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アレックスは手元の報告書に目を通してため息をついた。
シャーロットの髪が湿っていたあの日、不審に思ったアレックスは彼女が「うっかり水をかぶる」ことになった原因を探っていた。
調べはすぐについて、どうやらボルス侯爵令嬢が水をかけたらしい。
ボルス侯爵は第五妃の兄にあたり、令嬢は妃の姪に当たる。そのせいもあって、第五妃が嫁いできた三年前より、まるで自身が次期王妃であるかのように大きな顔をするようになっていたが、彼女の興味は兄である第二王子に向いていたため、アレックスには被害はなかったし気に留めてもいなかった。
そもそもボルス侯爵令嬢は彼女の叔母が妃として嫁いで来る前に父王がアレックスの婚約候補にと名前を上げた一人であるが、一言二言辛らつな言葉を放ってやると、泣いて逃げ帰った女である。
だから、まさか今更アレックスにかかわってくることはないと思っていたのだが、どうやら第二王子が逝去したのち、彼女の興味はアレックスに移ったらしい。
そして彼女が、アレックスの周りに突如として出没したシャーロットを面白くないと感じるのは、その流れでいえば至極当然のことだろう。
(だから女は嫌いなんだ)
シャーロットが水をかけられた日から六日。ボルス侯爵令嬢のシャーロットへの嫌がらせはエスカレートしているようだった。
アレックスのもとに日々届く報告書によると、シャーロットはボルス侯爵令嬢に何をされても何を言われてものらりくらりとかわしているようだが、あのタイプの女は、相手が平気な顔をすれば顔をするほどに攻撃する。
アレックスは報告書をびりびりに破いてゴミ箱に捨てると、立ち上がって窓の外を見た。中庭が見渡せるその窓の外では、シャーロットがベンチで本を読んでいる。彼女がこの時間、中庭で本を読むのを日課にしていることをアレックスは知っていた。
アレックスはしばらくの間、本を読むシャーロットを見下ろしていたが、次の瞬間、目を見開いて息を呑んだ。
本を読んでいたシャーロットのすぐそばに、大きな花瓶が落ちてきて粉々に割れたのだ。
シャーロットは驚き、悲鳴を上げて立ち上がった。
幸い彼女に怪我はないようだったが、さすがに中庭に居続ける気にはならなかったようで、本を抱えて中庭から立ち去った。
アレックスはシャーロットが城の中に消えるのを見届けた後で、ぼそりとつぶやいた。
「もう……無理だな」
「今、なんて言ったの?」
本を抱えてアレックスのもとを訪れたシャートットは、部屋に入るなり冷ややかに告げられた言葉に耳をうたがった。
アレックスはソファにふんぞり返って座り、先ほど言った言葉をもう一度繰り返した。
「だから、お前はもう邸に帰れ」
「帰れって……、でもまだ……」
シャーロットはまだ何もしていない。
アレックスに絵本を読ませることに成功して以来、彼はぶつぶつ文句は言うものの、なんだかんだと短い時間であればシャーロットが用意した本を読んでくれるようになった。けれどもまだほんの少し本を読ませることに成功しただけだ。教育係としての仕事は何一つしていないと言える。
シャーロットに次期国王に必要な知識をすべて与えることはもちろんできない。けれども、これではただ絵本を読ませて終わっただけだ。最低限、教養として必要な本を読んで理解してほしかった。
「お前、金に釣られて俺の教育係を引き受けたんだってな。金なら俺が払ってやる。だからさっさと邸に帰れ、そして俺にはもう近づくな」
シャーロットは目を見開いたまま固まった。
確かにお金に釣られて教育係を引き受けた。これに関してはシャーロットに反論できない。でも、そんな言い方って……
(……本を読んでくれて、嬉しかったのに)
シャーロットが持ってきた絵本を開いてくれた時、心を開いてくれたような気がして嬉しかった。それなのに、突然「帰れ」「近づくな」はあんまりではないか。
シャーロットが言い返すことも踵を返すこともできずに立ち尽くしていると、アレックスがイライラしたように息を吐きだした。
「わかれよ。お前、いらないって言ってんの。お前みたいなつまらない女、いらないんだよ」
シャーロットは目を見開いた。
(お前みたいな、つまらない……)
シャーロットはきゅっと唇をかみしめて、すでにシャーロットに興味を失ったように視線を合わせなくなったアレックスに向かって、手に持っていた本を投げつける。
「なにすーー」
アレックスの言葉が途中で止まる。
何も言わずに身をひるがえして部屋から出て行ったシャーロットはーー、泣いていた。
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