名前のない旅路より
霧隠タツヤ
・いつかある日のプロローグ
一面と広がる見晴らしの良い緑の中を、二人の人間が歩いていた。片方は少年で、片方は少女。二人ともリュックサック一つを背負っているだけで、そのほかには荷物らしい荷物は何も持っていない。
「こうしてキミと歩くのは、一体何日目になるのだろうね」
不意に少女が口を開く。セミロングの黒髪が風になびいた。
「その問いを聞き飽きたと感じるほどの日数、ですよ」
ため息をつきながら少年が答える。その顔には明らかな呆れの色がにじみ出ていた。
少年が言うように、この質問を彼は何度も聞いていた。それこそ、この歩みが始まったそのときから毎日欠かさず一回は耳にしていた。もはや少女の口癖になっているかもしれない。
「そうだったね。キミが私についてきてくれたその日からずっと」
少女は少年の呆れの籠もった声を静かに受け止めた。おそらく無意識であろう手が胸元に寄せられ、細められた瞳にそっと温もりが灯った。
「ついてきた、というか無理やりついてこさせた、が正しいと思いますけどね」
少女の感情に気づいてか否か、少年は呆れの籠もった様子を隠すこと無く言葉を発した。その一言に少しキョトンとした少女だったが、次の瞬間には、狡猾そうないつもの笑みを浮かべていた。
「ふむ、なにやら棘のある言い方だね。私の美貌に惚れ込んで同行を申し出てきたのはキミだろうに」
「しれっと嘘をつくのはやめてください。そんな過去はいくら時を遡ったとしてもみつかりませんから」
「おおこわいこわい、ちょっとした冗談じゃないか」
どこまでも軽い少女の軽口に、少年は深い深いため息をついた。ここ数日幾度となく繰り返された一連の流れだった。
「そうため息をつくなよ。私とキミの仲だろう?これぐらいなんてこと無い日常じゃないか。いい加減慣れてくれたまえ」
「……無茶言いますね。これに慣れるにはまだ年単位で時間が必要ですよ」
「ま、慣れられると私がつまらないから慣れて貰っては困るけどね」
「どっちですかまったく……」
少女の笑い声と少年のため息は、尽きることがなさそうだ。
「そうは言ってもね、私はキミに感謝してるんだよ?こんなどうしようもない私に付き合ってくれるのは、物好きなキミぐらいだろうからね」
「はいはい、どうせ僕は物好きですよ。感謝してるならもう少し態度に出してほしいところですね」
少女の言葉を聞き流すように、少年は適当な相づちを返した。隣で優しい眼差しを向ける少女の様子には、少しも気づかないままで。
「……さて、湿っぽい話はここまでにして」
「そんな話一度もしてないですよ?」
「ここまでにして!」
「……はい」
諦めて押し黙る少年に、少し前に出た少女は快活な笑みを向けて手を差し伸べる。
「今日も元気に歩み続けようじゃないか。どこにつくかも、誰に会うかもわからない、記録にすらも残らないような『名前の無い旅路』を」
「そうですね」
少年はその手を取りながら、そっと一言言葉を漏らす。
「まぁ言われる前から歩いてますけど。もう昼前ですし」
「細かいなぁキミは!そんなんじゃ女の子にモテないぞ」
「どうでもいいですよ、そんなこと」
両手を振り上げながらぷりぷり怒る少女に、何度目かもわからないため息をつく少年。それは幾度となく繰り返された、非日常のような日常。少女と少年の『名前の無い旅路』が続く限り、これからも繰り返されて行くであろう毎日の光景だ。
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