第2話 さぁや:連絡ください
二礼二拍手一礼。それが仕来りというやつらしい。
鈴緒を持って揺さぶれば、思いの外大きく鳴くから、高木はおっかなびっくり肩を聳やかした。日比野のほうはといえば、隣の挙動不審を失笑し、もう手を合わせている。
つられ手を合わせ、思えば神頼みするようなこともなく、仕方なしにただ一、二、三、と唱えて頭を下げる。さて、と隣を見れば、日比野の姿は何処にもない。首を巡らして、広いながらも十分にひらけた境内を見回すが、影も形もない。今度は此方が失笑する番だ。
どうすれば今の一瞬ではぐれることが出来るんだ。呆れを通り越して感動、は、しないな。うん。
鞄の内ポケットにしまい込んだタブレットの存在をちらと考えたが、探し人が所持している可能性はかなり低いし、そもそも此処は昨今では珍しい電波の届かない聖域である。此処で働いてる人どうしてんだろ。
舌を打つ。例の薄ら寒い老女のことを思い出してしまった。
パンフレットに紛れこんでいた赤い色紙を、どうにか日比野に押し付けられないものかと、高木は渾身のプレゼンを披露しようとしたのだが、「いや、だからいらねえから、いい加減にしろよ」とにべもなく拒否されてしまった。
境内には幾つかベンチがあって、その脇にクズ籠もある。なんだか若干の躊躇いがあるが、どの道持ち帰ったところで家のゴミ箱に捨てるだけである。
家のゴミ箱に捨てて、チラチラ視界に入るのもなんか嫌だし、思い切って此処で捨ててしまおう。
そう思い、手に持った色紙をクズ籠の口に翳したとき、ふと、地面に何かが打ち付けられる音を聞いた。
ポン、ポン、と軽い何かが一定の調子で跳ね返る音は、誰かがボールを突いているようだ。よくよく耳をすませると、甲高い子供の唄声もする。手まり唄だろうか。高木はそういった童謡に明るくない。
仲間はずれのみこさまは
いつもにこにこ見てござる
仲良しこよしのジャンケンポン
ソレ石けりなわとびかくれんぼ
元気に遊べと みてござる みてござる
明るくはないが、なんだかちょっと違う気がしてきた。え、手まり唄ってこんななの。あんたがたどこさとか、まるたけえびすとかじゃない?地方によって違うのかな。いや言っても電車で三十分の距離なんだけどな。来たことこそなかったが、一応は地元の括りだと思うんだけど。
「まってたんだよ」
少女の声は、割合近くから届いた。見下ろすと、腰に何かまとわりついている。白髪の、しかし背格好からして十歳にも満たない子供だろう。七五三のように立派な赤い着物に花の髪飾りで着飾った少女が高木を見上げ、上機嫌に微笑んでいる。
「………きみ、は………迷子かな?」
衣に金糸を織り交ぜているのだろうか。チラチラと視界が煩わしい。一体いくらするんだろう。本当に豪奢で派手な着物だ。まるで少女の瞳の色と合わせたような。
クスクスと愛らしい笑みが耳朶を撫でる。
「おにさんおいで」
唐突に、両の目を針で突かれたような激痛が走り、高木は膝から崩れ落ちた。瞼を両手で押さえる。とても目を開けていられない。獣の唸り声がする。それが自身の噛み締めた歯の隙間から洩れているのだと気付き、ぞくりと心臓が凍りつく。耳元で、何かを囁かれた気がした。
「なにやってんだお前」
唐突にやってきた激痛は、これまた唐突に去っていった。忘れていた呼吸を繰り返し、怖々と瞼を開く。自身の小刻みに震える両手がはっきりと見える。原因は分からないながら、てっきり失明したものだと思っていたのに。どっと冷や汗が吹き出すのを感じた。
蹲ったまま呆然と自身の両手を見下ろす高木に、日比野は再度怪訝そうな声で問い掛けた。
「マジで何やってんのお前?」
「………ひ………ひび、の」
ようやっと振り返った顔は死人のように色がなく、そのくせ長距離でも走ったようにびっしょりと汗をかいているから、日比野はいよいよ胡乱な目をして、そしてどういうわけか高木の頭を叩いた。
「いたいっ、えっ?」
「勝手にどっか行きやがったと思ったら。はぐれたくらいで泣いてんじゃねえよ」
「……は?や、ちげえし泣いてな、は?」
「たくよぉ、こっちは散々探し回ったってのに、なんでてめえのが汗かいてんだよ」
いやいや、何世話掛けさせやがって、みたいな顔してやがるんだコイツ。勝手にどっか行ったのはお前のほうだろうが。
てかなんで今叩いた?わりと痛かったが?
