第 2 話 自白

 形容し難い者と呼ばれる存在が、この世にはいる。


 彼らは普段、人々の目に映らず、ただ佇むように世界の片隅に存在している。精霊や幽霊と並んで語られることもあり、実際彼らを見ることが出来る人間も限られている。


 形容し難いとされるのは、その在り方である。幽霊が生前の未練から、精霊がアニミズムに由来する信仰から存在を確立しているとすれば、彼らにはそれにあたるものがない。由来もなく忽然と現れ、時に誰の目に止まることなく消えて行く。その在り方は生き物と言うより、現象に近い。


 彼らを見ることが出来る者が言うには、その姿は靄や液体のような不定形で、形容に困る形態をしているとのことだ。多くの形容し難い者達は、その姿から想起されるように、不安定で、大した力も持たず、吹けば消えるような脆弱な命である。


 しかし、あることを経ると、彼らはその在り方を豹変させる。それが名付けだ。


 名もなき彼らは前述した通りの不安定な存在だが、人や既に名付けられた形容し難い者によって、名前を与えられると、新たな形を得る事が出来る。ある者は人型に、ある者は四つ足に。名前や名付け親との関係によって様々な形を手に入れ、一般の人間達の目にも映る存在へと変貌する。


 人間と見分けがつかない者もいれば、羽の生えた者もいる。そして、その大半は対話が可能な、平和的関係の構築に問題がない者達だ。


 だが、時に問題は起こる。人の営みを害す者、己の在り方を求めて他人から奪う者。そも、人間の道理の内にある存在ではないのだから、人間側の法律や倫理に全て当て嵌める方が無理があるのだ。


 その問題を解決、防犯する為に国はある組織を作った。それが特殊生体管理部である。内部は、特殊生体管理課、特殊生体捕縛課、特殊生体研究課の三つの課に分かれている。その内の特殊生体捕縛課、通称特補が、直接問題に対応する実働部隊である。


 特補に与えられた職場は、ビルの四階のワンフロアである。デスクワーク組も多く配置されており、現場に出る者は空席が多い。


 仕事上、オフィスよりも、捕縛した形容し難い者を入れる拘置所や、更生施設等に訪れる機会が多い。それらがあるのは冠水の町という、冷たく昏い御子と呼ばれる形容し難い者が作り出した、異空間に存在している町の中にある。一般的には異界にカテゴライズされる空間である。手間は掛かるが、行き来は自由で、ここのフロアにも行き来する為の扉が用意されている。


 今すぐ冠水の町に逃げたいと思いながら、遊直はかれこれ十分程ずっと防音設備が完備された会議室に座っていた


 これから遊直は怒られるのだ。事件に関わっているであろう子供を見失ったからだ。


 様子見としてアパートに向かっただけだったが、関係者が既に全員行方不明で無人になっていたので、逆に緊張感がなくなっていたのだろう。まさか、アパートに子供が残っているとも思わなかったし、その子がほんの僅かな間にいなくなるとも思わなかった。完全に遊直のミスである。


 昨日は電話越しに怒られただけで済んだが、今日出社すると、「会議室で待っていろ。9:30」と書かれた付箋が机の上に貼られていたのだ。


 遅刻だけはすまいと十分前から待機しているので、そろそろ半になる頃だろう。遊直は左手に着けた細身の腕時計を見ると、ゆうに半は超えていて、九時四十分になっていた。


 キチョウさんが遅刻とは珍しい、何かアクシデントでも発生しているのかと、遊直は思い、席を立った瞬間、会議室の扉がノックされ、中に入って来る。


「遅くなって悪かったな」


 背の高い男性だ。百八十センチある遊直でも、少し上を見上げる必要があるから、彼は百九十センチくらいあるのかもしれない。筋肉のつき方も、肉がつきづらく細身の遊直とは違い、バランスよく全身に筋肉がついており、重心を感じられる立ち姿だ。程良く盛り上がった筋肉にスーツがとてよく似合っていた。


「いえ、問題ありません」

「お前を呼び出したのは、昨日の失態についてなんだが、ちょいと話が変わってな。それについて話していたら、遅れてしまった」


 腹の底から響く低音である。一つの楽器としてオーケストラに出ていても違和感がないような、太く威厳のある声である。


「変わった話というのは」

「お前が見失った子供が見付かった。行方不明だった前田紬と共にいる所が新宿で発見されたんだ。夜だったのもあって、二人はそのまま警察で保護されている」

「見付かったのですね、良かった」

「ところがだ」


 鬼長きちょうの眉が顰められ、眉間が盛り上がる。太い指がそれをさする。何かに引っ掛かっている時の癖だ。


「前田紬が自白を始めたんだ。アパートの住人を殺したのは自分だとな」

「行方不明ではなく、殺人だったと?」

「奴さんの言い分を信じるならな。だが、どうにもおかしな話だ」

「死体がありません」

「そうだ、幾ら周りが人付き合いの悪い住人だとしても、全く足もつかせずに六人も殺して、その死体の処理も完璧にこなすなんざ無理だ。ましてや、あの子はまだ十六の娘だ。腕力的にも厳しい」

