危なっかしくて見てられない

解体屋

第1話 【えんそく(๑ơ ₃ ơ)4班♥】





学校は仮入部期間に突入していたが、日比野はどこにも顔を出していない。

 放課後、陸上部がトラックを駆ける姿を横目に見て、それきりである。

 対人関係がどうにも上手くいかない。

 父親譲りの鋭い目つきと毛色のお陰で、舐められることはないが絡まれることは多々ある。何かしらを不機嫌に睨んでいるように見えて、気の強い奴らの癪に障るらしい。

 反対に、大人しい連中は此方に寄り付きもしない。絡んできた連中に丁寧に応えていたら、益々避けられるようになった気がする。

 別に構いはしないが、納得もいかない。何もしてないだろうが。というのが此方の言い分である。教師に理解された試しはないが。



 その日、日比野は筆記具を全て忘れていることに気付き、途方に暮れた。交友関係は前述の通りである。頼るアテなんかあるわけもない。


 机上に教科書を広げ、気持ち程度に体裁を整えた後は、ポケットに両手を突っ込み、チベットスナギツネのような顔をして座席に凭れる。


 無意味にデカい態度で黒板を凝視する姿に、教師の視線が度々泳ぐのがわかった。注意されるかと思ったが、結局諦めたようだ。

 背中を向けた教師がチョークを掲げると、周囲から一斉にカチカチと黒鉛を繰り出す音が聞こえる。どいつもこいつも、判で押したみたいに真面目なヤツらばっかりだ。


 今日一日眠って過ごすか、いっそ早退してしまおうか。

 ぼうっと黒板を眺めていると、突然、小さな衝撃を受ける。後ろの生徒が、椅子の座面を蹴り上げたのだ。

 痛みはなく、震度2か?程度の些細な衝撃を受けただけだが、メンタル的には顔面に唾を吐かれたくらいの耐え難さがある。当然、抗議せずには居られない。


 振り向くと、拳がある。畜生いきなり殴りやがる。と思ったが、覚悟した痛みはやってこない。よくよく見ると、拳は動いていない。ただ日比野の前に突き出されているだけである。


「……あ゙ぁ゙ん?」

「…………手、だして」


 思わずドスの効いた声で凄む日比野に対し、少年は怯えるでも睨み返すでもなく、なんなら目線を日比野の向こうの黒板に貼り付けたまま──相手は日比野よりも頭一つ背が高い──最小に絞った声で至極簡潔な指示語を述べた。爪楊枝みたいなひょろっこい見た目をしているが、心臓は剛毛なのかもしれない。


 日比野は突き出された拳を見る。6色ボールペンと、多分シャーペンのようだとアタリをつけ、瞠目する。


「………な、んだよ」

「忘れたんでしょ。貸したげるって言ってんの」


 言ってんのって。言ってなくないか?

 チョークが黒板を擦る音が響く。少年はひそひそ声にほんのり焦りを滲ませ「いいから、早く」と日比野にそれらを押し付けた。それきり、板書を始めて困惑する此方は放ったらかしである。

 こんなマイペース見たことない。


 のろのろ前を向き、無理やり渡されてしまったそれを罫線に沿って並べてみる。シャーペンと、6色ボールペンと、小さな消しゴムは、乱雑に切り落としたように一面だけがいびつに歪んでいる。


 これ、どうすればいいんだ?


 そのうち、二度目の衝撃がやってくる。他に手段はないのか?

 思うところはあるものの、日比野は急いでシャーペンをノックする。







 ──hate──








 季節は雨薫る水無月。

 心地よい風が蒼穹を目指して駆けていく。天候に恵まれた本日は、高木たかぎ獅郎しろうが高校入学後初の校外学習である。


 行程はごく簡単なものだ。学校近辺のローカル線に三十分程度揺られた距離にある、ちょっとした観光地域を5時間ばかり班で自由に散策する。その後学校に帰還し、教師に報告を済ませたら解散。尚、昼食は各班の自由。


