5. もうこんなになってる


 ミイの手は驚くほどに冷たかった。昨日の夜は、その手が生温かく汗ばんでいたのを、よく覚えている。


「どっちがって」


「ねぇ。どっち?」


「そんなこと聞いて、なんの意味があるんだ」


 喉に詰まりかかったカレーを飲み込む。


 ミイはしょんぼりしたように、肩を落とした。


「そっか。お姉ちゃんか」


「そうは言ってないだろ」


「じゃあ、私?」


「だから」


「ねぇ、答えて」


 身を乗り出して、ミイは聞いてきた。


「その前に、どうして家出してきたんだ」


「分からない?」


「分からない」


「サキ兄と同じ。逃げてきたの」


 あっさりとした口調で彼女は言った。


「家とか学校とか将来とかから、逃げて、ここに」


「そりゃそうだろうけど。俺はちゃんと高校卒業したぞ」


「何それ、自慢?」


「そうじゃないけど」


「高校卒業したら偉いんだ。へー。囚人生活3年、お疲れ様です」


「将来苦労するよ」


「良いの。将来なんてないし」


 ミイは黙って首を横に振ると、再び缶に口をつけた。どうでも良さそうに、彼女は言葉をこぼした。


「良いじゃん。お姉ちゃんだって高校卒業してないんだし」


 その横顔が、彼女の姉の姿と重なる。

 確かに、あいつも途中で学校に来なくなった。

 

 幼なじみのことを思い出すと、ふと通学路に照りつける太陽が視界をよぎったような気がした。


「ね?」


「嫌なことを思い出した」


「思い出させてやった。嫌なこと聞くから」


「分かったよ。もう聞かない」


「分かりきったことを聞くなってこと。私が何から逃げてきたってことくらい、分かるでしょ」


 今度は俺が黙る番だった。

 ミイが何から逃げてきたのは分かる。ミイの家族が上手くいっていないであろうことは、その様子を見たら分かった。


「悪かった」


「じゃあ、今度はこっちの質問。お姉ちゃんと私、どっちが気持ち良かった?」


 地獄の質問。


「どっち?」


「どっちもだよ」


「同じくらい?」


「そう。引き分け」


 俺の言葉に、ミイはキュッと目を細めた。髪がさらりと顔に触れるほど近づいてきて、彼女は俺の肩をつかんだ。


「じゃあ、勝つまでやってやる」


 強く、手のひらに力を入れて、彼女は俺にキスをしていた。


 唇の隙間をうようにして、舌が入ってくる。


「……ん……」


 彼女がかすかに息を漏らす。


 ぬるりとした舌が、口の中で動く。唾液が俺の舌に触れた。半透明の液体が口の隙間からこぼれ落ちる。


「カレーの味がする」


「まだ飯食ってるのに」


「ご飯食べてる時に、セックスしていけないと言う決まりはないよね」


「決まりとかじゃなくて。カレー臭い男とキスして楽しいのか」


「良いの。食欲を満たして性欲も満たして。一石二鳥みたいな」


 言っていることが破茶滅茶だ。

 それでも、ミイが冗談を言っているのではないことは分かる。


 彼女は、ずっと本気だ。


「ね。ほら、もうこんなに興奮してる」


 彼女は俺に触れながら言った。


 結局、そのままなし崩し的にセックスをした。昨日あんなにしたばかりなのに、俺たちは何度も肌を合わせた。

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