「協力者がいるとか。自白も、誰かを庇っている可能性も」

「今の所、そういった人物は浮かんでいないらしいが」

「しかし、警察で自白を始めたと言うなら、殺人事件として警察が捜査することになりますよね」


 どかっと席に座った鬼長が天井を見ながら、ゆらゆらと椅子を左右に揺らす。口からは大きな溜め息が漏れ出ている。


「キチョウさん、大丈夫ですか」

「あー面倒臭い。こんなあっちこっち担当管轄違いが起こると、事務処理が面倒で仕方ない。あーやだやだ」

「嗚呼なるほど。それで、小さい子は結局、何だったんですか?」

「労いの言葉とかないの?」

「いつもお疲れ様ですー」

「……よし。そんでなんだったか、あの子か。あの子はよく分からん!」


 椅子を揺らすのを止めて、鬼長は机に肘をついた。


 遊直は机に手をつく。


「分からないんですか?」

「前田紬は妹だと主張してるらしいが、戸籍上では一人っ子だ。今、刑事の皆さんが頑張ってらっしゃるが、どうも彼女の言ってる事に一貫性がないと言うか、詳細をはぐらかしていると言うか。直に、また担当がうちに戻りそうな気がするんだよな。気がするだけなんだが」

「キチョウさんの勘当たりますものね。それに、一度会っただけですが、私もあの小さい子供には不思議な感じがしていて、形容し難い者が関わってそうな予感がするのです」


 彼は額に手を当てて、鼻から長く息を吐いた後、やおら遊直を見る。


「まあ、そういうことだから。お説教はキャンセルだ。うちに回って来た時の為の準備しておいてくれ」

「分かりました」


 遊直が席を立つと、鬼長も席を立った。会議室の扉を開けると、丁度通り掛かった島春しまはるがダンボールの山を運んでいた。


「何を運んでいらっしゃるの? 手伝います」

「わわ、すいません。重いですよ」


 一番上に乗っていた箱を手に取ると、思っていたより重みがある。五キロぐらいあるだろうか。


 鬼長は、精が出るなと、ぼやっと一言残して、自分の机に戻って行ってしまった。島春は特に気にした様子もない。


「中身パンフレットらしいですよ。ほら、うちって新設だし、やってる事が普通の人には分かりづらいじゃないですか。だから、その為の案内ですって」

「そんなこともやってたのですね、うちの課。知りませんでした」

「まあ、まだ使う時じゃないとかで、オフィスに置いとくと邪魔だから物置にしまっておけと」

「それ、そのまま忘れて使わなくなる気がしますね」

「俺もそう思います、あっはは」


 可愛げのある顔付きに反して、割と豪快な笑い方をする。遊直は慎ましやかに振る舞うよりも、そちらの豪快な振る舞いの方に惹かれるタイプだった。自分の筋肉が少ないからだろうか。


「あはは、予算の無駄ですね」


 笑う時は、少しオーバーになるよう癖になっている。表情が見えない分、声に感情を込めようと思ってのことだ。


 遊直の顔は布によって隠されている。昔、形容し難い者に顔を奪われて以来、彼女は顔を失った。のっぺらぼうと呼ばれたその形容し難い者は、奪うだけでなく、面倒な呪いを残していった。


 顔のある者が、今の遊直の顔に当たる部分を直接見ると、見た者の顔が遊直へと移り、見た者は顔を失う。そして、また別の者が顔を失った者を見ると……延々と繰り返す奪い合いになる。その為、遊直は誰の顔も奪わないように、顔を隠して生きている。


 特補にはそういった、特殊なケースに当て嵌まる人物が多く、遊直のような人間にとってはとても心地よい職場だ。そもそも、採用の条件として、名付け前の彼らを見ることが出来るという項目がある。今までどこに活かせば良いか分からない力を使う為にと、形容し難い者にされた酷いことの復讐の為にと、動機は様々ではあるが、共通の能力かあると安心感がある。


 顔を隠す得体の知れない少女を怯えた目で見る大人達。しかし、ここではそれがない。それが、なんだか救われる気持ちになる。きっと、ここは天職なのだろうと遊直は思う。


 物置に着く。新しい部署なので、まだ物置には余裕がある。パンフレットは適当な場所にそのまま置いておく。


「手伝ってくださってありがとうございます」

「気になさらないで、きっとこれからアナタに何か頼み事をするだろうから」

「あっはは。楽しみにしておきますよ」


 島春はご機嫌な様子でオフィスへと戻って行った。遊直は物置の電気を消して、その背中を追った。






 後日、鬼長の想像通り、前田紬による殺人事件は特補へと担当が移った。


 周りをうろちょろする例の子供を捕らえようと、警官の一人が抱き上げようとしたらしいのだが、誰もその子に触れる事が出来なかったようだ。プロジェクトマッピングで映された物を触れようとしているようで、なんの感触もなかったと、その警官は言っていたと言う。そして、他の大勢は子供の姿自体が見えなかったと言った。