 学習というよりは、ちょっと遠出して遊ぶ感覚だ。後々学習したことを班で纏めて発表するという面倒はあるが、目先の遊興に雑念は不要。こちとら天下の学生様である。

 尚、公共機関での格は底辺の模様。


 平日の10時、通勤ラッシュのピークは過ぎたものの、学徒が座れるほどの空きはない。

 高木は乗降の流れで徐々に散り散りになっていく班員を目で追った。絶妙に疲労が溜まっていくが、己が班長であるのだから致し方ない。

 すべては言語を超えた神の采配『ジャンケン』に弾かれた結果である。是非も無し。


 扉付近の手摺に同班の佐々木ささき美奈子みなこ今野こんの紗綾さあやを見つけた。お互いにもたれかかるようにして舟を漕いでいる。

 そういえば、昨夜は楽しみ過ぎてよく眠れなかったと言っていたか。電車を待っている間もしきりに欠伸を繰り返していたのを思い出す。


 古式ゆかしき伝統占術『くじ引き』によって極めて公平且つ雨風の如く容赦なく執り行われた班割りで、幼稚園からの幼馴染だと自慢げに語るこの二人が、同じ数字を引き当てたのは、くじ引きの神の思し召しか。

 ひっしと抱きあい全身で快哉を叫ぶ二人と周囲との温度差は、さながら合格発表の現場を思い起こさせた。



 薫風五月の采配である。知り合って一ヶ月でみんな仲良し!になれるほど人間関係ってやさしくない。


 女三人のうち、唯一どちらとも親しくない遠藤えんどう梨花りかはひとりで孤独を感じてやしないか。と先程まで彼女がいた通路付近を見ると、そこに彼女の姿はなく、代わりに同班の岩井いわい晴継はるつぐが立っていた。俯きがちに視線を送る彼の正面には、座席に座って微睡む遠野の姿。成程、あれが青春ってやつか。


 さすがに寝過ごしたりはしないだろうが。念の為、一つ手前の駅になったら知らせるべきかと、ワイシャツの胸ポケットから携帯タブレットを取り出し、先日の班会議でつくったグループチャットを開いた。





【えんそく(๑ơ ‎₃ ‏ơ)4班♥】



 高木獅郎:つぎ目的地です!


 さぁや:はぁい٩(ˊᗜˋ*)و


 ‏さぁや:みぃこちゃんもみてるよ!✧(  ‏ु•⌄• )◞◟( •⌄• ‏ू ‎)✧


 ‏高木獅郎:足りなかったら置いてくので乗り遅れた人は頑張って追いかけて下さい!


 岩井:り


 岩井:おいてくんかい



 既読は二件。遠藤は岩井が声を掛けているから問題はないだろう。残る一人、先ほどから姿が見えない日比野ひびの大和やまとの既読が着かない。眉間に皺を寄せていると、車内にアナウンスが鳴り響く。懇切丁寧に、まもなく目的の駅に到着する旨を伝えられる。じーざす。


 まだだ、まだ焦る時じゃない。姿は確認できないけれど、大方の目星はついているんだ。


 乗客の海を掻き分け、掻き分け、白い眼と舌打ちを浴びながら、車両の進行方向とは逆向きに突き進む。


 日比野は、無口な生徒だ。学年に一人はいる感じの典型的な一匹狼で、誰に話し掛けられてもシュールストレミングを贈られたようなエグい顔をする。

 殆ど関わりのない高木は多くを知らないが、同じ中学だったという同級生たちは、まずもって彼に近付こうとしない。どうやら中学時代に警察沙汰を起こしたらしいが、口伝の噂話だ。何処まで中身のある話かはわからない。


 日比野は連絡通路に繋がる扉の前にいた。どっかりと胡座をかいて俯いている。

 よりにもよって、何故そんなにも的確に迷惑な場所に。お前はケルベロスか。その扉は冥界に続く門なのか。


「日比野、迷惑だよ。ていうか次で降りるよはやく立ちなよ」


 返事がない。電車の振動に合わせて、頭がぐらぐらと揺れる。爆睡しているのか。冗談だろう。電車は、徐々に速度を落としている。


「日比野ッ!起きろ!」


「……あ゙あ゙?」


 思いっきり肩を揺さぶって、ようやく日比野は薄目を開いた。一際大きく揺れ、電車は完全に停車する。到着駅を知らせるアナウンスの隙間に、扉が開く音がする。



「ちょ、急いで急いでッこの駅だよッ」


「ハァー?」


「キレてる場合じゃないんだってばッ、乗り過ごすよ!」


 接着ボンドで張り付けられたみたいに中々立ち上がらない日比野の腕を掴み、無理やり引き上げたところで、出発のベルが警告音のように鳴り響く。

 ようやく事態を把握したらしい日比野を伴い、急ぎ車内からの脱出を試みるも、時すでに遅く、脱力するような空気音と共に、二人の目の前で、扉は閉じられた。





【えんそく(๑ơ ‎₃ ‏ơ)4班♥】



 高木獅郎:乗り過ごしました!日比野もいます!


