアルドは唐突な怒号にビクリと体を強張らせるが、一部始終を傍から見ていたフィーネはそうなるだろうといった風に嘆息する。


「ご主人様は願望否定製造機ですか! 欲望不要論者ですか! 故郷大好き人間ですか! わたしは ご主人様に意見を求められたから頭を捻りに捻って案を出してるのに! もうご主人様なんて知りません!!」


 強い語気でありったけの不満を吐き出した薄紫髪の女性は、呆気にとられるアルドを置いて離れていく。

 女性の姿が見えなくなってからようやくアルドは口を開く。


「オレ…… 何か怒らせるようなこと 言ったかな。」

(……お兄ちゃん。)


 見当もついていないアルドの鈍感さに、フィーネは心の中でちょっぴり落胆する。


「よくわからないけど 次に会った時 ちゃんと謝らないとな。」


 言いながらリンデの出口へと踵を返すと、道端の木の陰に隠れるようにして立っているフィーネと目が合う。


「あれ? フィーネ こんなところで何してるんだ?」

「え ええっと……」


 隠れて兄の動向を窺うはずがあっさりと見つかってしまい、フィーネは言い訳を探そうと周囲に視線を巡らせる。

 木、家、空、雲、海、船、魚。


「そ そう! 晩御飯用にリンデで新鮮なお魚を買おうと思って! お兄ちゃんも久々に帰ってきたし 美味しいもの作ってあげたくて。」

「そうか。 ありがとうな。 でも大丈夫か? セレナ海岸は 魔獣の目撃情報もあるし 家まで送ろうか?」

「ううん まだ買い物も途中だから……。 お兄ちゃんは? これからどこか行くの?」

「ああ。 エルジオンの方にも行ってみようと思うんだ。」

「そうなんだ。 楽しんできてね。」

「ん? ああ。 フィーネも 気を付けて帰るんだぞ。」


 フィーネの言動に違和感を覚えつつもアルドは注意を促してその場を後にする。

 アルドが去ったのを見送ると、フィーネは突拍子もない言い訳でどうにかこうにか尾行を誤魔化せたことに安堵の息を漏らす。


「……よし 気をとりなしてエルジオンに行こう!」

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