言いたいことは幾つかあるのだが、そして非常に遺憾で耐え難いのだが、高木は日比野が現れたことに安堵していた。
日比野だから、というわけでなく、この場においてはクラスメイトの、例えば班員の者なら誰でもよかった。ただ、残念ながら現れたのは日比野だった。いささか屈辱だ。
「おら、さっさと行くぞ」
放心した顔でいつまでも立ち上がろうとしない高木に、おそらく我慢の長くない日比野が腕を掴んで無理くり引き上げる。お前、普通そこは相手の体調を慮るところだぞ。
六月の生温い風が肌を撫でる。色々とショッキングな体験をした為か、悪夢を見た後の目覚めのように、身体が重い。
「………べたべたして気持ち悪い」
「そりゃそんだけ汗かいてりゃな」
無神経なほうは、此方の様子などとにも構わずいそいそとパンフレットを取り出し見ている。
コイツ、まさか結構楽しんでいるのでは。
そういえば、あの色紙はどこへやったか。何処にも見当たらない。さっき取り乱したときにクズ籠に入ったのだろうか。
「おい、そっちじゃねーだろバカ」
振り向いたところを、ショルダーバッグのヒモを掴まれ阻止される。
たすきに掛けたヒモを突然引っ張られるとどうなるか。引く力にもよるが、この場合の引力は100%。MAXとする。
端的に述べて肺にキた。MAX100が肺に。折悪しくも丁度息を吸うタイミングでもあったから、破裂するかと思った。
つーかお前バカっつったか。
「むせんなよこんくらいで……」
諸悪の根源が若干引いた顔で高木を見ている。
ヒモを離せ。そしてバカを訂正しろ。
しかしこの後、険しい山の中の参道を通って目的の社に辿り着くまで、解放されないどころか犬の散歩よろしくズルズルと引き摺られていくとは夢にも思わない。
『花器社』と書かれた石碑を前にして、日比野はようやく後ろを顧みる、ということに思い至ったようだ。
「お前マジで体力ないな」
満身創痍で蹲る此方を見るにつけ、開口一番そう宣ったお前を、僕は一生許さない。
神社仏閣である。ノットバリアフリーが暗黙の了解の、神聖でありがたい領域である。
斜面ならば石段であり、手摺りがないのが常であり、場合によっては休憩所も、リタイアのための横道さえなく──あった所で此奴は使わせなかったろうが──ただ延々と続く石段を見上げて突き進むのが醍醐味である。
間違ってもお手手繋いで歩いたりだとか、ましてや人を無理くり引きずり回すなど言語道断なワケである。
石段初心者、高木は激怒した。
コイツ、ホントムリ。
ふと、甘い匂いがして顔を上げる。そこには色とりどりの、あまりに鮮烈で色とりどりの花が、洪水となって視神経に殺到する。
「おい、大丈夫か」
「え……ああ、うん、だけど、すごいな、天国みたいだ」
高木の言葉に日比野は目を眇め、社と、社を囲うように咲き乱れる花々を吟味する。
「ああ、なんかあの世みてーだよな」
「言い方でしょ……間違っちゃいないけど」
低木に咲く桃色の花は躑躅、白いのは山茶花、地面に咲くオレンジ色の花は、コスモス。紫の花は……なんだろう、リンドウ、とかかな。赤いのは……
意識すると、尚のこと甘ったるく噎せ返る匂いが鼻を突く。
こんなとき、花にくわしければ楽しいのかな。
此処を楽しみにしていた女子二名は、あれやあそこの花が何て名か知っているんだろうか。
濡れたようにしっとりとして柔らかそうな花弁に触れてみたくなって手をのばすと、横あいから伸びる手に手首を掴まれる。
「、日比野?なに……」
白髪の少女が、歯を剥いて笑っている。げらげらげら、錆び付いた鈴の音がする。
「おい、高木」
後ろから、日比野の無防備な声がする。此方に近づいてくる。高木は叫んだ。
「来るな!!!」
直後、少女が口を大きく開き、それから高木の意識はどっぷりと深い闇に沈んだ。
──dislike──
困ったのは、残された方である。
さっきまでの疲労困憊ぶりが嘘のようにスタスタと歩き出した高木は、社の両扉の前に立つと、そのままなんの躊躇もなく扉を開け放った。
あまりにも、自宅の扉を開けるが如く堂々としていたものだから、一瞬「あ、いいんだっけ?」と思ったが、そんなワケはない。
「ぉ、おい、高木……」
「来るな!!!」
落雷の如き鋭い声に、皮膚がビリビリと震えた。
普段の彼からは想像もつかないほど怒気の込もった声に、日比野は怯み、意図せず足を止めた。直後ザッと血の気が下がる。