 岩井:ワロス


 さぁや:大丈夫?‪(ó﹏ò。)


 ‏さぁや:駅で待ってるね!(๑⃙⃘ˊ꒳​ˋ๑⃙)


 ‏高木獅郎:折り返し時間掛かるから先にまわってて!二つめの神社で合流しよう!


 さぁや:わかった‪( •̥ ‎ˍ •̥ ‎)‬


 さぁや:着いたら連絡してね!*(*•̀ㅁ•́*)*✧


 岩井:男俺一人…




 お前はべつにいいだろ。




 折り返して駅に到着したのが30分後。そこからさらに歩いて約30分後の、現在時刻は11時20分。


 高木と日比野は行程上二つ目の目的地になる安井神社の鳥居門をくぐった。


 オフシーズンの為か、境内に二人以外の影はない。


 事前学習では、この地は古くから伝わる蛇神信仰の聖地なのだと教わった。なんでも、本殿から繋がる地下の湧き水には高い御利益があり、水を得るためにわざわざ遠方から参詣する人も多い、隠れた名所だとか。


 ひとまず連絡を入れようとタブレットを開いた高木は、肺を押し潰されたような呻き声を洩らした。このご時世で、電波の通らぬ場所があろうとは。


「どうした」


 圏外であることには衝撃を受けたが、平然と話し掛けてくる日比野にも衝撃を受けた。おまえ、班会議じゃ一言も喋らなかったくせに。

 内心の困惑を持ち前の愛想の下に押し隠し、事情を説明する。

 ともかく連絡をとるため一旦外へ出ようとする高木に、諸悪の根源日比野は億劫そうに三白よりな目を細めた。


「別にいらねーだろ。さっき茶屋でパフェ食ってるっつってきたばっかなんだから、どうせ当分来ねえよ」

「だけど、一応送っとかなきゃ。ここ広いし、多分すれ違いになるよ」

「あっそ、じゃ勝手にやってろ」


 ふてぶてしいなコイツ。黙ってた時のが数倍マシだったわ。


 そのままずかずかと先を行く一匹狼は、しかし目を離してはいけないヤツランキング(高木調べ最新版)堂々の1位である。

 付け加え、さっきから連絡を取り合っているのは高木ばかりで、日比野は自身のタブレットを取り出しもしていない。メッセージを見るのでさえ此方の画面を覗き込む始末である。


 まさか、持ってきていないのではあるまいな。


 まさかね。ないだろ今どき。

 待ち受ける展開が最悪過ぎて胸が震える。




 頭を振って雑念を払い落とし、先を行く日比野を追って、隣に並ぶ。と、三白眼が此方を睨む。なんか文句あるんかコラ。


「わり」


 一瞬、嘔吐えずいたのかと思った。


「……ん、え?なに?」

「だから、道連れにして悪かったって」


 対応には、嵩瞬の熟考を要とした。


 コイツ絶対AIアシスタント使えないだろうな。延々「す み ま せ ん、よ く わ か り ま せ ん で し た」って言われるんだろうな。可哀想………え?『ワリ』ってまさか『悪かった』の短縮形だったの?超濃縮じゃない?還元出来そうにねえわ。



 日比野はすぐに視線を逸らした。人見知り故の挙動という感じではない。単純に自分の意図を高木が理解したと見て安心して意識を他所へやったのだろう。


 口下手、それも無自覚か、あるいは直す気なし。これは、気をつかうだけ疲れるタイプだ。高木は内心で盛大に溜息を吐いた。


「別にいいよ………僕が勝手に残っただけだし」



 やたらせっかちに先に行きたがる駄々っ子をどうにか引き留め、兎にも角にもパンフレットが欲しいと社務所に向かう。


 むしろ、今日の高木はパンフレット回収作業がメインといっていい。一つ目に予定していた歴史資料館も、どれざけおざなりになっても構わないからパンフレットだけは必ず確保して欲しいとメッセージを飛ばしてある。

