4

 まったくあの筋肉バカ王子には困ったものだ。


 城にきて一か月。


 シャーロットはまったく手ごたえを感じることができない日々を送っていた。


 なるほど、あの国王が「少しずつ」「根気よく」と言ったのも頷ける。


 こうなるまで息子を放っておいた国王のバカ親さにはあきれ返るが、ここまで進展がないとシャーロットの野望がかなうのはいつになるのかわかったものではない。


(これは由々しき事態だわ)


 シャーロットの予定では、ちゃっちゃとアレックスに勉強をさせて謝礼をゲットしたあと、これまたちゃっちゃと田舎で一軒家を購入して悠々自適に過ごすはずなのだ。


 一か月もたって、まだ一ページも本を読ませることに成功していないなんて……


 シャーロットは城の三階にある書庫に向かうと、その中から比較的わかりやすいーー子供向けともいえるーー、薄い本を探していた。


 物事を教えるには、相手がどこまでの知識を持っているのかを知らなければならない。


 けれども全くコミュネーションの取れないあの筋肉王子がいったいどこまで学んでいるのか、シャーロットにはわからなかった。


 ならば、もういっそ、五歳の子供に教えるようなレベルから試していくしかない。


 子供向けの本を目の前に出されたアレックスが、「バカにするな」と怒って真面目に勉強をはじめるかもしれないという淡い期待を持っていないかといわれると、確かにそれも狙ってはいるが、まずは本を開かせなければはじまらない。


 シャーロットにも子供のころから家庭教師がついていたが、シャーロットは家庭教師から学ぶよりも、本から得た知識のほうが大きい。国王が「根気よく」と言っていたこともあって、アレックスにも「本」を読ませることにしたのである。


 教師を次々と追い払う彼は、もしかしたら人から教えを乞うというのが嫌いなのかもしれない、と思ったからでもある。


 広い書庫を歩き回りながら、シャーロットは嘆息する。


 この国に残る王子はアレックス一人。王弟殿下の息子や、公爵家に嫁いだ王妹の息子もいるので、継承権を持った人物はそれなりにいるが、順当に考えれば次期国王はアレックスである。


 シャーロットはこの国の国民として、そして貴族に名を連ねるものとして、このまま筋肉にしか興味のない国王を誕生させるわけにはいかなかった。


 引き受けてしまったからには、シャーロットにも責任の一端があるのである。


「もう絵本でいいかしら?」


 子供向けの絵本でも、単に表現がわかりやすく端的になっているだけで、間違ったことが書かれているわけではない。目の前に絵本を広げれば、少なくとも怪訝には思うだろう。興味さえ持たせればこっちのものだ。


 シャーロットはいそいそと、書庫の端っこの本棚で絵本を物色しはじめた。城の書庫にどうして絵本がーーと思うかもしれないが、王の子供たちが幼少のときにはよく読まれるのである。その量はシャーロットが今まで読んだことのないものもあるほど膨大で、本棚一つ分を占拠するほどだった。


 その中から、国の英雄についてなど、歴史や政治にかかわるものを探していく。


 六冊ほど絵本を手に取ったシャーロットは、書庫の管理人に本を借りていくと告げて、二階のアレックスの部屋に向かった。


 アレックスの部屋に向かうには、城の中央階段を下りるのが近い。


 大の大人が何人も寝そべることができるほど広い階段を下りていると、背後から声が降ってきて振り返った。


「あなたが殿下の周りをちょろちょろしている方かしら?」


 シャーロットが振り返ると、きつく巻いた金髪の、真っ赤なドレスを身に着けた女性が立っていた。


 ドレスの襟元は大きく開いており、深い胸の谷間がくっきりとわかる。


 彼女は振り返ったシャーロットの顔を見て、嘲るような表情を浮かべたが、シャーロットは人が自分に向けるそのような視線には慣れていたので何も思わなかった。


 年の近い貴族令嬢たちは一様に、シャーロットに侮蔑、または憐憫のこもった視線を向けるのである。


 それはシャーロットの髪型やドレスのせいであることもわかっていたが、婚約していた時ならいざ知らず、いずれ田舎で自立した生活を送ろうと考えているシャーロットにとってはどうでもいいことだった。


(それに頑張ったところで意味もなさそうだし)


 レドモンドと婚約していた時、シャーロットは彼女にしては頑張っていたほうだと思っている。


 ドレスの流行には疎かったが、マルゴットに相談して彼女の進めるドレスを身に着けたし、彼女が大きな石のついたアクセサリーが今は流行だというから、祖母がマルゴットの言うデザインと同じようなものを持っていたので借りて身に着けた。その際、祖母が不思議そうな顔をしていたが、きっと宝飾品に全く興味のなかったシャーロットがいきなりおしゃれをはじめたので驚いたのだろう。