 この時点で、特補送りの案件であると決定したらしい。


 唯一、前田紬のみがその子に触れられる。


 今も彼女の膝の上に、その子は座っている。


 特補のオフィス内にある、比較的小さめの会議室に、遊直と前田紬、謎の子供の三人がいた。前田紬は着替えさせられたのか、シャツにデニムパンツであった。小さい子供も以前と違うワンピースだ。


「こんにちは。私は特殊生体捕縛課の遊直と申します。アナタの担当になります。宜しくお願いします」

「はあ」

「早速ですが、その子に名前はありますか」


 問いかけると、紬はじっと怪訝そうに睨みつけて来た。顔を布で隠す人物が現れれば、警戒もしよう。


「あなた、この子が見えるの?」

「ここに所属している人間は大体見れますよ」

「ふうん」

「ねーねーってアナタのことですか?」

「そうだよ」


 遊直の問いに、子供が答えた。すると、紬が慌てて子供の口を塞いで、小さな声で話しかける。


「勝手に答えないで。全部あたしが答えるから」

「ねーねー、こわい?」

「怖くないよ。大丈夫だよ。みーちゃん、ちょっと静かに出来るかな」

「うん」


 そう言って、小さい子供は席から降りて、辺りを歩き始めた。特に尖った物などはないが、配線などを弄られると困るから、そこだけ注意しておこう。


 顔の向きを彼女に向ける。


「仲、よろしいんですね」

「だから何よ」

「羨ましいなと思ったのです。私には姉妹も兄弟もいませんから」

「でも、お母さんはいたでしょう」

「いませんでした。父はいましたが、父というより師匠と呼んだ事が多かったですね。剣道の師範代をしていましたから」

「ふうん、そう」


 何かを考え込むような、ふんわりとした受け答えだ。ここに切り込む前に、幾つか前提を統一させておかなければならない。


「マエダツムギさん、アナタは誰を殺したんですか?」

「……アパートの人達よ、全員」

「それはあの子がしたものではありませんね?」

「違うわ!」


 急に大きな声を出されたからか、子供が驚いたような顔をした。


「違う、みーちゃんは何も悪くない。殺したのは私だから。何回言わせるの?」

「ねーね、ねーね、こわい? たまる?」

「怖くないよ、大丈夫。びっくりさせてごめんね」

「その子がアナタの前に現れたのはいつ頃ですか?」

「それを知ってどうなるの」

「確認作業です。私は行方不明者を見つけたいんです」


 事前情報では、声の小さな大人しい人物と言われていたが、今は大きな声も出しているし、子供の方に話が移ろうとすると、警戒心を見せる。


 今も、子供を自分の後ろに回して、遊直という敵と戦っているかのようだ。その様は、母親と子供のようでもあった。


「彼らはみんな死んだわ。私が殺した。浴室でバラバラにした! それだけでしょう? それだけなのに、何故この子を矢面に立たせようとするの?」

「アナタの発言への信用がないからです」

「信用?」

「浴室に死体はありません。アナタが使ったという鋸もありません。警察が調べましたが、血の痕跡など一つもなかったそうですよ」

「そんなの、おかしい。だって、私はちゃんと殺したわ! 手に感触が残ってる。音が耳の中に残ってる」


 紬は頭を抱え始める。どこか息苦しそうだ。


「嗚呼、でも、私がおかしいの。お父さんも私はおかしい子だと言って……音が、音が多くて、頭がパンクしそう」

「落ち着いてください、大丈夫です。大丈夫ですから」


 何が大丈夫なのだろうと自分でも思いながら、彼女の背をさする。口元に手をあてる紬の姿に、遊直は取り調べを中止し、彼女を別室に移そうと思った。本当に体調が悪いのか、彼女は素直に誘導に従ってくれた。


 後ろからてけてけと、みーちゃんと呼ばれる子供がついて来る。


「こわい? たまる?」

「大丈夫だよ、ちょっとお休みするだけだから」


 医務室という名の仮眠室である。二台置かれたベッドの内一つに彼女を横たわらせる。


「他に異変はありませんか」

「ありません。横になって休んでいたら、きっと戻ります」

「分かりました。暫く休んでいてください」

「みーちゃん、ここにおいで」

「あの子はこちらで相手しておきますから、今は休んでください」

「あの子は私の側にいないと駄目なの」


 ベッドの上から紬が手を伸ばすと、みーちゃんがその手を掴んだ。掴まれた紬は嬉しそうに微笑んだ。


 遊直も、無理矢理引き剥がす必要はなかろうと考え、ベッドの側にある机に洗面器、近くの自販機で買った水を置いて、一時間後に様子を見にくると伝えて、部屋から出た。仮眠室はフロアの奥側にあり、オフィスの中を通らなくてはならないから、こないだのように見失うこともないだろう。


 話術に元々自信はなかった。それにしても、得た物は少ない。


 ねーねーは前田紬であること。前田紬は何かを庇って無茶な証言をしていること。恐らくみーちゃんを庇っていること。このくらいだろうか。


 二人別々に話を聞く必要がある。このままでは、全然話が進まない。しかし、今回の話で警戒心を抱かせてしまっただろう。


 遊直は長く息を吐き出した。




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