 あれさえ手に入れば課題は九割クリアしたと言ってもいい。何故ならパンフレットはその土地のプロがその筋で培った語彙でいい感じに纏めてくれたプチ資料収集だからだ。最悪中の表現を軽く捻れば全写しでも発表はできる。もちろん、教師とてそのあたりは折り込み済みであるから、苦笑は贈られるけれど。

 閑話休題。




 鳥居からほど近くに佇む社務所はひっそりと静まり返っていて、青葉の陰に馴染んでいる。人の存在などないように思われた。

 どこか沈んだ暗い雰囲気に気圧されつつ、部屋の奥の方を覗くと、隅っこに設置されたひとつきりのパイプ椅子に、緋色の作務衣を着た初老の女性がこぢんまりと座っている。

 眠っているように目を伏せていた女性は、中を覗いていた高木に気が付くと、寝ぼけたのだろう、どこか遠い旅路から帰ってきたような、懐かしく朧げな映画を見終わったような笑みを浮かべて「ありがとう」といった。


「え」

「きてくださったんでしょう」

「あ、はい」


 どうにも、調子を崩されてしまう。年の功というやつだろうか。違う気もするけれど。

 少し吃り気味にパンフレットを求めると、女性はにっこり顔のまま二冊のパンフレットと、その上に一枚の赤い折り紙を重ねて高木の手に握らせた。冷え性なのか、枯れ枝のような指先に触れられると、体温を吸い取られるような心地がする。

 何かの説明書きかと、赤い紙を裏返すと、此方も真っ赤に染められている。


「あー、えーと、……これは?」


 女性はにっこにっこ微笑んでいる。


「………ありがとうございます」


 人生幸せそうでなによりだ。


 ともあれ、パンフレットさえ手に入ればもう用はない。一瞬走った寒気には目を瞑り、社交辞令を貼りつけて早々に社務所を後にした。



 歩きながら、改めて紙切れを確かめる。薄らと光沢が差し込む美しい色紙だ。緋の絹に金糸を織り込んだ着物のような。

 今野たちが喜びそうな代物だが、高木はなんだか、さっきの女性の薄ら寒い笑みを思い出してしまう。

 あれって、俗にいうアルカイックスマイルというやつだろうか。


 薄気味悪く思えてきて、高木は色紙を二つ折り畳むとパンフレットのページの隙間に挟み込んだ。コレ、日比野にあげよう。



 失礼があってはいけないからと外に放流していた日比野だが、拝殿を素通りして脇の参道に入ろうとしていたところを確保した。団体行動という文字を太字のほうの油性マジックで額に書きつけてやりたい。


 パンフレットを差し出すと、思いの外素直に受け取り、そのまま無言で広げ始めたので、ついでに高木もその場で参拝ルートの確認を行うことにした。


 拝殿は、鳥居正面奥に見える石段を登った先に見えていた。境内はちょうど山一つを丸々囲い込むような形になっていて、拝殿は山の麓にあたる。参道はさらに山の奥深くに続いていた。