社の奥だ。光の差さない暗闇の中から、夥しい量の腕が現れ、棒立ちになった高木の五体に絡みつき、奥に引きずり込もうとする。
「高木!!!」
先の彼の怒号に比べ、こちらは殆ど悲鳴に近い。
止まっていた足を殴りつけ、転がるように走る。手を伸ばせる距離に至る頃には、既に上半身が丸々のみ込まれていた。僅かに見える左足にすがり付く。あとはみんな不気味な手に覆われ、奥の暗闇の中に沈んでしまっていた。
「はなせっ、はなせよ!おい高木!しっかりしろ!!」
聞こえる耳はとっくに闇の中であり。その上不気味な手は日比野を彼から引きはがそうとする。
ちくしょう。絶対離すか。
頬や腕やらをガリガリ引っ掻かれる。日比野はなおさら手に力をこめ、ぎゅっと眼をかたく閉じた。
「そろそろ離してくれないかなあ」
バチンッ、と電光が爆ぜるごとき勢いで瞼を開く。と、瞠目する高木の顔がある。日比野を見下ろしている。わけがわからん
硬直する日比野に、高木は、ニコリ、と笑みを浮かべた。
全く中身のない笑みだ。ホテルとか博物館とかで見たことある。笑顔が真顔です。みたいな。
日比野が何の反応も返さないと見ると、高木は人差し指で下を示す。
「足」
「あし」
「は、な、し、て」
「は、………おぉ」
高木は片膝を立てて畳の上に座り込んでいて、日比野のほうは、左足に手足でがっしりしがみついたまま横になっていた。
「……………」
足はすぐに外せたが、両手が強ばってどうにも剥がれない。暫し無言で奮闘し、高木はそれを
ズボンの裾を捲ると、赤い手形がハッキリクッキリ残っている。だろうな。全力で掴んだしな。折れてないのが幸運だ。てか筋肉ないな。
流石に足先までは見ないけど、九分九厘血が止まって痺れてるだろう。まあ、自業自得だな。とは思うが、具体的にどのへんが彼の責任かと訊かれると、わからない。ありきたりだが、雲を掴むような気持ちになる。
取り敢えず、この足が腫れてるのは、俺の責任か。
「………わりぃ。
「あ、そっち」
高木はズボンの裾を丁寧に直したあと、少し迷うように手を浮かせ、学校指定のワイシャツの右袖のボタンを外し、肘の辺りまで捲りあげた。
「…………アザか、それ」
二の腕の真ん中あたりが、焼きごてを押しつけられたように黒く僅かに凹んでいる。
「わかんないけど、こっちのがヤバいでしょ。だから大丈夫」
小さな手のひらの形に歪んだ痣に手を重ね、鷹揚に笑みを浮かべる高木を、信じられない思いで睨む。
何が大丈夫なんだよ。
【えんそく(๑ơ ₃ ơ)4班♥】
さぁや:神社に着いたよーー!\\\(۶•̀ᴗ•́)۶////いまどこー?(*╹▽╹*)
さぁや:[応答なし]
さぁや:|ω・)おーい
岩井:中入ってるぞ
さぁや:[通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
さぁや:先に回ってるね( •̥ ˍ •̥ )
さぁや:[画像]
さぁや:集落跡地に着いたよ!(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
さぁや:気付いたら反応してね!(๑ ́ᄇ`๑)
さぁや:沈龍川にいるよ!*(*•̀ㅁ•́*)*✧
さぁや:[画像]
さぁや:[通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
さぁや:みんなでおうどん食べにいきます!₍₍ ( ๑॔˃̶◡ ˂̶๑॓)◞♡
さぁや:気付いたら反応してね…(´•ω•̥`)
美奈子: [通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
さぁや: [通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
遠藤: [通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
岩井: [通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
さぁや: [通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
さぁや: [通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
さぁや:もぉー!電車乗っちゃうよーฅ(๑*д*๑)ฅ!!
