4. お姉ちゃんと私


「ただいま」


 家に帰ると、玄関前に大量のゴミ袋が置かれていた。空き缶が散らばっていた床は、見事にきれいになっている。


 小さなキッチンの前に立って、ミイは大根を切っていた。


「おかえり。掃除しといたよ。暇だったから」


「随分と片付けたな」


「別に見られて嫌なものも無いでしょ」 


 彼女はグレーのパーカーと、ショートパンツを着ていた。どちらも俺のものだ。ひとまわりサイズが違うので、ダボっとして緩く見える。長い黒髪を輪ゴムで、ひとつ結びのポニーテールにしていた。


「服も借りちゃった」


「別に良いけど。何作ってるんだ?」


「カレー。ねぇ、コンロ一つしかなくて、すごく不便なんだけど」


「俺、料理しないからな」


「何これ鉄板? ガスコンロでもIHでもないの?」


「古いアパートだから」


 ほー、と興味深げに言った彼女は、コンロの電源を入れた。アパートに備え付けの古い電気コンロは、温まるのにとても時間がかかる。


「いつも何食べてるの? 炊飯器も無いんだけど」


「コンビニとか。冷食とか」


「健康に悪そうだね。値段も高そうだし。野菜とってるの?」


「冷凍のブロッコリー食べてる」


「それだけ?」


「それだけ」


 ミイは大きなため息をついた。


「ダメだよ、そんなんじゃ。サキ兄、ただでさえせ型なのに」


 そう言うと彼女は、カレーのルーを手で割った。狭い部屋にふわりとカレーの匂いが散った。


「先にお風呂入ってて。ご飯はチンするやつ買ってきたから」


 着替えは用意しておくからと言われて、風呂場に入ると、すでにミイの私物が並べられていた。浴槽のふちに、シャンプーの入った小さなボトルが置かれている。


 完全にここに居座るつもりらしい。


 特に何か困るわけではないが、どう言う距離感で接すれば良いのか分からない。

 ミイと最後に会ったのは、彼女が中学に上がる前だった。昔はそれこそ妹のように可愛がっていたが、彼女の姉と別れてからは話すこともなくなった。


 そのミイが今、俺の前にいる。子どもだと思っていた彼女は、当然ながらスクスクと成長していた。


 そして酒に酔っていたとはいえ、のっけから抱いてしまった。


 一体、これからどう接するのが正解なのか。


 そもそも何で家を出て、よりによって俺のところに押しかけてきたのか。


 悶々もんもんとしながらシャワーを浴び終わると、すでにカレーは出来上がっていた。


「タイミングばっちり」


 小さなちゃぶ台の上に食器を置きながら、ミイは満足げに笑った。


「すごく美味しくできたと思う」


「たしかに。めちゃくちゃ美味そう」


「食べてみて。冷めちゃう前に」


 豚肉と玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、大根。これでもかと言うほど具沢山なカレー。


「すごいな。こんな野菜とかどっから持ってきた」


「買ってきた。冷蔵庫の中、酒ばっかで食料がなかったから。昨日で空っぽになったし、ちょうど良かった」


「お前が空っぽにしたんだろ。金は?」


「自分の使った。家出するときのために貯めといたやつ」


「俺が払うよ」


「良いよ。そんな大した額じゃないし。そんなことよりさ」


 俺の横に座ったミイは、背筋を伸ばして俺のことを見ていた。


「食べて食べて」


 肩のあたりを突いて急かすように言うので、髪を乾かす間も無く、スプーンを手にとる。


「カレーに大根」


「意外と美味しいんだよ。苦くて。最近ハマってるの」


 自信満々にミイは言った。


 恐る恐る口に運ぶ。舌に触れると、ほのかな苦味と辛みがあった。


「最高にうまい」


「でしょう」


「なんか久々にちゃんとしたもの、食べた気がする」


 嬉しそうに笑ったミイは、立ち上がって冷蔵庫から缶ビールを取り出した。


「また飲むのか」


「飲む。飲まないとやってられない」


「おっさんかよ」


「いっそ、おっさんに生まれ変わりたかったかもしれない」


 プシュと缶のふたを開けて、ミイはため息まじりに言った。


「コンビニで買った焼き鳥食べながら、発泡酒を飲んで、録画した相撲をみるの」


「それ偏見」


「偏見なんだ」


「なぁ、そんなことより」


「ビールって苦いね。何?」 


「なんで家出してきたんだ」


 そう言うと、ミイはふっと押し黙った。持っていたビール缶をテーブルの上においた。


 彼女は身じろぎもせず壁の方を見ていた。


「サキ兄」


 壁にはジグソーパズルが飾ってあった。


 アメリカ、グランドキャニオンの風景写真。かなり昔に、幼なじみからもらったものだ。


「お姉ちゃんと私、どっちが気持ち良かった?」


 そう言うと、ミイは俺の手を握った。

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