「あ、これ」

「あ?」


 話し掛けただけで凄んでくる。コイツほんとなんなん。


 山奥へ続く参道には、途中で幾つか番号が記されていた。図面外の説明によれば、各所の社殿にこの地の神と縁の深い神が祀られているらしい。

 そのうちの一つに、年中花に囲まれた一際清浄な気を放つパワースポットがあるのだと、班会議で佐々木と今野が興奮気味に語っていたのを思い出したのだ。


「ね、これだよね、えっと……はな、き……『花木杜かきのやしろ』?て、言うのかな。せっかくだし覗いていこうか」

「お前、こういうの好きなの?」

「好きっていうか、来たことないからさ」

「ふーん」


 尋ねておきながら、当の本人はもう興味がなさそうだ。小さく息を吐く。

 再びパンフレットに目を落とし、指先で順路を辿っていく。


「今居る所がここだから、目の前の道を真っ直ぐ行って……社を四つ過ぎて、………っ」


 不意に動きを止めた高木に、日比野が顔を上げる。


「おい、どうした」

「ああ、いや、ちょっと忘れててさ」

「忘れてた?」


 いいや、忘れてなかった。これを挟んだパンフレットは、確かに日比野のほうに渡した筈だ。それに、これはどういうことだ。


 拾い上げた紙切れは赤く、パッケージから取り出したばかりのように折り目ひとつない。


 訝しげな顔で睨む日比野に、高木は笑みを返して紙片を握り潰した。







 ──dislike──






 放課後、一分の未練もなく颯爽と帰ろうとする背中に慌て、つい債務者を追い詰める取り立て屋の如き勢いで掴みかかってしまった。

 何故だ。普通は真逆じゃないのか。


 借り物を返すついでに、何故忘れ物をしたと気付いたのか、勇気をだして尋ねてみる。


「だって書いてなかったじゃん」


 あっけらかんと呟いたわりに、眉を顰める。気が進まなそうに一旦唇を引き結んだが、すぐに弛めた。


「いつも熱心に書いてるでしょ。忘れたのかなと思って。見たらやっぱりなかったし。……言っておくけど、観察してたわけじゃないよ。後ろの席だからどうしたって目に入るんだ。僕背高いしね」


 最後の台詞は気に食わないが、それで助かったのは事実だ。


 そうして、よくよく考えてみれば、教師が己を注意しようとしなかったのは、単に気付かなかっただけなんじゃないか。と思い至る。あれがいつも通りで、まともにノートをとっているなんて思わなかったのかもしれない。教壇から此方の様子は見えやすいだろうが、己の目付きは大の大人が道を空けるほどである。

 そりゃ、子供の顔にハシビロコウみたいな目があったら不気味だろうよ。

 不本意だが、心当たりは十分過ぎるほどあった。


 それにしてもこの男は、一度も話したことのない同級生の、視界の隅でこんにちはする程度の俺の授業向きを、教師よりも理解して、だから異変に気が付いたのか。


「……なんか、」

「あ、僕急いでるんだ」


 少年は日比野の声に言葉を被せ、手にあった文房具をかっ攫っていった。「じゃあね」


 それっきりだ。あんまりにも早く立ち去るので、礼を言い損ねてしまった。そのあたり、日比野は少し後悔した。

 いつか言わねばならないと、それから、目につく度に声を掛ける機会を伺っている。



 いつも、機嫌が良さそうだった。

 愛想がよく、常に優しく、時々冗談を言い、そこそこ悪ふざけにも興じて、たまに相談に乗る姿も見かけた。特定の誰かの陰口を叩いている様子や、誰かしらと口論になる所は一度も見ない。

 きっとああいうのが、人に好かれる人種なんだろうな。


 ただ、それを見る度に日比野は虫の居所が悪くなった。

 なるほど、あれが八方美人だとか、猫被りだとかいうやつか。


 日比野の目にも、それは完璧で、まさかマニュアルでも拵えたんじゃないだろうなと疑うくらい完璧で、分厚い猫被りだった。


 ホテルやカフェでなら何ら違和感なく、むしろ自然で素晴らしいとさえ思う振る舞いが、校舎内で行われているというだけでこうも不快に映るものか。

 つまり、あの時の親切も、そういうマニュアル通りのパフォーマンスだったわけだ。


 ほんの少しの安堵と、落胆と、蛇口からしたたる雫のようにぽたぽたと溢れる羨望が、胸の内でゆっくりと渦を描いて、形を変えていく。


 やっぱ見た目かあ。そりゃそうだよな。アイツ、目つき丸いし、パッと見やさしそうに見えるよな。タッパはデカいけど、ヒョロくて弱そうだし、あんなのにわざわざケンカ売るヤツいねえよ。

 話し方も、なんか違ったな。真似してみようか。

 いや、ないわ。流石に気持ち悪い。うん。ないわ。


 それでも、あんなふうに綺麗に笑えたら。俺だったらきっと。


 妬みや嫉み、嫉妬だとか、そういう、身が焦げるようなかなしい痛みが、少しずつ溢れていくようだった。

 じくじくと蝕まれていく感覚に、いっそもう辞めてしまえれば良いのに。

 日比野は今日も、颯爽と帰っていくその背中を目で追いかけているのだった。





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