 とにかく、シャーロットはそれなりに頑張ったが、結果、レドモンドはマルゴットと浮気をしてシャーロットのもとを去った。


(どんなに頑張ったところで、もとがいまいちなんだから仕方がないのよね)


 シャーロットは自分の顔が嫌いなわけではない。


 母も祖母も「かわいい」と言ってくれるし、父も「わしの天使」といってくれる。取り立てて美人ではないかもしれないが、それなりに気に入っている顔だ。背伸びをする必要がないのならば、わざわざ化粧で隠さずに、自分が気に入っている素顔のままでいたほうがいい。


 つまりは、自分でもわかっていて髪を二つに結んで、化粧もせずに、襟の詰まったドレスを身に着けているのだから、誰に冷ややかな視線を向けられようとも、傷つく必要はない。


「何か御用でしょうか、ボルス侯爵令嬢」


 シャーロットが訊ねると、彼女は少し機嫌をよくしたようだった。シャーロットが彼女のことを知っていたからである。矜持の高い彼女は、それが自分のことが「有名」であるからだと勘違いした。シャーロットが彼女を知っていたのは、本が大好きな彼女の読書対象が貴族名鑑にまで及んでいるだけで、それによりシャーロットはほとんどの貴族の名前と顔が一致するだけなのであるが、まさか伯爵令嬢がすべての貴族の名前と顔を覚えているなんて、ボルス侯爵令嬢は思わなかった。


「あなたでしょう? 身の程もわきまえずに殿下を追いかけまわしているのは。殿下はお優しいからお許しになっているのでしょうけれど、わたくしは許しませんわよ」


 シャーロットは耳を疑った。


(あのあほ王子が、優しい?)


 はて、「殿下」はアレックスではない別の誰かのことだろうか。


 口を開けば罵詈雑言の嵐のあの王子に優しさなんてあるはずもない。


 もっと言えば、シャーロットはアレックスを追いかけまわしているわけではないのだが、彼女がアレックスの教育係であることは、王子の名誉のためにも内緒のことであるので口にはできなかった。


 シャーロットはちょっと考えた。


 もしもボルス侯爵令嬢の言うところの「殿下」がアレックスであるのならば、彼女は重大な間違いを犯している。


 ここは正しておいてあげないと、のちのち彼女が泣くことになりそうだ。


 シャーロットはまったくの親切心で、ボルス侯爵令嬢にこう言った。


「あの殿下に優しさなんでございませんよ? 殿下に近づけば、あなたも『金髪わかめお化け』とか、『厚化粧』とか『デブ』とか散々なことを言われてしまいますから、お気をつけられたほうが……」


 繰り返すが、シャーロットは親切心でこう言ったのだ。


 決して彼女自身が、ボルス侯爵令嬢のことを「金髪わかめお化け」「厚化粧」「デブ」と思っているわけではない。


 しかしボルス侯爵令嬢はシャーロットの忠告を、シャーロット自身からの批判だと受け止めて、顔を真っ赤に染めてふるふると震えはじめた。


「デブ……? 厚化粧、ですって……?」


 ボルス侯爵令嬢はカッと目を見開くと、階段の横に飾られている花の入った花瓶を両手で持ち上げると、数段下にいるシャーロットに向かって中の水を浴びせかけた。


 バシャン!


 シャーロットはボルス侯爵令嬢が水をかけようとしているとわかって、とっさに腕に抱えている六冊の絵本をかばいーー結果、頭から水を浴びる羽目になった。


 シャーロットの赤みがかった栗色の髪に、いけられていたバラの花や花弁がからみついて、張り付いた前髪を払いながら茫然と見上げれば、ボルス侯爵令嬢が嫣然と笑った。


「あら、頭に花を飾って、少しはかわいらしくなったのではなくって?」


 城の大階段は、使用人を含めてそれなりに人通りがあるが、誰もが二人を遠巻きに見ているだけで声をかけるようなことはしない。


 ましてや、ボルス侯爵令嬢は第五妃の姪であるのだ。誰も彼女をとがめられるはずがなかった。


「これに懲りたら、殿下の周りをうろうろしないことね! もっとも、あなたみたいな不細工で貧相な女性を殿下が相手になさるはずもないけどね!」


 ボルス伯爵令嬢は高笑いをしながら去っていき、シャーロットは彼女がいなくなると、頭のバラの花をとりながら、肩を落とした。


「本は無事よね?」


 水をかけられて冷たいし、気持ち悪いけれど、髪はふけばいいしドレスは着替えればいい。本さえ無事ならばまあいいかと、シャーロットは近くにいた城の使用人に階段を濡らしてしまったことを詫びつつ後片付けを頼んで、着替えるために自分の部屋にむかったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る