──hate──
「此処どこ?なんで僕らここにいるの?」
「知らん」
知らんて。
むっすりと黙り込む日比野はさて置くことにして、高木は周囲に目をやった。
四畳半の小さな和室だ。天井から裸電球がぶら下がって部屋の中を照らしている。壁も天井も木がむき出しで、窓は無く、勝手口のような引戸が一つ。床の間もなければ、古式ゆかしい囲炉裏とかもない。室というより、小屋に近い。小屋と呼ぼう。うん。
状況は一切不明だが、とにかく外の様子を見ないことには此処が何処だかもわからない。
詰所とか、救護所とかだといいな。貧血で倒れて寝てましたとか。
そうであるなら日比野も知らんなどとは言わんだろうに。可能性の低いことを半ば祈るように思い浮かべながら、立ちあがって引き戸に向かう。ぶら下がった電球に肩が触れ、室内が揺らいだ。
「おい」
背中から裾を引かれる。日比野が此方を睨み上げている。
「どこ行く気だ」
「どこって、外の様子を」
「お前さ……マジいい加減にしろよ」
眉根を寄せ目付きを尖らせる日比野は、控えめに言ってカタギではないが、皺になるのもお構いなしにわし掴んだ手は、小さく強ばっている。
何があったか知らないけれど、きっと相当恐ろしい目に遭ったのだろう。
「じゃあ一緒に行こう。どの道此処にいたってしょうがないよ」
高木が差し出した手を、日比野は暫しの葛藤の末、掴んだ。赤いパーカーの袖から伸びるその手の甲に、爪を立てられた痕がある。
状況は、よくわからないが、自分達を此処に押し込んだ何者かは、はじめは高木だけを狙っていたのではないだろうか。
だとしたら、これは僕の責任だ。
薄く細めた眼を弓なりに歪め、その手を強く握り返した。
【高木獅郎】
さぁや: [通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
さぁや: [通話することができませんでした。
もう一度かけ直してください。(T600)]
さぁや:[送信失敗]
小屋の外は真っ暗だった。
まさか半日も寝ていたのか。驚いてタブレットを見ると、時刻は88:88。腕時計は秒速単位で時針がぐるぐると回転している。隣で覗き込んでいた日比野と顔を見合わせ、それからまた空を見る。月も星も見えない。雲に覆われているのかと思ったが、それにしては僅かの陰影もわからない。まるで墨汁を流したようにのっぺりとした濃い黒だ。
「こんな空見たことある?」
「……いや」
「こんなバグり方見たことある?」
「………………いや」
次第に、闇に目が慣れてくる。出てきた小屋を囲むように、地面の色がわからないくらい花が咲き乱れていて、その向こうは参道らしき石段が横切っているのがわかる。
花器社の様子に似ているが、あたりに咲き乱れているのは、全て真紅の彼岸花だ。流石に半日で全部を植え替えたと考えるのは無理がありすぎる。しかし、「どこだろうね、ここ」と高木が言うと、日比野は平気で「花器社だろ」と断言する。
頭大丈夫かコイツ。
「とにかく、一旦神社を出るぞ」
「あ、うん」
神社、というのは違いないだろう。小屋の傍には小さなポストのような賽銭箱があるし、向こうには参道がある。場所の目印としていた石碑はないが、木製の看板がある。風化で字が掠れていて読めないけれど。
「勝手な行動するなよ。マジで」
釘を刺してきやがる。
とはいえ、二人は未だ呑気に構えていた。
薄々なにやら不可解なことになって来ているなとは思うものの、ともかくも神社の敷居から出てしまえば、あとは電車に乗って、忘れずに連絡もして、それでおしまいだろう。そう考えていた。
数分後、鳥居門に佇む二人は、再び、今度はさらに深刻な顔を見合わせる羽目になる。
二人の前方、鳥居門の向こう側には、鬱蒼と繁る雑木林がある。
「ちょっと時間をくれるか」
顔半分を片手で覆ってそう告げる高木に、日比野が横目で尋ねる。「どうする気だ」
「冷静になる」
「……そうか」
日比野は、腕を組んで空を仰いだ。
事態は、若人二人が考えるほどには、甘く出来てはいないらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます