・よく晴れた日の草原は、思い切り寝転びたくもなるものだ
その日は晴れだった。そっと視線を上げれば、一面空色のキャンバス。そしてそこには、直接綿を張り付けたようなふわふわの雲が、ふんわりと柔らかく浮かんでいた。ふと視線を南に向けると、眩しいけれど暑くはない丁度良い心地さを感じさせる日の光が、世界を優しく照らしている。紛れもなく心地の良い日だ。
「こんな日は歩くのを止めて、ゆっくりと芝生にでも寝転びたいものだね、少年」
「だから今言う前から寝転んでるんですね。芝生じゃなくて草原ですけど」
みずみずしい緑がこれまた一面に広がる草原に、少女と少年はいた。少女は既に身を草原に委ねており、気持ち良さそうに大きなのびをしている。対称的に少年は少し困ったような顔で、寝転がっている少女の隣に腰を下ろしていた。
「キミもこうして寝転ぶといい。日頃のストレスなんか一瞬で忘れ去ってしまうよ」
「日頃ストレスたまることってそこまでありましたっけ?」
少年が首を傾げながら問いかけた。それに対して、少女はやれやれと呆れたような顔と仕草で答える。
「下らない人間社会に紛れ込んで生活しているじゃないか。たまには息抜きでもしないとおかしくなってしまうよ」
「そんな風に思ってたんですね……」
少女の当然だと言わんばかりの回答に、少年はため息をつくしかなかった。そのまま少女を見やり、再び口を開く。
「こういう日はいつもより歩きやすいんですから、少しでも距離を稼ぐチャンスなんじゃないんですか?」
「何を馬鹿なことを」
少女は少年を驚くような目で見つめた。
「こんなにいい日に休みもせず歩けだって?何を言うかと思えば。こんな天気のいい心地よい日に昼寝しなくてどうするんだい!全く、キミの頭はカチコチのミスリルででも出来てるのかい!?」
「なんで俺こんな怒られてるんですか……」
ぷりぷりと頬を膨らませて怒りを露にする少女に、少年はすっかり癖になってしまったため息をもらした。
「むぅ……」
しかしその態度は、少女の気にくわなかったようだ。
「つべこべ言わずにやってみたまえよ!文句も反論も、そのあとからなら受け付けようじゃないか!」
「えっ、な、なにする気ですか!?」
起き上がる少女に、嫌な予感を感じた少年が座ったまま後ずさる。しかし少女の勢いは、その程度で逃れられるものではなかった。
「とーにーかーくー!覚悟したまえ!」
そう言った少女は、少年がなにか言おうとするその前に、即座に行動を起こした。驚き慌てる少年をよそに容赦なく飛びかかり、そのまま柔らかいみどりの大地へ少年を押し倒したのだ。二人の倒れこんだ勢いで千切れた草の葉が、そよ風にあおられて静かに舞った。
「……」「……」
少しの間、二人の時が止まったように感じられた。みどりのベッドの上で呆然と倒れ込む二人の間を、優しく風が吹いていくだけだった。日の光がただ静かに、二人を照らしていた。
先にその沈黙を破ったのは少女の方だった。少年の上にのし掛かったままだった自分の体を浮かせ、いたずらっ子のような笑みを浮かべながら少年に問いかける。
「どうだい、最高の自然のベッドは。少しは私の言っていたことがわかったかい?」
「……色々と言いたいことは山のようにありますが、ひとつだけ」
少年はそこで一度区切ると、目をそっとつむり、大きく息を吸い込んだ。そしてゆっくり吐き出すと、目を開き、笑みを浮かべる少女を視界の真ん中にとらえて言った。
「すごく、いいベッドです。よくわかりました」
少年はそういうと、思いっきりのびをした。体に擦れて発される草の匂いが、そっと少年の鼻腔をくすぐった。
「そうだろうそうだろう。やっと私の言うことを理解してくれたかこのミスリル頭め」
「……なんですかその石頭の上位互換的ななにかは」
満足げに頷く少女に、少年が思わずジト目を向ける。その視線に気づいているのか気づいていないのか、さらりと流した少女は再び草原の上に身を預けた。そしてさも当然のように少年に言う。
「さて、それでは私はこのまま一眠りするよ。適当に頃合いになったら起こしてくれたまえ」
「いつも通りですね……」
一転いつも通りの呆れた表情に戻る少年。それを横目で見た少女が小さく笑う。
「そう言うなよ少年。これはキミに配慮した結果でもあるのだからね」
「……?それはどういう……?」
疑問を浮かべる少年に、今度こそ完全に目をつむった少女が、そっと呟くように答えた。
「前までいた所じゃ、こんな経験一切ないだろう?キミの気が済むまで、ゆっくり堪能するといい」
「……!まさか、そのために?」
驚き目を見開く少年を尻目に、少女は意識を完全に睡魔に譲り渡した。聞こえてくる静かな寝息に、少年の心が次第に落ち着きを取り戻す。少年の表情がそっと、柔らかな笑みに変わった。
「……ありがとうございます」
小さく少年の口から漏れ出す、感謝の言葉。その言葉を聞いていたのはただ静かに二人を照らす日と、ゆっくり流れる白い雲、それに二人を優しく支える草花だけだ。
風が静かに二人の間を通り抜け、草花がそれに合わせて歌を奏でる。優しく、静かな心地の良い日だった。
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